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「あのさ、昨日って駅前の居酒屋にいたよね?」
「い、いましたけど……」
「その時さ、ぶっ倒れてた俺の介抱してくれたのって相沢じゃない?」
翠はプイッと顔を背けると、犬と一緒に再び歩き始めたので、律も慌てて自転車を押して追いかける。
「……何のことかわかりません。店員さんが介抱してくれたか、夢でも見たんじゃないですか?」
「えっ⁈ やっぱり相沢も夢オチって言うの⁈」
律の問いかけに返事はなかった。
「相沢ってば!」
彼女の手を取って引き留めた律は、昨日と同じひんやりとした掌の感触に思わずハッとした。
「やめてください! いきなり何ですか!」
顔を真っ赤に染めて手を振り払う様子が、まるでデジャヴのように記憶を甦らせていく。
「この手の感触、ちゃんと覚えてる。やっぱり相沢だろ? なのになんでとぼけるの?」
「そ、それは……! だって先輩があんなことをしたから……」
翠は恥ずかしそうに両手で顔を覆うと、その場にしゃがみ込んだ。翠が言っているのはキスのことに違いない。
律は頭をぽりぽり掻きながら、翠の正面に同じようにしゃがみ込む。
「だ、だから、あれが夢じゃないなら謝ろうと思って……。あのっ、突然キスなんかしちゃってごめん……」
すると翠は両手を少しだけ下の方にずらすと、口元を押さえたまま律を上目遣いで見上げる。
「……どうして私だって思ったんですか?」
「ん? いや、友達にあの店にいたグループの写真を見せてもらったんだ。その中で一番親しかったのって相沢だし、なんとなく話し方とか声とかも……。でも相沢が俺の頭を撫でるとか想像つかなかったから、夢じゃなかったことに正直戸惑ってる」
律の言葉を聞いた翠はどこかがっかりしたような表情を浮かべると、ゆっくりと立ち上がり彼に背を向けて再び歩き始める。
「……先輩にとってはただの後輩の中の一人なんですよね。そんな子にキスなんかしたら気まずいのは当たり前だわ」
「えっ……相沢?」
「もし私を見つけてくれたら、ちゃんと気持ちを伝えるつもりだった……でも結果が目に見えているのに伝えるなんて馬鹿みたい……。先輩は付き合えれば相手は誰でもいいんですもんね。だからもう言いません」
翠の口から発せられた思いがけない言葉に、律は目を見開き硬直した。だがその間にも翠との距離は広がり離れていく。
高校生の頃の俺だったら、このまま彼女の背中を見送って終わりだろうな。でも今はその言葉の真意を明らかにしないといけないって思った。
「ちょっと待ってよ!」
「待ちません。もう話すことなんてありませんから」
「だ、誰でもいいわけじゃないから!」
すると翠は立ち止まり振り返ると、怪訝そうな顔で律を見つめた。
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