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* * *
魔女が帰ってこない。
……もしかすると、一晩、村に泊まることにしたのかもしれません。
その日、怪物は月の光に照らされながら、孤独に一匹、過ごしました。晩ご飯を一匹で食べて、魔女の子守歌もなく一匹で眠ります。
翌朝も一匹でご飯を食べて、やることがないので一匹でお散歩して。
一匹で、再びの晩ご飯。
もしかすると、魔女は一晩だけでなく、二晩、村で過ごすことにしたのかもしれません。村の人達との交流は楽しいと、彼女は言っていましたから。
そう考えて、怪物はまた一匹、眠ります。朝になれば、また一匹でご飯を食べます。
そんな日々を、もう一日、また一日、さらに一日と過ごして。
いったい、怪物は何日、孤独に過ごしたのでしょうか。
森に、恐ろしい声が響きます。怪物の鳴き声です。寂しさが爆発すれば、涙となって零れます。
どうして帰って来ないんだろう。
そんなに村が楽しいの?
僕は君の帰りをずっとずっと待っているのに!
そしてついに、抑えこんでいた感情も溢れ出します。
人間さえ来なければよかったのです。人間が魔女を奪っていったのです。
この歪み切った森で、魔女と自分はずっと仲良く暮らしていたのに!
それを、人間が壊したのです。
人間達を驚かさないため、怪物はずっと、森の奥にいました。でも、それも今日まで。ついに怪物は森を出ると、人間の村へ向かいました。
村を滅ぼしてやろうと思いました。人間は、魔女を奪った悪い奴らなのですから。
魔女に少し、怒りたい気持ちもありました。いったいいつまで、一匹でお留守番していればいいのかと。
ところが、小高い丘から見た村には。
……どこにも、魔女の姿がありませんでした。
村の人々の様子は、少し変でした。どうしてか、みんなバタバタしています。
「お前は、魔女のところにいた怪物だな」
不意に声をかけて来たのは、村から森へ向かう途中だったらしい人間一人。
初めて魔女の元に人間達が訪れた際、そこにいた男の一人でした。男は、怪物に少しびくびくしながらも尋ねました。
「魔女は森の中か? 最近姿を見ていなくてな。お礼を言いたいのだ。彼女と仲良くしていた少年の奇病が治ってな……魔女の言った通りだったんだ、心配はいらない、眠っていれば治る、と。眠っていれば治ると言ったが、きっと、魔法に違いない。あんなにも恐ろしく腫れあがった肌、なんの力もなしに治るわけがない!」
村に魔女はいないどころか、村の人間達も、魔女を探していました。
怪物は、わけがわからなくなってしまいました。
では、魔女はいったい、どこにいったのでしょうか。
* * *
魔女がいなくなって、もう何日が経ったのか、わかりません。
それでも怪物は、考えを改めました。村にもいなかった彼女。もしかすると、ちょっと遠出をしているだけかもしれない、と。
それならば、大人しくお留守番していなくてはいけません。巨大で醜い怪物は、ちょっと大きすぎて魔女の家にはいれませんが、家の隣で丸くなって魔女の帰りを待ちます。ひたすらに待ちます。
ある日から、怪物の食事量が減りました。魔女と一緒でなければ、ご飯の時間は楽しくない、そのことに気付いたのです。
ある日から、怪物はその場からほとんど動かなくなりました。とにかく魔女の帰宅を待ち焦がれたのです。
いつの日からか、怪物は孤独に弱っていました。
いつの日からか、怪物の身体は、魔女の家に入れそうなほどに、縮んでいました。
巨大で醜かった怪物は、いつからか、身体が小さくなってしまっていたのです。すっかり弱々しい存在になってしまった怪物は、森に轟く大きな声も出せなくなっていました。森の寒さに耐えられなくなっていました。
逃げるように魔女の家に入ったところで、机の上に、手紙が置いてあるのを見つけます。随分前に書かれたもののようでした。
それは、魔女から怪物への手紙でした。
『あなたに何も言わずに出て行くことになって、ごめんなさい。でも、私が遠くに行くことを知れば、きっとあなたはついていくと言うでしょう。けれどもそれでは、いけないのです。』
『いつの時代からか、恐ろしい魔女と言われていた私は、ここ数ヶ月、人間達と仲良くしていました。人間達は私のことをもう恐ろしい魔女とは思わなくなっていたし、私自身、それはきっと誰かが勝手につけた呼び名なのだと、思うようになっていました。』
『しかし本当に、私は恐ろしい魔女だったのです。村で私と仲良くしていた少年が奇病にかかって、思い出しました。少年の肌が腫れあがったのは、私のせいだと、気付いたのです。』
『あれは奇病なんかではありません。私の持つ魔力が、彼を醜い姿へ変えようとしたのです。私から漏れ出てしまう、魔力が。』
『私は、誰とも一緒にいてはいけない存在だったのです。だから私は、人間達と別れることにしました。』
『そして、もう名前も忘れてしまった、あなたからも。』
『巨大で醜い怪物。私はあなたと、いつから一緒に暮らしていたのかわかりません。あなたには名前もあったはずなのに、それすらも忘れてしまった。でも憶えていることが一つあります。あなたは、最初から巨大で醜い怪物ではなかった、と。』
『あなたも、私のせいで怪物になった何かのはずなのです。私があなたから離れたら、あなたはきっと、本来の自分に戻れるはずです。』
『いままで気付いてあげられなくてごめんなさい。どうか、本当のあなたに戻って、自由に暮らしてください。』
『あなたは元の、あなたになって。それはきっと、私がかつて愛し、いまのいままで手放せなかったあなたなのだから』
――手紙を読み終わり、元怪物はでも、と思います。
元の自分に戻れと言われても「魔女と暮らす醜い怪物」のままでありたかった、と。
どんな姿になろうと、構いません。魔女と共に日々を暮らす存在でありたかった、と。
魔女がいなくなって手に入れた本来の自分に、意味などないのです。
魔女と一緒にいてこそ、自分だったのですから。
――机の上、手紙を見下ろす元怪物は、耐えきれない寂しさに「にゃあ」と鳴きました。
【終】
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