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「ホックが」
夕介は懇願するように、龍彦の顔を見上げた。
「…うまく掛からないんだ」
手が少し震えていた。
龍彦は、その襟に手を伸ばした。また、何か黒い雲のようなものが胸に拡がった。
『これ、誰かに外されたの』
そう聞こうとして、言葉を呑み込む。
夕介のそり返った睫毛に、触れるかと思うほど顔を近付けると、襟のホックを掛けてやり、そのまま龍彦は、その肩に手を置いた。
夕介は小さくため息をついた。
「ありがとう」
「──水野さんと、すれ違ったよ」
「えっ──」
「何してたの、ここで」
龍彦の問いには、刺刺しさがあった。夕介は無言で俯いた。
その沈黙が龍彦を不安にさせた。
それを察したかのように夕介が口を開く。
「言ったんだ──」
「何を」
「好きな人がいる、って」
「夕介、それって──」
「龍彦のことだよ。だからもう水野先輩とは、会わないから」
許して、と言っているように聞こえた。そして夕介は顔を上向け、自分から龍彦の唇に、そっと触れてきた。
『きっと、水野先輩にキスされたんだ』と、龍彦は思った。
それ以上のことを、水野はしようとしたのかもしれない。
だから夕介は、自分に許しを乞おうとしている。
その事実を上書きしたい気持ちで、龍彦は夢中で夕介の肩を強く抱き寄せた。
学生服のカラーが当たって、痛いほどだった。
窓の外は、夕闇が迫っていた。
暗くなる教室の中で、二人はそうして唇を重ね合わせていた……
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