手術室の忘れ物

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手術室の忘れ物

何かを忘れている気がする。 やっと手術が終わったという安心感は一瞬で消えた。脳裏に疑問がよぎり手術前からの自分の行動を思い出してみる。手術に使用したガーゼや器具を自分ともうひとりの看護師とでダブルカウントし漏れなくチェックした。情報共有も確実に行った...... 筈だ。 にも関わらず見逃しがあったという不安が拭えない。何度も何度もカウントする。ガーゼや器具の数量は変わりない。あたしの杞憂に過ぎなかったのか。いや違う。きっと何かとんでもない見逃しをしている。それを放置して手術室を出る訳にはいかない。執刀医の亀ヶ谷(かめがや)先生の顔に泥を塗る事になる。落ち着いてまわりを見てみた。床には何も落ちてない。再度自分の手元にあるガーゼや器具を確認する。やっぱり数は手術前と今とで変わりはない。となると。残された可能性を考える。そこで思考は止まった。それだけはありえないと否定したくなった。けどもうそれしかない。最悪なケースを想定し未だ麻酔で眠っている患者に目を向けた。考えたくはない。考えたくはないけど。どうしても打ち消す事が出来ない。。そう思うだけで身震いする。 「どうかしたのか」 急に声をかけられ飛び上がりそうになった。振り向くと麻酔医の備前(びぜん)先生の怪訝そうな表情(かお)。少し迷ったけど黙ってるのは良くない。あたしは正直に自分の見落としの可能性を説明した。 「マジかよ。えらい事になったな」そう言いながら備前先生は患者を見やる。「だよなぁ。って事はないよなぁ」 でも調べない訳にはいかなかった。鬼より怖い亀ヶ谷先生に怒られるよりはマシ。肝心のがどうしているかと後ろを振り向いた。そこで亀ヶ谷先生の姿が無い事に気づいた。 「亀ヶ谷先生はもう手術室を出たのか」と同時に気づいた備前先生は言った。確認してみますとの返事を受けて備前先生とあたしは患者に視線を戻す。「X線透視をすべきだな。手遅れにならないうちに」 備前先生の言う通りだ。起こってしまった事は変えられないのだ。それをどうこう言っても始まらない。すべき事は自分のミスに対する善処だ。亀ヶ谷先生がどこに行ったのか分からないが戻り次第、このミスを報告しよう。が、直後に備前先生とあたしは理解し難い回答を受けた。 「亀ヶ谷先生が外に出ていない?」 しかし現に亀ヶ谷先生はこの手術室のどこにもいない。だとしたら外に出たと考える他ない。もう一度探してみろと備前先生は言った。訳が分からないが最も重要な問題は目の前にある。大の大人ひとりが見つからないなんて馬鹿な話よりも大事な問題だ。横たわって穏やかに寝息を立てている患者の身体にそっと触れた。途端に患者の右腕が跳ねるように動いた。突然だったので流石にあたしも備前先生も「うわっ」と声が出た。間を置いて患者の右腕がまた動いた。備前先生は壁の時計を見ながら首を傾げた。 「まだ麻酔が切れる時間ではないんだけどな」 患者はまだ眠っている。身体が反射的に動いただけか。そう思ったところに呻き声。どこから聞こえてくるのだろう。よく耳を澄ましてみる。声は患者の口から聞こえる。あたしは患者の顎に手を添えた。呻き声の振動が伝わってくる。間違いない。患者が呻き声を上げているのだ。しかも眠ったまま。あたしは両手を使って患者の唇をゆっくりとゆっくりと開けてみた。 亀ヶ谷先生と目が合った。 〈了〉
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