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『今夜、会えませんか? 話したいことがあって』
すぐに既読がついて、返事が来た。
『あたしも話があるの』
待ち合わせ場所に指定されたのは、高層ビル群に囲まれた公園だった。芝生の生い茂る広場にベンチや東屋が点在し、街灯が淡くオレンジに光る。
大きな木の足元に置かれたレンガ造りのベンチに腰を下ろして空を仰ぐと、緑と黒の入り混じった枝葉の向こうに、遠く、紺碧が見えた。
高い建物の頭上にぽっかりと穴が開いたような空は、ハルがいなくなった夜を思い出させる。僕が見たのは、もっと黒く、星ひとつない空だったけれど、都会の夜空は彼への敬慕がくすぶる胸を締め付けた。
「安藤くん」
上を向いていた顔を正面に戻すと、黒いコートを着た松葉さんが立っていた。
好んで淡い色を選ぶ彼女の、初めて見る真っ黒な装いに何度か瞬きをしてから、やっとベンチの隣を勧めた。
夏目さんは体調不良じゃないと言っていたけれど、松葉さんはどこか元気がないように見えた。
昼休みに他の人にも聞いた限り、毎年この日に休暇を取っているそうで、病欠ではないらしいものの、夏目さん以外に彼女の〝用事〟を知る人はいなかった。
吹き抜けるビル風が思いのほか冷たかったので、近くの自販機でブラックのホットコーヒーを2つ買って戻ると、松葉さんは温かい缶を両手で包み込んで、少しだけ表情を和らげた。
松葉さんと初めて仕事以外の話をしたのも、僕がブラックの缶コーヒーを飲んでいた時、彼女が話し掛けてくれたのがきっかけだった。
『ブラック派なの?ちょっと意外』と微笑んだ彼女の手前、本当は微糖派のくせにハルが好んで飲んでいたのに憧れて、つい買ってしまうだけだとは言い出せなかった。
甘いもの好きの彼女がコーヒーだけはブラック派であることも、僕からすれば意外だったのだけど、交際を始めてからはコーヒーの缶を見つめる柔らかい眼差しへと疑問の軸は移っていった。結局、訊けないまま別れを切り出されたから、今も理由はわからない。
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