14話(終)

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14話(終)

◆◆◆◆◆  動画配信の収録は、一台何百万の機材に囲まれるテレビの撮影よりも幾分か気楽だ。  翔吾がテレビ撮影という仕事を初めて経験したのは今から一年ほど前の事で、ローカル番組の十分程度の特集コーナーだった。  初めて訪れたテレビ局のスタジオで、ロボットのようにごつくて立派なカメラと向かい合い、柄にもなく緊張していたのをいまだによく覚えている。 「ショウさん、そろそろ撮影始まります」 「はい」  ラフな格好をしたスタッフに声をかけられ、翔吾は読んでいた台本を静かに閉じた。  今日は有名な動画配信者からオファーがあって、ホストや風俗嬢といった他のゲストと並んで愉快で下品なトークを繰り広げる予定だ。  地上波と比べて動画配信は規制の線引きが甘めなので、とても子供には聞かせられないような過激な話が息つく間もなく飛び交う。 「ショウさんは、恋愛で苦労した事なさそうだね」  失恋続きだという風俗嬢の話が、翔吾に飛び火する。  翔吾は笑って、普通にありますよと答えた。 「好きな子に振り向いてもらう為に、どんな手段でも使ってた時期とかありますよ」 「えっ、何その意味深な言い方。怖いんですけど……。それでその好きな子とはどうなったの?」 「んー、秘密です」 「えー、怪しい! この動画を観ている女性の皆さん! この人には気を付けて下さい!」  室内が笑い声で満たされる。  撮影の時間が押していたせいか、翔吾の恋話がそれ以上追求される事はなく、あっさりと次の話題へと移った。  昼過ぎから始まった撮影は夕方頃に終わり、翔吾は帽子と眼鏡を装着してから手配してもらったタクシーに乗り込む。  翔吾の隣にはスーツを着た若い男性が座っていて、スマートフォンで電話をしたりメールを確認したりと忙しない。  彼は翔吾のマネージャーで、翔吾をマネジメントする会社に昨年就職したばかりの若手社員だ。  最初はマネージャーなんて大袈裟だと思っていたが、仕事の依頼が増えた今では様々な場面でその存在に助けられている。 「ショウさん。デリホスの方、来月の予約もう埋まっちゃったみたいですよ」 「後でスケジュール送っておいて」 「はい」  一番最初に受けたテレビの仕事を機に、翔吾の元には映像出演や雑誌撮影などの依頼が舞い込むようになった。  寝る間もないほど、とまではいかないが、今では毎週二・三件はデリホス以外の仕事がスケジュールに入っている。   そのせいで、と言うべきか、おかげさまで、と言うべきか、以前と比べると、デリホスの予約を受けられる日はどうしても減ってしまった。  それに加えてメディアへの露出が増えた事で注目が集まり、その限られた枠はいつも争奪戦だ。  予約開始から十五分と経たずに一ヵ月分の枠が埋まってしまうので、客達はいつも阿鼻叫喚だろう。  一部界隈で名が知れたのを好機と言わんばかりに会社がショウの指名料を大幅に値上げしたのだが、それをものともしない盛況ぶりが続いている。  おかげで、かつてサイトのNo.3であったショウは、いまやぶっちぎりで先頭を走る稼ぎ頭となった。 「それじゃあショウさん。僕はこのまま事務所に戻りますので、お食事楽しんで下さい」 「有難う。また明日な」  翔吾だけが途中の道でタクシーを降りて、事務所へと帰るマネージャーを見送った。  翔吾が降りた場所は所謂高級住宅街に近いからか、建物も人間もごみごみとしておらず、洗練されたデザインの家屋や瑞々しい樹木の葉が目に優しい。  手入れの行き届いた街路樹の下を少し歩くと、目的の場所が見えてくる。  陶器瓦に土壁の日本らしい外観をした店舗で、出入口となる格子戸には和食処と書かれた暖簾が揺れていた。  暖かな色の照明で満たされた店内は完全個室制で、襖によって客席が仕切られている。  あちらこちらから客の話し声が聞こえるが、大声を出して下品に騒ぐような輩は一人もいない。  白い前掛けをつけた着物姿の女性店員が愛想良く出迎えてくれて、名前を告げればすぐに席へと案内してくれた。 「翔吾、久しぶりだな!」  示された席の扉を開けると既に男が座っていて、翔吾の姿を認めるなり嬉しそうに声を弾ませた。  翔吾は上着をハンガーにかけ、帽子と眼鏡も取って男の向かい側に腰を下ろす。 「兄貴、元気そうじゃん」 「あぁ、元気にやってるよ。翔吾は変装なんかして、すっかり芸能人だな」 「やめろよ」  からかうように言われ、苦笑を浮かべる。  兄とは時折電話やメッセージで連絡を取り合っているものの、こうして顔を合わせて話すのは久しぶりだ。  そう遠くはない場所で暮らしているので、会おうと思えばいつでも会える距離なのだが、平日が忙しい教師の兄と、土日が忙しい接客業の翔吾では、予定を合わせるのが少し厄介だった。  タレント業を始めて余計に時間の調整が難しくなった今は、尚更に会いにくくなった。  今回こうして一緒に食事が出来るのは、兄の方が翔吾に予定を合わせてくれたからだ。  兄はこの場に妹の事も誘ったそうだが、あちらはいくつか隣りの県に住んでいるのでそう簡単には顔を出せない。  妹から兄には断りの連絡があったそうで、翔吾の方にも、兄達ばかりで美味しい物を食べてずるい、と、恨みのこもったメッセージが届いた。 「翔吾は盆正月もなかなか実家に帰って来ないから、こんな機会でも作らないと顔を見て話したり出来ないからな」  兄が翔吾を食事に誘ったのは、何か大事な話がある、とかではなく、ただ顔を見たいからという気楽な理由だった。  家族の事は嫌いではないが、会わないなら会わないで別に支障を感じない翔吾とは違い、家族思いの優しい兄はこうして顔を合わせて語らう機会を作ろうとしてくれる。 「父さんと母さんは俺が帰って来たら嫌だろ。あんなに俺の事恥ずかしい恥ずかしい言ってるんだから」 「そうか? 喜ぶと思うけどな。だって二人共、翔吾が出たテレビとか動画とか、いちいち保存してるんだぞ。雑誌も買ってたかな。それでそれ見ながら、二人で恥ずかしい恥ずかしい言っててさ」 「何だそれ」  寝耳に水な話に、思わず笑いが込み上げる。  自分が両親に嫌われているとか、兄や妹と比べられてひどく差別されているとか、別にそういう事は感じない。  実家に帰れば、どの面下げて帰って来たんだ親不孝者と言いながらも、テーブルいっぱいの料理と酒でもてなしてくれるのだろう。  そうと分かっていても家族から距離を取ってしまうのは、両親よりもむしろ自分の方が生き様に後ろめたさを感じているからなのかもしれない。 「デリホスの仕事もまだ続けてるんだろ? 大変じゃないか?」 「んー。でもタレントの仕事一本に絞るのもな。今は稼げてても、俺みたいなのは絶対一発屋で終わるし」 「そうか?」  注文した酒や料理が届いて、テーブルの上に並んだ。  それをだらだらと口にしながら近況を語る。 「まぁ、デリホスだっていつまでも続けられるものじゃないし、そのうち他の仕事探さないとなって思ってる。今は将来贅沢する為の貯金を作りたくてあくせく働いてる感じ」 「へぇ、結構考えてるんだな」 「兄貴の方はどうなんだよ。人妻教師に手を出したって聞いたけど」 「ちょ……っ、人聞きの悪い言い方するなよ……。そういう関係になったのは、彼女の離婚が成立してからなんだから……」  兄は気まずそうに肩を丸め、酒の入ったグラスに口を付ける。  恋人どころか恋愛自体がご無沙汰だった兄が、久しぶりに胸の高鳴る出逢いをしたらしい。  今年の春に赴任して来た年上の女教師で、彼女が旦那と離婚したのを機に良い仲へと発展したそうだ。  彼女は既に離婚調停中だったとは言え、まだ既婚の段階で恋慕を抱いてしまった事が兄は今でも少し後ろめたいらしい。  けれど彼女が現れてくれたおかげで、兄の中で元恋人である幸尋の存在はすっかり過去になったようだ。  それまでは幸尋のスマートフォンに何度か着信があったり、はっきりとは言わずとも幸尋の事だと察せるような相談を持ちかけられたりして、不愉快で仕方がなかった。 「ああ、もう、俺の話はいいって。話す事がないくらい円満にやってるよ。俺よりも翔吾はどうなんだ? 同棲してる今の彼女、元々デリホスのお客さんだったんだろ? 会社的には大丈夫なのか?」  兄は照れたように自分の話を打ち切り、話の矛先を無理矢理翔吾へと向けた。  付き合っているのは“彼女”ではないが、訂正する必要性を感じなかったのでそのまま話を進めた。 「まぁ、恋人とか同棲はともかく、客に手を出したのは規則違反だし、社長に白状した時は怒られたけど、売り上げに貢献してる分結構多目に見てもらえた。世間にはバレないようにしろよ、って、今でもうるさいくらい言われるけど」 「そうか、こそこそしながら付き合わないといけないなんて、苦労するな」 「そうでもないよ。あいつの顔を見る度に、あぁ幸せだなって思ってる」  翔吾があまりにも堂々と断言するものだから、兄は一瞬面食らったような顔を見せた。  けれどすぐに穏やかな笑顔に変わって、弟が幸福な人生を過ごしている事を喜んだ。  優しい兄を前に、翔吾も頬杖をつきながら笑みを浮かべる。 「まぁ、あいつはもう二度と兄貴には会わせないけど、俺がちゃんと可愛がってるから心配しなくていいよ」  兄は翔吾の言葉の違和感に気付かなかったのか、そんな意地悪するなよ、紹介してくれよ、と、何も知らないままおどけて笑っていた。 終 ◆◆◆◆◆  最後まで読んで頂き有難うございました。  匂わせエンドみたいな終わり方が好きなもので、なんともモヤモヤする最後になってしまい申し訳ないのですが、少しでも楽しんで頂けたのなら嬉しいです。  近々、全14話をひとつにまとめた一気読みverをPixivの方にアップする予定ですので、興味を持って頂けましたら是非そちらもよろしくお願い致します。
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