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「安藤のせいじゃないんだよ、アキがそう言ったなら。…付き合いだした頃、私が言ったこと覚えてる?」
「はい…たしか〝11月を乗り越えられれば大丈夫〟って…」
今年入社した僕の教育係である夏目さんは、恋愛相談の先生でもあり、メッセージの内容やデート先まで、様々なアドバイスをくれた。
そして、夏に成就の報告をした時に言われたのが、それだった。
夏目さんはいつものラテを一口飲んで、空いている手で頬杖をつきながら松葉さんのデスクに視線を投げる。
「本人が言わなかったなら私からは話せないけど…安藤のことが嫌いになったとか、本当にそんなんじゃないんだよ。ただ…」
「ただ?」
思わず復唱する僕をちらりと横目で見て、優しく眉尻を下げる。
「どうしても…越えられない壁みたいなもんがあるのね。今日は特別な日なの、アキにとって」
特別な日ーーー。
溜息が漏れる前に、チキンサンドの残りを一気に頬張った。22歳の男がハムスターみたいに頬を膨らますのは、たぶんよろしくないのだけど、そうでもして口を塞がなければ、アレコレ質問をしてしまいそうで居たたまれなかったのだ。彼女が口を噤んだことを夏目さんに問うわけにはいかない。喉から手が出るほど知りたくても、そんな卑怯なことは絶対にしてはいけないのだ、僕は。
「あ、そういえば週末の休暇、ちゃんと楽しめた?別れた直後だったでしょ」
口をもごもごさせながら涙目にでもなっていたのか、夏目さんが明るい声で口早に訊ねるので、今度はゆっくりとサンドを飲み込んで隣に顔を向ける。
「はい、それなりに…」
「遠出するって言ってたけど、旅行とか?」
「用もあったんで観光がてらニューヨークに…まぁ、傷心旅行になっちゃいましたけどね…ハハ…」
「そ、そう…」
夏目さんの笑みが引き攣っている。僕はこの何十倍も引き攣った笑顔になっているんだろう。目の前に鏡がないことに心の中で感謝した。
「にしても、ニューヨークねぇ…奇しくもって言うか何て言うか…」
「夏目さんもお好きですか?ニューヨーク」
複雑そうな面持ちで唇を尖らせる夏目さんへ、やや前のめりになって訊ねる。
少しワクワクして待っていたけれど、夏目さんは僕を見てから一度視線を外し、もう一度僕を見て困ったように眉を下げた。
「私は興味ないかな」
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