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大きな鐘の音がガンガンガンと青い空に響き渡った。
「あいつらこんな日にも攻めて来るのか!」
一族に伝わる婚礼着に身を包んだ大柄な男が膝を打ちながら叫んだ。
隣に座る髪の長い端正な顔立ちの女性に「すまない」といい置き、席を立つ。
その場にいた数名の男も同時に席をたった。
「しまこ様、いかように?」
一人のヒョロ長い青年が婚礼着に身を包んだ男の横に立ち耳打ちをする。
「しまこ」と呼ばれたその男はヒョロ長い男に「待て」と言い捨てた。ヒョロ長い男はしまこの横にピタリと張り付きながら黙して走る。
高い物見台に着くと眼下には多くの人間が武装して集まっているのが見えた。
「ながひこ」
しまこと呼ばれる男が声をかけるとヒョロ長い男がスッと近くによる。
「あれは倭かそれとも出雲か」
ながひこと呼ばれた男が「出雲でございます」と答える。
しまこは大きな腕を組んで少し宙を見据える。
「何故だ。彼女との婚姻で縁を結んだではないか」
今日まさに婚礼を行なっていたのは出雲の国からきた姫だ。婚礼によって出雲族と温羅族の縁を結んだとしまこは思っていたが違ったのか。
もちろん、しまこはこの婚姻を人質のつもりもなく、出雲の国との縁を結ぶためでもなく、ただ彼女を好ましく思い妻にと願った。彼女もそうだと思っていたし、出雲の王も承知してくれたことだった筈だ。
しまこはながひこに此処に残るように伝えると直ぐさま来た道を戻る。
物見台へ来た時よりも早いスピードで走り抜ける。
そこは先ほどまでの祝い事の雰囲気とはうって変わり、場の中心に座る端正な女性を皆が睨みつけていた。
一番末端に座っていた年老いた老婆が立ち上がりしまこに縋り付く。
「だから、ババが言ったじゃろう。アレは災いを運んでくると。だから、ババは反対したのじゃ」
しまこは老場の手をとり、自分から引き離す。
「トヨは知らなかったことだろう」
そして、真っ直ぐに場の中心に座る女性の目を見た。
トヨと呼ばれた端正な顔立ちの女性はしまこを見て微笑んだ。とても綺麗な笑顔だ。
「しまこ様は信じて下さると信じていました。もしかしたらと思い、父が婚姻の約束の手紙を放った後に直ぐに故郷をたちこちらに参りました。私はしまこ様以外の旦那様など考えられません。私も戦います」
トヨが立ち上がる。
「女に何が出来るというのか」
トヨの二倍もあろうかという大男が声を張り上げる。
しまこもトヨもそちらに目を向けた。
「もうトヨ殿はしまこ様の妃だ。温羅の男は妃の盾になろうぞ!」
その場にいた男達がその声に続けとばかりに腕をあげ声を上げた。
その場にいる女達はサッと立ち上がる。
「そうと決まれば戦の準備だ」
トヨに一番近い場所に座っていた女性が声をかける。
「母上、ヨナ」
しまこが声をもらす。
しまこの後ろで老婆がブツブツと唸っていたが誰もが戦に向けて動き出した。
東の麓に見える出雲族の戦士達を確認しながら戦の準備を進めている時、西側から婚礼の祝いと言って客がやってきた。
懇意にしている近隣に住まう猿女族だ。
荷車を沢山持って来ていた。
しまこは婚礼の最中に出雲族から攻められていることを猿女族に話、協力を仰いだ。
猿女族の遣いは、「それは大変だ」と大袈裟に騒ぎ、「急ぎ帰り、援軍を連れてくる」と踵を返した。
猿女族が持ってきた婚礼の祝い品は荷車に積んだままだ。
日が傾き始めたころ、出雲族が砦に攻めてきた。
男達はしまこの指揮のもと、東の戦に出陣していた。
それと同時に事は起こった。
猿女族が持ってきていた婚礼の祝いの品が動き始めた。
誰もが出雲族との戦で気にも留めていなかった荷車から数人の男が出現し、刀を振り回し、温羅族の女達に切り掛かったのだ。
温羅は女達も戦の心得があった。
そのため、一方的にやられる事はなかったが、それでも苦戦を強いられていた。
猿女族の男の一人が温羅の女達に捕らえられたその時、援軍を連れてくると言った小さな男が数人の男を連れてやってきた。もちろん、それは温羅への援軍ではない。
やっと一人捉えたのに、、、
一瞬の隙をつかれ、数人の温羅の女が血を流して倒れる。それを皮切りにバタバタと一気に倒されて行った。
猿女族の小さな男はトヨを見て男達に指示をだす。
「あの髪の長い女性がトヨ姫だ。傷つけてはならない。必ず無傷で手に入れろ」
そして、しまこの母に目をやり嫌らしくニヤリと笑った。
「しまこの母親を見つけたぞ」
しまこの母は強い目をその男にむけ、短剣を構えた。
「そんな事をしてもムダですよ。所詮は力のない女性ですから。私も、こんな身体で剣では同族にさえ負けてしまいますから、温羅族の男達とは戦えませんよ」
小さな男は戯けた調子でしまこの母に近づいていく。
そして、その間合いが腕2本分になったとき、一気に距離を縮められ、しまこの母は後ろでにちいさな男に捕まってしまう。
「私なら勝てると思いましたか?甘いですね。私も一応男ですから、貴女よりは強いんですよ」
猿女族の小さな男は別の男にしまこの母を捉えさせ、トヨの方に目を向ける。
トヨはその一連の出来事を見ていた。
そして、トヨは何も出来ない自分に苛立っていた。
「おかぁ!!」
悲鳴のような子供の声がそこら中に響き渡った。
戦で危険だと森の奥に避難させていた子供の一人が母恋しさに里に帰ってきたのだ。
女達が倒れている。
その中の一人がその子の母親だった。
トヨは自分の顔が歪むのを感じた。
子どもにそんな声を出させてしまったそのことに悲しみと怒りが湧き上がる。
その子に手を伸ばした瞬間、その子の首が宙に飛んだ。
「ヒッ!」
喉の奥から甲高い声が漏れる。
なんの躊躇いもなく剣を振るった小さな男。
トヨもしまこの母もその残忍さに恐怖を覚えた。
「え?子どもは殺さないとでも思った?子どもこそ残してたらダメでしょう。怨嗟の渦を生むだけだ。それに可愛そうでしょ、親を殺されて残される子なんて」
彼の瞳に狂気の色が浮かぶ。
「もうね、きっと皆死んでると思うよ」
数人の猿女族の刺客がいなくなっていた。
もう立っているのはトヨとしまこの母のみだ。
「貴様!何をしている!」
怒気をはらんだ地を這うような声がその場を支配する。
あたり一面に倒れた女達。
女達の血が地面にしたたり、赤く染まっていた。
赤い地面に鬼の形相で立つのはしまこだ。
出雲族との戦の途中、胸騒ぎを覚えたしまこはながひこにその場を任せ、里に戻ってきた。
戻る途中、子供の悲鳴が聞こえ、唯ならぬものを感じたが、感じた以上の悍ましい出来事が起きていた。
フツフツと腹の底から怒りが込み上げてくるのをしまこは感じていた。
猿女族のその小さな男の口角が初めて下がる。
「しまこ、貴方にとって大切な女性を2人残してあげているよ」
しまこは何も言わない。
ただその男を睨みつける。
しまこは感じていた。彼が何の躊躇いもなく母も妻も殺してしまう人間だという事を。
しまこは考える。どうすれば2人とも助けることができるのか。
それと同時に目に前に広がる血の海に救えなかった命を目の前にして、自分の強さなど役に立たないと感じるのだ。
「どうする、彼女達の代わりにしまこは死ねるかな?」
目はしっかりとしまこを捉えたまま、戯けた調子でしまこに問う。
しまこもしまこの母もそしてトヨもしまこが自ら死んだとしても決して母の命は助からないと知っていた。
猿女の男達もしまこが自害するとは思っていないようで、一度に何人もの刺客がしまこに襲いかかる。
しまこは強い。
何人いようとも並の人間には到底倒せるものではなかった。
「そうだよね」
激しい戦の現場に似つかわしくないまったりとした声が聞こえる。
「しまこがそんなに弱いわけないもんね」
そういいながら男が動いた。
一瞬の出来事だった。
素早い動きで猿女の男に後ろ手で囚われていた母の首が飛ぶ。
トヨは今度こそ大きな悲鳴をあげた。
しまこはその場に立ち尽くす。
あまりの気迫に猿女の男達は近寄ることが出来なかった。
しまこは鬼のような顔をもっと歪め、人ならざるもののように猿女の男に切り掛かり、数人をアッと言う間に倒してしまう。
猿女の小さな男が笑った。
その瞬間にその男の首が飛ぶ。
その首がしまこの足元に落ちてくる。
その男は笑っていた。
トヨを捉えていた男はトヨの手を離し、その場を逃げようとした。しかし、その男は足を止めた。
ガサッと音がした。
茂みから顔や体に刺青を施した別の男達が顔を出す。
トヨの声が夕焼けに染まり始めた西の空に吸い込まれていく。
「お父様、なぜこのような事を、、、」
そこにいたのは東の麓で戦をしていたはずの出雲族の男達だった。
しまこは小さく「すまない」と呟いた。
誰に向けた謝罪なのか、、、
しまこの頭には、東の戦場に残してきて仲間の顔が思い出されていた。
出雲族の男達は容赦なく、しまこの頭に思い描いた男達の首を乱暴に投げ捨てる。
幼い頃から共に過ごした一番信頼を置いていたながひことトヨを守ると言ってくれた大男のヨナの首もあった。
「もう観念するが良い。トヨはやらん。出雲の姫をなぜ貴様らのような下賤の民の元に送らねばならない。野蛮で下賤な貴様らは滅びるが良いのだ」
出雲族の王が忌々しげにしまこを見ていた。
しまこはその言葉に少なからず安心していた。
出雲の男達はトヨまで手にかける気はないらしい。
しまこは手に持つ剣を握りしめる。
出雲の男は猿女の男よりも強いものが多い。
一人でどれだけ持ち堪えることが出来るだろうか?
自分がこの場で死ぬであろうことを考えていることに気づきしまこは笑った。
それを出雲族の男達は余裕の笑みだと感じたのだ。
しまこはそれほどまでに強かった。
しまこ一人に十数人の男が取り囲む。出雲の男達もこの日のために散々皆で練習していた。烏合の衆ではない。一度に命を奪われるような深手は負わないが、身体中に沢山の傷が出来る。対してしまこは思うように敵に斬りつけることが出来ないでいた。
トヨは既に父王の元に連れていかれている。
トヨの心は既にしまこのものだった。
トヨはしまこのために祈る。
自分に今できる事は祈る事だけだったから。
しまこは男達の間を掻い潜り360度取り囲まれた状態からやっとのことでしまこが南に位置し、出雲の男が北に位置する状態にする。
しまこはフッと息を吐きサッと辺を見回した。
深い山の緑にピンク色の空が広がる。上を見上げればまだ青い空だ。
我らの故郷は美しい。
しまこは最後にトヨを見た。
トヨ、幸せに生きて欲しい。
しまこの心に祈りに似た思いが湧き上がる。
一瞬目を瞑り、あけた瞬間に男達に背を向けしまこは南に走る。
南は切り立った崖になっていた。
崖の下に広がるのは緑の木々だ。
その中には小さな川も流れていたと思う。
そこはしまこの小さなころの遊び場だった。
このまま出雲の男達に首を取られるのは嫌だった。
しまこは一か八かの賭けに出ることにしたのだ。
この地で死ねるならそれも本望。
しまこの足は早い。
全力で走るしまこには誰も追いつけない。
しまこは後ろを振り向くことをせず、崖に飛び込んだ。
後ろから追いかけていた男達が大きな声を上げる。
「しまこが崖から落ちました」
「私たちの勝ちでございます」
しまこはその叫び声を最後に意識を手放した。
トヨはしまこが崖から飛び降りる様を見ていた。
トヨにはしまこの心が伝わってきた。
だからこそ、祈り続けた。心の中でしまこの無事を。
「馬鹿者どもが」
父王の忌々しげな声が聞こえる。
父王も崖から落ちてでも生きる事を選んだしまこの心情が伝わっているのだ。
「最後まで嫌な気分にさせる男だ」
それでも、これで温羅一族の討伐の終わりを宣言する父王にトヨは言いようのない憎しみが湧き上がる。
「トヨ、その目はなんだ。そんなにあの男が良かったのか。しかし、其方はこらから倭に嫁に出す」
父王の容赦のない声がトヨにかけられる。
トヨはもう一度、父王を睨みつけた。
トヨを押さえていたのはトヨの兄だ。
「父上のことはお前もよく知っているだろう。覚悟を決めろ」
トヨは兄も睨みつける。
トヨの口から言葉は出てこなかった。
その日の夜、出雲族の戦士達は猿女族の故郷に来ていた。
猿女族の王は出雲族の王に仕切りに頭を下げていた。
汚らしいものを見るように猿女族の民を見るのはトヨとトヨの兄だ。
トヨの兄は心が弱い。
父王が怖いのだ。
猿女族の用意した寝所で横になっていたトヨは自分の中に新しい命を感じた。気のせいかもしれない。
それでも確かに腹の奥で微かに息づく生命。
しまこ様が繋いだ命。
トヨはもしこの命が真実だとしたら、生まれてきても生きることが出来ないと察せられた。
トヨはこの時、出雲のから逃げる決意をしたのだ。
決意をしたトヨは早い。
弓と矢を持ち、短剣を懐に入れる。
食べ物も持って行きたいところだが、それは魚を釣ったり木の実を取ればいいだろうと判断する。
外に出て空を見上げると満天の星と真丸のお月様が見えた。
今日は満月。
満月の良い日に婚礼をとしまこが言ったのだ。
しまこの顔が瞼の裏に見えた。
しまこの声が脳裏に聞こえてくる。
「無理はしないでくれ」
クスリとトヨは笑った。
しまこ様こそご無理をされているのに。
トヨはどうしてもしまこが天へと召されているようには思えなかった。
天に味方された方だから、きっとあそこから落ちても生きておられる。いつか、必ず生きているうちにしまこ様に会う。
トヨは満月の明かりを頼りに一人東に向かって歩き出した。
歩くトヨの手は自然に下腹部に置かれ、しっかりと前を見据える目には熱い思いが宿っているようだった。
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