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 電車で2時間、バスで40分。やっと目的地の山に着いた。新興住宅地の裏にある小さな山だ。ニュースで言っていた通り、そこそこ人がいる。行列で進めないと言うほどではないが、必ず視界に人は入る。 「カメラをすぐに構えられるようにしとけ。」 「はいはい。」 偉そうな椚丸に、暁は気のない返事をした。さっさと筆を見つけて、解放されたかった。 暁のカメラは今はなき祖父から譲り受けたものだった。母の実家に行く度、祖父と一緒に散歩し写真の取り方を教えてもらっていた。みのり渓谷は撮影場所の一つだった。 椚丸が言うには、このカメラがあちらとこちらの世界を繋いでいるらしい。天狗の椚丸はわざとカメラに写り、暁に自分を見えるようにさせたのだそうだ。だから今回も、筆を盗んだ天狗を撮影する必要があるのだ。椚丸は今人間の姿だ。天狗の気配は感じられても、接触することはできない。 椚丸は、山道を外れてずんずん深い茂みの中を進んで行った。周囲に人の姿はなくなった。暁はついていくのに精一杯で、時折遅れては赤い紐で結ばれた手首が引っ張られた。 20分程歩いたところで、ぴたりと椚丸は止まった。 「あの銀杏の木、あれを撮れ。」 暁は言われた通り、腕を固定し銀杏の木を画角に収め、シャッターボタンを押した。 「おい!お前、俺の筆を返せ!!」 銀杏の木のてっぺんに向かって、椚丸が叫んだ。みのり渓谷で見た椚丸と同じような格好の天狗が、そこにはいた。こちらは長い髪を三つ編みにして後ろに垂らしている。 「お前…椚丸か!人間に憑いたのか。」 振り返って驚いたようにその天狗は言った。そしてすぐにふわりと宙に浮き、飛び去ってしまった。 「この…待て!!」 椚丸はその天狗を追いかけて走り出す。 「お、おい!ちょっと待てよ!」 暁の訴えは、椚丸の耳には入らなかったようだ。暁は半ば引きずられるように、道なき道を進んだ。 突然椚丸が立ち止まった。勢いを殺しきれず、暁は椚丸の背中にどん!とぶつかってしまった。 「うおっ!!」 「うわぁ!!」 先は崖になっていた。椚丸は暁に押し出される形で落ちて行く。暁は赤い紐に引っ張られ一緒に谷へ転がっていった。 暁が気が付いたときに目に飛び込んだのは、鮮やかな紅葉と青い空だった。はっと自分の状況を思い出し体を起こした。 暁は色とりどりの葉の絨毯の上に仰向けに転がっていたようだ。手足を確認した。少し痛みはあるが、きちんと動く。左手首の赤い紐はそのままだったが、先を目で辿ると切れていた。 切れた紐の先にうつ伏せに椚丸が倒れていた。 「おい!椚、大丈夫か!?」 目立った外傷はなかったので、暁は椚丸を仰向けに返した。軽く頬を叩いたが、反応はない。 そこで初めて気が付いた。椚丸の顔が少し幼くなっている。体もやや小さくなっているようだ。 紐が切れた影響だろうか。…紐が切れた? 今なら逃げられる、という考えが頭をよぎった。 いや、倒れた人を置いてどこかに行くなんてとんでもない…しかし、よく考えればこいつは人ではない。それに、自分の都合で勝手に憑いてきたのだ。ここまで付き合ってやっただけでも十分ではないか…? 椚丸の顔はさらに幼くなった。10歳の子供ほどだ。 突然、暁の脳裏に映像が蘇った。あれは祖父が亡くなった日だ。紅葉のきれいなみのり渓谷。一人、カメラを構えた自分。フィルター越しに覗いた景色が真っ暗になる。現れた天狗。 そう、暁は椚丸に会ったことがあった。  
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