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(また、火が)
一体いくつの建物が焼けたのだろう。
物陰に隠れつつ第四区画を行くニールは、街を襲う惨状を目にした。
焼け落ちた建物や植物。ひび割れた道路。象徴であるシンボルが無残に折れた教会の屋根。
なおも火事は続き、火の勢いはすべてを飲み込もうとするかのようだ。
目的地はこの区画にある昇降装置だ。ライラが使っていた別区画の昇降装置は始めて知ったが、この区画の昇降装置は嫌でも覚えている。自分を生贄にしようとした連中が、自分を運んだものなのだから。
様子を伺いながら進むニールは、ふと声を聞いた。なるべく死角へ、と身を潜め、会話を盗み聞く。
どうやら、教会の神官たちのようだ。
「大神官様は?」
「もう塔の最上階へと行かれたようだ。神を説得するのだと。うまくいけばいいが……」
「……今だから言えるんすけど」
「どうした?」
「もう、手遅れな気がするんすよ」
手遅れ。その言葉にニールはどきりとする。
自分が導くべき魂を連れて行くのも手遅れなのだとしたらどうすればいいのだろうか。ふとそんな不安がよぎるが、いまはそういうことを考えている場合ではない。自分にできるのは、儀式を完遂することだけ。
(えーと、昇降装置はっと)
記憶を手繰り寄せる。たしか昇降装置に連れて行かれるまえに、街路樹が見えた気がする。それから噴水。あのときは野次馬の視線が痛かった。そんな、記憶がよぎる。
ニールはすぐさま首を横に振った。今はそんなことを思い出して浸っている場合ではないだろう。
いつの間にか、周囲に人の気配すらないところまできていたらしい。ニールは足を早める。これが記憶にあった街路樹と噴水だろう。そして、それらから遠くない位置に、目的地はあった。
(こうしてこうだったっけか)
かちかち、と昇降装置を操作させる。たしか神官たちもそうやっていたはず。そして、押した数字はこれだ。
程なくして装置は動き出した。徐々に塔の上を目指して進んでいく。ふと装置の窓から下を眺めれば、街が遠くなっていく様子が見えた。この装置は、塔の最上部ではないどこかへ続いているのではないか、そんな錯覚すら覚える。
「……」
やがて、昇降装置はその動きを止めた。
自動的に開いた扉をくぐり、ニールはその地に足を踏み入れる。
塔から逃げた時となんらかわりない惨状が広がっている。ただ、少しだけ倒れている人間(おそらく死体だろう)が増えているくらいだ。
あのあと神官たちが何をしたかなど、ニールには関係のないことだ。ただ、彼らは神をさらに怒らせたのだろう。怒らせてしまったのだろう。神が本来求めていることを無視して。
(あー、なんだっけ。たしか、ランタンを……)
たしか、こう。そう言い、ニールはランタンを掲げて、軽く振る。
『導き手様』
『我々を神の御下までお導きください』
『導き手様、どうか』
『天国への道を示してください』
最後の装置の前で見たような光、それが収まった後に幽霊たちが現れる。
彼らは口々に語り、ニールに頭を下げている。
『導き手様、何卒』
『我々を神の御下まで』
『我々は至りたいのです』
『神の御わす、その地まで』
そうして、願いを告げる。
「……こちらへ」
ニールは目印を揺らし、彼らに道を示す。
このところどころ崩れた床の最奥だ。壊れたドームが鎮座している場所は。
(昔の人がどうしてたかとか全然わからねえし)
(昔の人が何を思ってこういう葬式みたいなんを作り上げたのかもわからねえ)
(うろおぼえでやって大丈夫なのかなんて全然わかんねーけど……)
思い出すのは、冷たく低く重いがどこか澄んだ声が告げた言葉だ。
彼ははっきりと言った。自分に頼んできた。真剣な、願いとして。
(頼まれたことを投げ出す真似なんて、できねえんだよ)
今思えば、彼もまた知ってしまった儀式の真実から目を背けられなかったのだろう。自分と同じように。彼はニールを指して「澄んだ魂を持つ」と言っていたが、それはかつて彼が言われた言葉だったのかもしれない。憶測でしかないが、そう思えた。
思考しつつ、淡々と足を進める。時折、場所を示すようにランタンを揺らしながら。
淡々と、足を進める。空気が徐々に重くなっていく。同時に、気分も悪くなっていく。周囲には死体が増えていた。あのあと塔に戻ってきた神官たちのものだ。ある者は柱の下敷きに、またあるものは足を瓦礫にとられ、そしてまたあるものは瓦礫に腹部を……。そして、全員が全員、顔を焼かれている。
思わず吐き出しそうになるが、惨状を極力見ないようにし、進む。やるべきことがあるから、先へ進め。そう、己に言い聞かせながら。
やがて、開けた場所が見えてくる。粉々になったドーム、砕けて倒れた柱。床のあちこちにはひびが走り、割れた大窓からは冷たい空気が流れ込んでいる。あの時とほぼ変化のない光景だ。
ただひとつ、変化があるとしたら――ドームあった場所に黒く巨大な蛇が鎮座していることと、その目の前で大量の血を流して倒れている人間がいることだ。他の神官よりもきらびやかな服からして、おそらくあれは大神官の成れの果てだろう。
それに少しだけ手を合わせ、再び前を向く。
神はそこにいる。鎮座している。真っ黒な目をこちらに向けて静かにうなずいている――。
「…………」
ニールはゆっくりとランタンを掲げた。
資料にはたしか、この時に言う祭礼の言葉も書かれていた。さて、その文言はどうだっただろう。付け焼き刃の知識を手繰り寄せる。
「神よ、そちらへ至り、眠るべき魂を……えっとなんだっけか」
そうして、一旦言葉を止める。
「……あー」
ニールは軽く頭を掻いた。なんか、このまま定型文を読み上げるのはどことなく違う気がするように思える。そう、本に書いてあった言葉をそのまま読み上げるより、確実に伝わる言葉で言ったほうがいいのではないか。
定められた儀式の祝詞より、確実に伝わる自分の言葉で。
ニールは再度、口を開いた。
「魂、ちゃんと連れてきたから。死んだのにちゃんと弔ってもらってない人たちの魂」
ランタンを揺らし、彼らの存在を指し示す。
「俺に出来るのはあなたのもとまで導くことだけだから、ここからはあなたの手でこの人たちを連れて行ってくれねえか」
神をまっすぐ見つめ、深々と一礼した。
「頼むよ」
しばらくそのままの姿勢でいると、神が高くいなないた。
思わず頭を上げ、一歩後ずさる。そんなニールの横を通り、幽霊たちが前へ進んでいく。
『神よ』
『我らの神よ』
『今そちらへ』
『そちらへ』
霊たちは神のもとへと進んでいく。一人が深く一礼し、神の中に吸い込まれていく。そうしてまた一人も。
あの神は死者を運ぶ船でもあるのだろう。死者を天国まで連れて行く船頭でもあるのだろう。
ニールは霊たちが神という船に乗っていく様子を見守った。
やがて、最後の一人が船に乗る。しばらくして、神は再び大きくいなないた。ふわり、とその大きな身体が浮かび上がる。空気を割いて、雲を割いて、空へと高く登っていく。青い光の軌跡を残しながら、神の姿は遠くなっていく。
その行く先は、きっと。
「……きれいだな」
ニールは、小さく呟いた。
(あとは、っと)
儀式の最後にすることは、ランタンを神の降り立つ場所へと置くこと。
覚えているとおりに、ニールはランタンを置く。それはすぐさま、青い光の玉となり、弾けて消えた。
きらきらとした光の残滓を眺めて、ニールは大きく息をした。
(んじゃま、ライラんとこ戻るか……)
ふと窓に目を向ける。
街には、家々には、光が戻っていた。
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