巡礼

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巡礼

「タクシーは動いててよかったよね」 「ほんとだよ」  区画をまたぐたびに、街の明かりが消えていく。車窓から風景を眺めつつ、ニールは言葉をこぼした。 「……思ってたより大事じゃねえか……」 「だからいいましたよぉ~、移動ももしかしたら危険かもってね」  まああの大家さんの頼みだからやるんですけど。声色を一つもかえずに運転手が言う。  あのババア顔広すぎるだろ。ニールは率直にそう思った。思ったが本人には言わないでおこうと固く誓った。ババアと呼んだ結果また私物が捨てられてはたまったもんじゃない。いや、あの件はだいたいライラが主犯だったが……。 「はい着きましたよ。なるべく早めに用事を済ませてくれると助かりますがね……まあ、無理にとはいいませんよ」  当初の考え事から大幅にずれた思考を巡らせていたが、目的地への到着と同時に我に返る。  第三区画、図書館にほど近い駅の前だ。運転手が車の扉を示す。ややげんなりとした様子で、かつニールたちを追い払うように。  そうして下車した後、ニールはライラと顔を見合わせる。 「感じ悪いよねー」 「状況が状況だから仕方ないと思うことにしよーぜ……」  暗い街の中を、明かりを頼りに歩いていく。目的地である図書館は下車地点からもはっきりと見えていた。行き着くのに苦労するということはないだろう。  本当にそのとおりに、目的地にたどり着く。  図書館の扉は開け放たれている。そこから様子を見る限り、利用者は普段よりも少ないようだ。受付は利用者の方を見ようともせず、あくびをしている。今現在手続きをしている利用者が、それに気づいている様子はないようだ。 「明かりが消えててちょっと助かったよな……」 「まあ、それはそうだね。普段だったら顔しっかり見られて手続きするもんね……」  もちろん、それはニールたちもそうだった。  何一つ反応されることなく、受付をし終えた。何もしなかったとほぼ同じであるような気もするが。  図書館の中ももちろん暗い。利用者は各自の調べ物に夢中なようで、他の利用者を見ることはない。  まてよ、とニールは小声でつぶやいた。 「この状況だったら普段見れないところも見えるんじゃね?」  我ながら名案だとニールは一瞬思った。そう思うと同時に、謎の理性も働く。 「……とは思うけど、まあ……無理に行く必要があるかどうかだよなあ」  資料が多く納められた本棚の前で、ニールはぶつぶつと呟いた。上の方の資料はどんなもんだろうと思い、光源確保用の器具を高く掲げる。そうして資料の名前を読もうと一歩前に出た時、ニールは思わず足を本棚にぶつけて体勢を崩した。その拍子に器具が転がっていく。やば、と言葉がもれる。器具が転がるのに少し遅れて、ニールはそれを拾いに行った。  そういえばそういう時期だった。ニールが器具を拾い上げた時に思い出した事柄がそれ。年に二度ほど、この図書館の閉架書庫は開放されているそうだ。アカデミーで聞いた話によれば。 「ニール、これだってさ」  ちょうど閉架書庫の方からライラがでてくる。お前そっち行ってたんかい。ニールはそう思ったが、思うだけにとどめておくことにした。たぶんそういう場合ではないからだ。 「んあ?」 「親切に教えてくれる人がいてね、その人によれば……直さないとならない装置の資料はこれ」  ニールはライラからいくつかの資料を受け取った。受け取ったと言うべきか、おしつけられたと言うべきか。とはいえ、その資料が思ったよりずっしりとくる重さであることは確かだ。  親切に教えてくれる人、ライラはたしかにそう言ったが、閉架書庫内にライラ以外の人影は見当たらない。 「それから……」  追加で資料が載せられる。 「受け取ったランタンの資料はこれ、だってさ」  じゃあ僕は他の資料あたってみるから。そう言って、ライラは何かと会話をし始めた。し始めたように、ニールには見えた。おそらく情報収集なのだろうが、一体全体こいつはなにをしているのかとも思えてくる。 (あいつ何が見えてんだ……? 幽霊か)  そういえば塔からとんずらこくときにも似たようなことあったしそういうことなんだな、とニールは結論づけた。  とりあえずは押し付けられた資料を見て把握しよう。ニールは最初に押し付けられた資料を開いた。  何者かが項目の文字を指し示したような、気がした。ニールの視線は、自然とその文字に向いていた。 「えっと……?」  教会の成り立ちについてという項目だ。大雑把に目を通していくと、ある一点で目が留まる。  生贄の儀式について、と書かれた見出しだ。  息を呑んで、ニールはそこに書かれている文字を辿る。  『この街は神の力によって恵みを得ている』――これは知っている。アカデミーでもしつこく教えられた。  『恵みとはすなわち、神の力を借りて街の機能を動かすことである』――これも聞いたことはある。教師がさらっと言っていた覚えがある。  『神の恵みを得るためには、神をこの街に留めなければならない。ゆえに、祖は神をつなぐ結界を生み出した』――これは、知らない。祖、と言うものが教会で重役とされる人間であることだけは理解できるが。  『その結界を維持するための儀式として、祖は人間を一人生贄にする方法を用いた』――知らない。  『犠牲となる人間は誰でもよい』――知りたくなかった。  『本来、神を留める結界を作りだすうえで犠牲は必要ではない。だが、生贄を使わない場合と比べて結界は弱くなる』――知らない。  『効率的に神の恵みを享受するため、祖は教会を改革した』――何の話だ?  ――こうして、祖は生贄の儀式を生み出した。  文は、そうして締めくくられている。 「……ふざけんなよ」  この感情はなんだ? 不快感か? それとも怒りか? 「ニール?」 「誰でもいいんだったら……それこそ俺じゃなくてもよかっただろうが!」  なんで俺なんだ、とニールは声を張り上げた。本棚を殴った。  ばさばさと、本棚に収められていた本が落ちる。そのいくつかは身体にあたってしまったが、そんなことなどどうでもいい。今のニールの頭を支配するのは行き場のない感情だ。これをぶつけるところなどどこにもない。それでも吐き出さないとやっていられない。その感情を溜め込んで我慢するなんてできるわけがない!    がつんと、音が響く。  背後から何者かに殴られた気がする。痛む頭をさすりながら、ニールは振り向いた。  厚い本を片手にライラが立っている。  その紫の目を細めてまっすぐこっちを見ている。 「落ちつけ」 「…………」 「さっきなんか叫んでたようだけど、僕にも聞こえなかったから今回はセーフだったね。でも、もし……教会の連中が聞いてたらどうするつもりだったのさ」  じっと、見ている。 「う……」 「だったら落ち着け」  ライラが手に持っている本を軽く振っている。もう一回しばかれたい? とでも言っているかのようだ。  そう、彼の言っていることはもっともだ。冷静になれ、何も間違っていない。じゃあこのもやもやとした感情はどこへ持っていけばいいんだ。その疑問が口から漏れるより先に、ライラの言葉の続きが出てくる。 「それから、こっちの資料にも大事なこと書かれてるからね」  ぐいぐいと手にしていた本をそのまま押し付けてくる。 「頭冷やすついでに読んどいて」  最後にそれだけ言って、ライラは踵を返した。別の資料でも探しに行くつもりなのだろうか。  読んどいて、って言われてもどうしろと。ニールはため息をつく。  とはいえ、ライラの意図は言葉通りなのだろう。こういう状況で回りくどい表現をするようなタイプじゃないことはニールが一番よく知っている。 「…………」  すぐ側の本棚を背もたれにして座り込む。落ちたままの本は放置して、渡された本に集中する。  本を読む前に、まずは題名を指でなぞる。まったく同じ言葉を教科書で見た気がする。たしか、神様との過ごし方、という風に読むのだと教わった。  表紙をめくる。挿絵が多い事に気づいた。子供にもわかりやすいように書いているのだろうか。目次はどのページだろうか、と紙をめくろうとしたらしおりが挟まれていることに気づいた。ライラが挟んだものだろう。ここを読め、という意図で。  しおりのページを開く。アカデミーで学んだ言語で書かれているページのようだ。見出しには「葬儀について」と書かれている。  ゆっくりと文字を追っていく。 ◆  この街には一年に一度、合同で行う葬送の儀が存在している。導き手として選ばれた人物が、鍵であるランタン(以下の挿画を参照されたい)を手に街に点在している巡礼の地を順に回るというものだ。  巡礼の地を訪れた導き手は、ランタンを掲げて祭壇(先の挿画を参照されたい)に火を灯す。そうすることで、祭壇にて待機している死者の魂を列へと迎え入れるのだ。  巡礼の地を順に訪れ、待機していた魂をすべて列へと迎え入れた後に、神のもとへと向かう。神は塔の最上階にて導き手を待っている。たどり着いた導き手は、鍵であるランタンを神の前で鳴らさなくてはならない。それが、合図だからだ。  合図を受けた死者は神のもとへと歩み、神は死者を天国へと導くために受け入れる。導き手は最後の一人が神に受け入れるまでを見届けなければならない。こうすることで葬送の儀が完遂されるからだ。  我々はこの儀を執り行うことで、人の生死を見届けるかの神との契約を続けてきたのである。 ◆  挿画に描かれていた祭壇の見た目には見覚えがあった。  それから、鍵にも。  ニールは静かに本を閉じた。  目頭を抑えて、大きく息を吐く。  知ってしまった。  教会の今のやり方は、本来の儀式を簡略化かつ彼らに都合が良いように改変したものであるということを。 「…………ああ、そういうことか」  鍵とされているランタンの絵が、自分の手元にあるものと同じだいうことを。 「そういうことかよ…………」  知ってしまった。  『正しく儀式を行える』という言葉の意味を、たしかに知ってしまった。 「……」 「ニール、どう? 頭冷えた?」 「……なあライラ。なんか知らんけど巻き込まれたときの言い回し、なんだっけ」 「乗りかかった船?」 「あー、それそれ」  知ってしまったことから、目を背けることができない。  ニールは自分がそういう人間であるということを一番よく理解している。自分自身のことは、自分が一番よく理解している。 「こうなりゃ乗りかかった船だ、押し付けられたこと全部こなしてやるからな……!」 「お、ニールがやる気になった」  だから、頼まれごとを受け入れた。  あの真剣な願いを受け入れた。  目を背けることなく、しっかりと見据えて。  ただそれだけのことだ。  ◇ ちょうど第三区画に最初に訪れる祭壇があるのでそこから行ってみるコンビ ライラが地図を持って、ちょいちょい幽霊に話を聞いている。  最初に訪れるべき祭壇は、この第三区画にあるそうだ。なら、ついでに寄っていくほうが早いはず。ニールたちは行動方針をそうまとめた。  しかし詳しい位置はわからないため、ライラが情報収集のためにそのへんを奔走することとなった。聞き取り相手はもちろん、幽霊だ。現在このあたりは人の行き来が少なく、また人がいたとして当時の捻じ曲げられる前の資料を知っている人間がいるとも思えない。ならば、幽霊に聞いてみるのも当然のことというわけだ。 「見えるの便利だな……」 「ケースバイケースだよ。見えてきっついときもある」 「……そういうもんなん?」 「そういうもの~。まあ知らないほうが幸せでいられるからニールはそのままでいて」  当分幽霊一緒に来るけど気にしないでね、とライラが言った。そうしてニールより先に歩きだす。幽霊に案内してもらっているのだろう。遅れないようにニールも歩きだす。  しばらくして、彼らの前にある大きな扉が現れた。誰かが開けたまま放置しているように見える。中の気配を伺ってみても、人の気配はないようだ。  どうやら、先に教会の関係者が来ていたらしいが入り口の扉を閉め忘れていたというのが真相らしい。ライラによる幽霊語の通訳によれば。 「……誰かを探しているようだったから、そっちに意識がいっちゃって閉め忘れてたのかも。だってさ」  なるほどそういう。無防備な扉をくぐり、先へ進んでいく。  地下への階段が見える。そばにある掛札はかろうじて「地下水道」という文字が読めるくらいで、ほぼほぼ劣化してしまっている。  足を進める。幸いなことに、床はそこまで劣化していないらしい。一部石レンガが欠けているくらいで。  さらに足を進める。地下だけあって暗さが増していく。ふと足元を照らすと、思っているよりきれいな道が続いている事に気づいた。この整然とならんでいるレンガは、おそらく施設当時と変わらない姿をしているのだろう。  もう一歩、足を進める。  開けた空間が目の前に現れた。  その中央に鎮座しているものは、図書館に向かう前のおつかいの際に見た装置と同一のものだ。今は動力装置以外の何かとして、ニールの目には映っている。  儀式のための祭壇。正しく儀式を行い、死者の魂を導くための。 「えー、手順はと……」  目を通した資料を思い返す。 (このランタンで、火を灯す、だよな?)  そっと、炉と思われる場所にランタンを近づける。  すると、炉がふわりと光を放った。いくつかの光の玉が出てきてはシャボン玉のように弾ける。やがてそれが収束するころには、ごうんごうんと装置が動く音がした。  ランタンを離す。すると、炉には赤い火が灯った。たしかに、火が灯ったのだ。 「……ま、マジで動いた……」 「おー、すごい」 「……ってかこれで大丈夫なんだよな?」 「大丈夫大丈夫、幽霊も言ってるし」 「……おう」 「それに、今こういう状況なんだしさあ。信じるしかないでしょ」  見つけた資料のことをさ。ライラは軽い調子でそう言うのを横目に、ニールはひとつため息を付いた。 (状況が状況だしこういうことを考えるのはどうかとは思うんだけど……)  目の前で揺れる炎と淡く光る祭壇の姿は、どことなく (きれいだな)  そう、思えた。  ◇  そうして成すべきことを成し、ニールたちは地上へと戻る。  第三区画の街並みに、次々と明かりが灯っていく様子が見えた。暗がりから光へ。どことなく不思議で、幻想的とも思える光景のように思える。  その様子をしばらく眺めていた後に、ニールは言った。 「……マジだったんだな、あの資料とか」 「何、ニール。見るまで半信半疑だったの」 「状況が状況なんだからしかたねえだろー」  ニールは今、自分が先程行った行為が街に伝わる儀式の正しいやり方だということを噛みしめている。  正しく儀式が行われているということを噛み締めている。  その導き手が自分であるということも。 「昔の人たちもさ、こういう光景見てたのかもなあ」  きっと事実がねじ曲げられる前には、自分がやっていたように儀式が行われ、自分が見ていたような光景を見た人がいたのだろう。いいや、いたのだ。それが地続きにつながっているという現実を、ニールは強く強く噛み締めた。 「何? 感傷にひたりたくなっちゃった?」 「そんなんじゃねーよ。次だ次」 「お、やる気ー」
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