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小春日和の日
新婚初夜。
夕食を済ませた私達はホテルの部屋に戻った。
「疲れたか」と夫が優しく笑った。
私は微笑んだ。
スーツの上着を脱ぐ夫の背中を見つめていた。
今夜、私は自分のすべてを露わにして、このひとを受け入れることになる。そうして、私は夫の色に染められていくのだ。
不安はあった。
彼と別れた夜を、私は今も覚えている。あのとき、私は男の怖さを思い知った。
私は自分に言い聞かせた。
「心配ない。夫となら、大丈夫」
私よりも七歳年上で穏やかな性分の夫なら、彼みたいに乱暴なことは絶対にしないはず。そう、一年以上も付き合っていたのに、夫が私の体に触れることはなかった。
夫が私の肩を引き寄せる。
私は目を閉じて夫に従うだけだった。
私には初めての経験だったと分かったようで、夫はとても喜んでくれた。
それならば、私も夫の色に染まることも出来るだろう。女は男の色に染まると言うではないか。
結婚して半年を過ぎた頃。
ある小春日和の日、私は夫に連れられて実家を訪問していた。
義妹も家族で来ていたのだが、二才になる姪が退屈してしまったのだ。
義母は縁側に大きな座布団を持ってきて、ぐずる姪を座らせようとした。天気の良いであったから、姪に庭を見せようと考えたようだ。
義母が姪を抱き上げて、座布団を引き寄せたときだった。
姪の泣き声が座敷中に響いた。
火がついたように泣くとは、このようなことを言うのだろう。
義母の手元が狂って、姪は座布団から庭に滑り落ちたのだ。真っ青な顔になって、縁側から姪に手を差し伸べる義母。
しかし、庭に落ちた姪はすっかり怯えていた。義母が伸ばした手から逃げようとして、懸命に小さな体を地面に転がしている。泣きながら懸命に「イヤイヤ」をするのだ。
義妹が駆け付けて「大丈夫。ね、泣かないで」と姪を抱きあげた。
そうして、義妹は庭をゆっくりと歩きまわるのだった。
私は悟った。
あの夜、彼はベッドから滑り落ちた私を助けようとしただけ。
義妹に抱きついて大声で泣く姪は、あの日の私だったのだ。そして、青ざめて言葉も出ないでいる義母は、あの日の彼そのものだった。
溢れる涙が頬を濡らした。
優志、ごめん。
私、今頃になってから分かった。
姪につられて私まで泣きだしたと、その場にいた皆は大笑いをした。
涙の理由を言える訳もなく、私はハンカチで涙を拭うばかりだった。
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