ブタリーナは戦場に行った

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ブタリーナは戦場に行った

 仕事がひと段落して、残業前にコーヒーを買いに行こうかと考えていると、ヨーロッパドメインのメールが届いた。ドイツ人の同僚が会社を辞めることになったから、お別れのメッセージを書いて欲しいという依頼のメールだった。  5年ほどドイツの販売会社に出向していた。今回退社することになったドイツ人とはよく一緒に出張し、出張先では酒を飲み、何がきっかけだったのか今となっては思い出せないが、教会での結婚式にも呼ばれ、その後のパーティーでは親戚のおばさんとチロル地方のダンスを踊った仲だった。  思い出は多かった。だから、送別のメッセージに何を書いてよいのか分からないという、お決まりの問題に直面することはなかった。短い時間で、彼との過去の時間を懐かしみ、彼のこれからの門出を祝うメッセージを書き上げた。自分の思いがきちんと詰まったメッセージが書けたと思った。  業務的なメール本文を仕立て、書き上げたメッセージをメールに添付し、送信ボタンを押そうとして、手が止まった。  メールを送ってきてくれたのは、ドイツ人の旦那さんと結婚している現地採用の和子さんという日本人の女性だった。国際結婚した人によくあるタイプのオープンで気さくな感じの女性で、言葉の関係で仕事の問題を抱えたときにはよく助けてもらったし、個人的にも仲が良かった。  仲が良かっただけに、ただ単にメールを返信しただけでは愛想も味気もないよなと思った。  少し考えてから追伸を書き足した。 「ブタリーナは元気ですか?」  そしてメールを送信した。  ブタリーナは豚のぬいぐるみだ。まだ娘が小さかった頃に、郊外の大型の生活雑貨店で買った。豚でバレリーナの格好をしているから、ブタリーナ。僕が名付けた。  うちには何故か豚のぬいぐるみがたくさんいる。奥さんが独身時代から大事にしていて娘に引き継がれた古株の小さいのやら、それぞれ違う旅先で見つけた全くの同型で大中小三サイズのやら、娘が小学校の友達に誕生日プレゼントでもらったのやら等々、バラエティに富んだ豚のぬいぐるみが豊富にラインナップされている。  数が多い。だから、その分競争は激しい。つまり、娘の寵愛を受けることができるのは、たくさんいる豚のぬいぐるみの中でも、ごく一握りだというわけだ。  ブタリーナはそんな競争に敗れた豚のぬいぐるみだった。  元々、娘が買ってくれと言ったぬいぐるみじゃなかった。大型の生活雑貨店で売られているくらいだから、大量生産されたぬいぐるみだったし、その中でもコンセプトが色物に寄っていた。豚がバレリーナの格好をしていること自体もそうだし、満面の笑みを浮かべた顔のばっちりメイクも、なんだかなあという感じだった。  一言で言ってしまえば、ブタリーナはチープな感じのぬいぐるみだった。  でも、僕はブタリーナを気に入っていた。チープな感じだけど気に入っていた。いや、チープな感じだったからこそ、気に入っていた。部分的にはどこを切り取ってもひょうきんなのに、全体的には場末感を醸し出すブタリーナが切なくて、僕の胸を打った。  頼まれてもいないブタリーナを僕が勝手に買ったのも、そのせいだった。  日本に帰国することになり、引っ越し荷物をまとめ始めると、どのぬいぐるみを連れて帰るか問題が勃発した。ドイツと比べれば二回りは小さい日本の住宅事情を考えれば、どう考えても豚のぬいぐるみは整理する必要があった。  そして、当然のようにブタリーナは帰国の切符を手にすることが出来なかった。  引っ越しごみとして処分しなかったのも、僕がブタリーナを気に入っていたからだ。帰国の前日、僕は使い切ることのなかった日本食材を大きな紙袋丸々二つに詰め込んで、事務所に顔を出した。日本食材を配りながら、事務所内を挨拶して回った。  事務所を一周すると、レトルトカレーのルーが一箱とブタリーナが残った。紙袋の底から、心配そうに僕を見上げてくるブタリーナを見ながら、さてどうするものかと考えていると、そこに和子さんが通りかかった。 「はいこれ。おすそわけ」  和子さんは右手のカレー、左手のブタリーナを見比べると、 「ポークカレーを作れってこと?」と尋ねた。 「下のお嬢さんに。まあ別に、上のお嬢さんでもいいんだけど。上のお嬢さんは、もうすでに明確な趣味嗜好が芽生えているだろうから」 「ああ、たしかに」   日本人的ではない和子さんの、まるで隠そうとしない気乗りしない反応に、僕は慌てて付け加えた。 「ブタリーナっていうんだ」 「ブタリーナ?」 「豚で、バレリーナの格好をしてるから」 「いや、それは聞かなくても分かるんだけど」 「和子さんにはお世話になったから、お礼にと思って」 「まあ、私もお世話になったしね・・・」  複雑な表情を受かべて、それでも和子さんはブタリーナを受け取った。  こうしてブタリーナは和子さんの下のお嬢さんの下で第二の人(豚)生を送ることになり、そして僕はほっとしてブタリーナことを忘れた。  そんなブタリーナのことを思い出した。で、追伸に書き足した。 「ブタリーナは元気ですか?」  自分的にはちょうど良いと思った。親しさも、面白みも。これくらいの追伸なら、和子さんはくすりと笑って、多分返事は書いてこない。そういう人だ。  ということで、僕は仕事に戻った。ドイツの思い出は過ぎ去り、働き方改革を掲げる会社の方針に反しない程度の残業で仕事を片付けるつもりだった。ところが五分後にコーヒーを買ってデスクに戻ってくると、和子さんから返信が来ていた。  少し意外な気がして、それでもコーヒーをデスクの上に置きながら、何気なくメールを開いた。  短い返信だった。驚くような返信だった。 「ブタリーナはウクライナの子供たちのところに旅立ちました」  ウクライナ?ウクライナってあのウクライナ?  青と黄色の二色国旗で、ACミランで活躍したシェフチェンコの故郷で、ロシアの隣にあって、今まさにそのロシアから侵攻されてる、あのウクライナ?そのウクライナに、ブタリーナが??  僕は混乱しうろたえた。意味もなく、後ろを振り返り、きょろきょろと辺りを見回した。同僚たちがパソコンに向かい、あるいはスマホ片手に誰かと会話していた。いつも通りの光景だった。  自分のパソコンの画面に目を戻した。やっぱり、目の錯覚じゃなかった。  小さく一つ息をついて、自分を落ち着かせてから、キーボードを叩いた。 「ブタリーナ、ウクライナに旅立ったとのことですが、それはどういう経緯なのでしょうか?」  メールを送信しても、今度は仕事に戻る気にはなれなかった。手持ち無沙汰に、デスクの上を整理した。その間も、メールの受信箱がずっと気になっていた。  幸いなことに、長くは待たされなかった。和子さんからの返信を受信すると、僕はすぐにメールを開いた。 「ドイツ人の友達が、ロシア軍の一方的な攻撃を受けるウクライナの現状に、居ても立っても居られないとポーランドまで車で救援物資を運びました。私にも声をかけてくれたので、ブタリーナにお願いすることにしました。ぬいぐるみは、子供の気分を和らげるのと同時に、枕としても使えるので、重宝されているそうです」  和子さんのメールには、そう書かれていた。  ロシアのウクライナ侵攻が始まってから二週間。テレビニュースのような従来のマスメディアに加え、SNSとスマートフォンの普及で戦場からの投稿が相次いだことで、戦争の不条理さと悲惨さは、これまで以上にリアルにそしてライブで世界中に共有されることになった。  僕もそんな共有される側の世界の一部だった。  数えきれないくらいの悲劇を目のあたりにして、僕はロシアの暴挙に腹を立て、突然日常生活が踏みにじられたウクライナの人たちの不幸に胸を痛めた。何か少しでも自分にできることがないかと、ネットで検索したりもした。  知識は増えた。その一方で、逆に世界の大きな問題に対しての自分の無力さを思い知らされたりもした。だからこそ、せめて心の中ではウクライナの人たちに寄り添っていたいと強く願った。その願い自体が、ウクライナの人たちに僕が寄り添えている証拠だと解釈をしていた。  でも、和子さんのメールを読んで、鼻の奥がつんとして涙が出そうになったとき、それまで僕の中に存在することのなかった熱い感情が胸の奥底から湧き上がってくるのを感じて、僕は自分が間違っていたことを知った。僕はウクライナの人たちに寄り添えてなんかいなかった。  和子さんとブタリーナが僕にそのことを教えてくれた。  椅子の背に深くもたれかかり目を閉じると、先日のニュースで紹介されていた一枚の写真が浮かび上がってきた。爆撃で破壊されたアパートの一室で呆然とした姿で立ち尽くす三歳くらいの女の子の写真だ。  あどけない女の子の容姿と瓦礫と化した背景のコントラストがあまりに鮮明な一枚だった。何より、女の子の顔に本来あるべき、表情が完全に失われていることが、あまりに悲痛な一枚だった。そんな、衝撃的な写真のことを思い出した。  言葉もなくただその写真に対峙していると、やがてその写真の中の世界が動き始めた。時間が流れ、僕を、僕が見ることのなかった場面に連れて行った。  夜がその部屋に訪れていた。女の子は、電力も失われ真っ暗な部屋の片隅で、遠くからそしてすぐ近くから地響きとともに耳を打ち付ける爆撃の音に震えながら、抱えこんだひざの間に頭をうずめて、恐怖にじっと耐え続けていた。  女の子の願いは、逃げ延びることでもなければ、生き延びることでもなかった。突如として自分を襲った、この得体のしれない悪意の塊を、忘れ去ること。ただ、それだけだった。  そして、そんな彼女のために戦っているのは、彼女に抱き締められ、彼女の涙のにじんだ顔を押し付けられ、それでもいつもと変わらぬ笑みを浮かべるブタリーナだった。  握りしめた手の爪が手のひらに食い込むほど強く僕は祈った。  頑張れウクライナ、頑張れブタリーナ。
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