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再会
坂道を登り切ったところで、私の回想は終った。
いや、終わらずにはいられなかったのだ。
私はただ愕然としている。
どうしたのだろう。
彼の家は荒れ果てていた。窓ガラスも割れたものがあり、ひとがやってこない荒れ地にある、忘れ去られた建物を私は思った。
家の横に回ってみた。そこにある台所の小窓から家の中を覗いたが、やはり暗く淀んでいて、ひとが住んでいる気配は全くなかった。
あたりは昔と変わらぬ町だと言うのに、彼の家だけが闇のなかに重く沈み込んでいるのだ。
悲鳴を上げるようにして、私は彼を呼んだ。
「優志」
彼はこの家で暮しているはず。彼が実家に住んでいると、友人から聞いていた。二年前、彼はアパートを払っている。
「優志。私やよ」
彼はきっと、疲れて眠りこんでいるのだ。目が覚めたら、家じゅうの灯りを点けるのだろう。
彼が起きるまで、ここで待っていようか。
あどけない声がした。
「お母さん。ここ、真っ暗やね」
所在なく立つ私の前を、小さな女の子が母親と通りすぎていく。
「何年も空き家やからね」
母親の言葉が私を打ちのめした。
しかし、私は喜びの声を上げた。
道路のほうから足音が聞こえてきたのだ。
門が開く音に続くのは、土を踏む靴のやわらかな音。
「うちに御用ですか」
そう尋ねながら、彼は訝し気に闇のなかからこちらを見ていた。
私が分からないようだ。少し寂しいが、それで当たり前だと私は思った。十九歳の春から私達は会っていない。
「優志。久しぶりやね」
私の声にはっとして息を呑む彼。
私の顔を凝視してから、確かめるように言うのだった。
「美沙子、なんやろな」
「うん。私、美沙子やよ」
彼は何か言おうとしたが、黙ってしまった。
「今日は留守なんかと思たわ」
彼は家を見上げた。
「俺な、もう引越ししてん。けど、今日はなんか気になってな、ここまで来てみたんや」
私の強い想いが彼をここに呼びよせたのか。
「引越し、お母さんも一緒に行きはったん」
彼は顔を曇らせた。
「おかんは病気してな、とうに故郷に帰ってるわ。俺一人で引越ししてる」
胸が塞がれる思いになった。彼のお母さんは優しいひとだった。
「おかん、死ぬときは故郷がええって言うたもんから」
「分かる、その話。私も故郷がほんまに恋しいもん」
彼は眉をひそめた。
「お前、幸せやないんか」
私は自分の気持ちを隠さなかった。
「優志と結婚してたら、もっと幸せやったかもな」
彼は寂しい笑みを浮かべるのだった。
「あの夜からお前に嫌われたと思てたわ」
「ごめん。優志の優しさ、結婚してから分かったんよ」
私は泣き出しそうになっている。彼との愛を掴めなかった自分が悲しいのだ。あの夜、自分がもう少し大人だったなら、彼と幸せな朝を迎えられたはず。
「あれは、私が怖がったからやね。駅まで私の後ろをついてきたんも、夜道で危ないって心配してくれたんやわ」
「そっか。分かってくれたんか」
彼はしんみりとした。
「今となっては、あれで良かったと思とるよ。お前は他の男と結婚したんやから」
私は彼に訴えた。
「けど、優志。私はまだ、夫の色に染まってへんの」
彼の痩せた体がぶるぶる震えている。
それは、夜の冷気がひたひたと私たちに忍び寄るからなのか。
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