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修復
「あのババアも人使い荒いからなあ」
「そんでさ、おっさん。昇降口の方結局どうなんだよ」
「見りゃわかんだろ。装置自体が原因不明の故障を起こしてさっぱり動きやしねえ」
「……原因、不明?」
昇降装置の前までやってきたニールが聞いたのは、そのような事実だった。
止まったまま一切動いてないらしく、装置前には駅に用事がある人々でごった返している。おそらく、駅の方も似たような状況になっているのだろう。街に用事がある人達が立ち往生。
そういう状況になってしまうのはいい。許容範囲だ。
引っかかるのはそういう点ではなく、故障の原因がわからないという点。ニールは整備員と同じ用に装置を見上げた。
「おうよ。まあ……さっきの地震のせいもあるかもしれねえけどこの装置、無駄に頑丈にできてんだよ」
「だから原因がわからない、と」
「おうよ」
ベルのような音がなった。整備員はニールたちにちょっとまってな、といい音の出どころ――通信装置を手に取ってその場から少し離れる。通信相手と話している整備員の様子を観察しつつ、時々上の方を眺めつつ。ニールはその話が終わるのを待った。暇だな。そう思いながら、例のランタンをつついたり回したりしていたところで、
「動かねえ原因はわかったってよ」
整備員の声がした。
「燃料切れ……というかそもそも動力自体に影響が出てるそうだ」
やっかいなことによお、と整備員が言う
この街の地下には動力源があり、そこで生み出されたエネルギーを街全体に循環させて機械類を動かしている。アカデミーで口酸っぱく教えられてきたことだ。
とはいえ、地下の動力を核とした機械だけで賄っている区画だけではない。ニールが住んでいる区画などがそうだ。このあたりで地下の動力に依存している機械といえば、それこそこの昇降装置くらいなものだ。整備員も「この辺は……そんな影響でてねえみたいだがな」といった旨を言っている。
「……要は別の区画だと大変なことになってるってか、おっさん」
「そりゃそうよ」
「なるほどね、どおりで第二区画ではみーんな旧式のランタンもって外歩いてたわけだ」
唐突にライラの独り言が聞こえてきた。
思わずそちらのほうを向くと、目線を昇降口とは反対の方向に向けているライラの姿が見えた。何かを見ているような気配がする。ニールはその様子を見なかったことにしておくことにした。そこに幽霊はいません。
現実から少しだけ逃避しそうになったニールの思考は、整備員の一声で引き戻された。
「ああ、丁度いい。動力装置の様子を見てきてくれねえか」
「おつかいが終わったと思ったらまーた別のおつかいかよ!」
ごもっともだねー、などというライラの感情のこもってない声がする。
「お前らどうせ暇だろ。街からもでられねえ、他の区画との行き来も制限されてやがるんだしよ」
ニールはライラを見た。
ここ数日間教会の連中のせいで外と隔絶されていた自分よりは、彼のほうが状況に詳しいはずだ。
「……マジ?」
「マジだよ」
少し小さな音で、ライラの言葉が続く。
「細かく言うと制限されてるのは第四区画への移動なんだけどね」
「あーあの……」
教会の関係者が住んでいるっていう。そう言いかけたところでニールは言葉を止めた。
隠蔽、という言葉がよぎる。教会側に不都合なことが起きたから、自分たちの領域に近づかせないようにしているんじゃあないか?
咳払いの音がした。思わず音の方を見ると、ちゃんと引き受けろよと言いたげな整備員の姿があった。
「……おつかいに対する報酬は請求するからな……!」
「その点に関しては安心しな」
「信じるからな! 信じるからな!」
「しつけーぞ」
お使いに出発するその瞬間まで、ニールは整備員の方を指差していた。
◇
動力を見に行く際に整備員たちが使っているルートというものが存在するようで、ニールたちがおつかいのために使用している道がそれなのだそうだ。と、出発前に教えられた。
「で、どうする? 先におつかい済ませる?」
「……先に済ませないとすっきりしねーから先に済ませる……」
「了解了解」
それから、このような事情もある。
というわけで、ニールとライラは今、動力装置周辺に来ている。
あたりは不気味なほどに静かだ。そっちのほうで様子を見ている作業員もいると教えられているのだが、そういった人がいる気配すらない。どこか死角になっている場所にいるのだろうか?
疑問を浮かべながら、ニールは装置に近づこうとした。誰かの気配に気づいたのは、それとほぼ同時。
人に見つかりにくいような場所から、この場で作業していたらしき作業員が手招きをしている。こい、ということだろう。ライラと顔を見合わせうなずいてから、ニールは作業員のところまで向かった。
「なるべく音はたてんなよ」
作業員はとても小さな声で、そう言った。
音を立てないように、おそるおそる様子をうかがうと。
誰かがいる。つい先日から嫌というほど見ている服を着た誰かが。正直遠巻きに見ているだけでもげんなりしてしまう姿をした誰かが。
――教会の連中が、動力源の様子を見て去っていく姿が見えた。
「俺たちゃ悪いことをしているわけじゃねえけどな。まあ、なんだ。教会の連中に小言は言われたくねえってもんだからよ」
連中が去った後、整備員は心底厄介だと言いたげな調子でそう言った。
げんなりするのは自分だけではない。ニールはそれを察した。げんなり仲間はたくさんいる。
「もっと慎重に行動したほうがいいのかもしれねえなあ」
自分たちが今やっているのは、ただのおつかいではあるが。
「まあそりゃそうでしょ。本来生贄として死ぬはずだった人間が実は生きてて街中ウロウロしてまーすって、教会にとっては不都合も不都合だよ」
「何一つ間違ってないけどズバズバいいすぎじゃねえ?」
とはいえ、ライラの言い分にも一理ある。一理どころの騒ぎではない気もしてくるが。
一度、ため息をつく。
そうして、装置の様子を見ているらしい整備員に声をかけた。
「で、おっさん。動力装置直せんの?」
「いんや、皆目検討もつかねえ」
「まじかよ……」
「いつもの整備もやったし、よっぽどのことが起こらねえと確認しねえところも確認した」
こんこん、と整備員は装置をノックする。なんの反応も返ってこない。動いているような音もしない。
「したんだがなあ、動かないというところ以外はいたって正常なんだわ」
まあそこに座れや、と整備員が椅子として使えるあたりを示す。
自分が座るより先に座ったライラをなんともいえない目で見てから、ニールもまたそこに腰をおろした。
「まあ、俺ら第一区画の住人には直らなくても不都合はほぼねえけどなあ……あ、不都合あるな。駅と街の行き来ができねえのは不便だわ」
身振り手振りを添えて、整備員は言う。
駅と街の行き来ができないのは確かにそうだ。この街は食料品のほとんどを外部から来る農家や商人に頼っている。それがたたれてしまうとなると、この街はそれこそ緩やかに朽ちていくことになると同義。ニールはアカデミーで学んだ知識を手繰り寄せ、そういうことなのだと把握した。
ふと横を見ると、ライラが装置の方に視線を向けていた。どのあたりを見ているんだ、と思いつつ、ニールもまた装置の方を見てみる。
「この装置思ってたより古いんだね……」
「教科書で見るレベルじゃねーか……」
本当に、そういうところでしか見たことのなう装置だ。ぱっと見、動力を生み出すようには見えない。ニールが知っているものに当てはめて表現するなら、祭壇が近い気がする。
「そりゃそうよ」
ニールたちの言葉に、整備員が指で示す。こっちの方見てみ、と。
文字と模様がえがかれた、古いプレートが取り付けられている。書かれている文字日付だろうか? だとするなら、これは装置の設置日なのだろう。これを真に受けるなら、設置日は一六〇〇年代、らしい。模様の方は設置した誰か、あるいは組織を示すものだろうか?
ふとニールはランタンの方を見た。ランタンの模様を見た。どこかで見たような模様がある、と何となく感じる。たしか、たったさっきあたりと思いつつ、プレートのほうを見る。ランタンを見る。見比べる。
……この二つには、どうやら共通する模様があるらしい。
その間も、整備員はライラに何かを話していたらしい。装置の整備に関する話を軽くしていたか、あるいはライラが装置自体に関する何かを聞いていたといったところだろう。
会話の最中に、整備員の方からこんな言葉が飛び出してきた。
「俺らだってこの整備するための情報、図書館で集めてんだもんよ」
その言葉に、ニールは動きを止めた。まじかよ、と言いたくなるような気分にもなってくる。とりあえず、まず、大きく息を吸って吐くことにしよう。そう、大きなため息をだ。
「やっぱり図書館か……」
「よかったね、当初の目的もついでに果たせるじゃん」
「……」
「何忘れてんの。僕はニールのために手伝ってやろうとしてるんですけど」
「ハイ」
ちなみに、おつかいを頼んできた整備員への連絡は、こちらで作業している彼に任せることで意見は一致した。
◇
行きと同じ道を通り、地上へと帰還する。様子を見に行っていたのは短い間だけだったはずなのだが、どこか地上の明かりが眩しく感じる。
「呪術具と地下にある装置の資料……同じ場所に置いてある気がしねーんだけど」
「ワンチャンあるでしょ。資料だよ資料」
「大雑把なくくりだな……」
石造りのアーチをくぐる。
すると。
唐突に、大きな地響きがした。
空も急激に暗くなった気がする。
雨の気配はない。
風は、吹いている。
思わず、ニールは空を仰いだ。
そして、唾を飲み込んだ。
翼を持つ黒く巨大な蛇が空を飛んでいる。
大気を大きく震わせるほどの咆哮をあげて、空を舞っている。
それの尻尾が街の中心の塔に当たれば、塔が揺れた。それが再び咆哮すれば――轟音と閃光が走った。刹那、ニールとライラがいる場所からほど近い場所にある建物から、火の手があがる。
本当に、一瞬のことだ。人々が慌てふためく声がする。水を! と叫ぶ声がする。再び咆哮が響く。別のところからも火が、と報告する人の声がする。
「ニール」
「……かみさま、だ」
「……あれが?」
「あれが」
ニールはあれを見ていた。
生贄にされる直前に、あれを見ていた。
翼を持つ黒くて巨大な蛇、教科書でも見ないような異形。ニールはたしかにそれを見た。
だが、それがどれほどまでに危険な存在かまでは知らない。知っているわけがない。
とはいえ、ニールにもわかることはある。
「……正直、急がないとやばくね? いろいろと……」
などという、些細な主観でしかないが。
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