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そんなことあるかな、と疑いつつ訪れた秋のみのり渓谷。
暁(あきら)は毎年、趣味の写真を撮りに来ていた。この時期になると、なぜか必ず行かなくてはならないという気持ちになるのだ。大学生になった今年も電車に2時間ほど揺られ来てみたが、ホームページの情報通りだった。
紅葉が、見られない。
木々の葉は、青々としている。気温は例年通り下がってきているのに、葉っぱ達だけが季節においていかれていた。
「まあ、珍しいから逆に撮る価値はあるかもな…。」
小さく一人つぶやき、暁は脇を締めカメラを構えてフィルターを覗き込む。ここだ、と景色を切り取ろうとシャッターを押した瞬間、真っ暗になり何も見えなくなった。虫だか葉だかがレンズに張り付いたか、と思い顔をカメラから離した。
「うおおっ!」
暁は思わずカメラを手放してしまった。ストラップのかけてある首に、カメラの重みをがくんと感じる。
レンズに大きな虫が張り付いていた、と思ったが違う。虫ではない。何だこれ…。
暁が呆気に取られている間にそれはレンズから離れ、パタパタと目の前で羽ばたいた。
「見えてんのか?」
「ひぃっ!」
暁は思わず後ずさった。突然言葉を発したそいつは、サイズはハトよりも小さくスズメよりも大きい。鋭い目つきで和風の服を着た男だ。背から黒い羽が生えている。暁はくるりと背を向け全速力でその場から離れた。怖い、不思議、信じがたい。
「待てよ!頼みがあるんだ!」
謎の生き物は非常に素早く、あっという間に目の前に回り込まれてしまった。
「探し物を手伝ってほしいんだ。不躾なのは重々承知さ。でも、俺も背に腹は代えられない状況なんだよ。」
「わかったよ…話だけなら聞くよ。」
暁は逃げきれないと思い、折れた。案外すんなりこの奇妙な相手の存在を受け入れている自分がいることに驚いた。
「悪いな。俺は椚丸(くぬぎまる)。お前は…。」
「…暁。」
名前を伝えてもいいものかと迷ったが、咄嗟に嘘を吐けず言ってしまった。
「暁、お前はこの葉っぱ達をどう思う?」
そう言って、椚丸は話し始めた。
椚丸は神の使いの一種だそうだ。天狗と呼ばれることもあると言う。椚丸は神様からこの地域の木々の管理を任されている。具体的には、彩を与える役割だ。特殊な筆を使って木々を染めるのが彼の仕事だ。春には薄ピンクに桜を染め、夏には瑞々しさを含んだ緑に葉を染め、秋にはほっこり心温まる橙や黄色に葉を染めていた。冬には色を抜き取り、木々を休ませる。そんな風にして、彼は一年間木々を管理していた。
「それが、困ったことに筆を盗まれちまったんだ。」
そろそろ秋の色に木々を染めなくては、と筆を持ち木のてっぺんへ飛んで行こうとしたところで、突然カラスに筆を奪われてしまったのだ。
「筆がないと、どうなるんだ?」
暁の質問を聞いた椚丸の顔は、青ざめていった。
「このまま放っておけば、自身の精力を使い切って木々は枯れはてちまう。そして俺は、神様から…。」
「神様から…?」
椚丸は口に出すのも恐ろしいと言った様子で、言葉を中途半端に切ってしまった。もしかして消されてしまうのだろうか、と暁は心配になった。
「すげぇ、怒られる。」
「なんだ、怒られるだけか…。」
安心したような呆れたような気持から出た暁の言葉に、椚丸は他人事だと思って!と憤慨している。
「ごめんごめん。でも、俺カラス探すのなんて、役に立てなさそうな気がするんだけど…。」
椚丸はあのカラスは自然のものではなかったと言う。誰かが操って故意に筆を取っていった。その何者かは椚丸の管轄内には、少なくとも今はいない。管轄外に出るには人に憑くしかないのだそうだ。
「ということで、しばらくお前に憑くことにする。」
「え、憑くってどういうこと!?」
心配すんな、とだけ言って椚丸は両手の指を複雑な形で合わせ、目を閉じてお経のような言葉を唱え始めた。暁がどんなに呼びかけても反応しない。
「俺まだ協力するなんて…。」
椚丸がかっと目を見開いた瞬間、まばゆい光が辺りに満ちて暁は思わず目を覆った。
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