Ghost’s lip

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 置かれたグラスには、知らないカクテルが注がれていた。檸檬の刺された場所から一滴の雫が垂れ、滑り落ちていく。ベージュのワンピースが良く似合う彼女は幽霊だ。内容のない僕らの間の空気もまた幽霊のようで、僕は居心地の良さを感じる。 「はじめて幽霊と話したよ、最後に生きた人間と話したのはいつ?」 「つまらないこと聞かないでよ」  馬鹿にしたように彼女は笑う。生きていることが、この場においては例外なのだ。 「オトメはそういうことに敏感なの」  目利きをするように彼女は店内を見渡す。出鱈目に配置された調度品はどれも古びている。溶け出した寂しさがこのバー「Ghost's lip」の雰囲気に良く似合っていた。浮かばれない幽霊の溜まり場。停滞した時間をごちゃ混ぜにした場所。それがこの店だった。 「幽霊に脚があるなんて知らなかったな」  彼女の細い脚を覗き込むと、頭を叩かれた。 「ない幽霊もいるのよ」  彼女はテーブルに置かれた時計を指差す。滅茶苦茶なリズムで時を刻むその置き時計には確かに脚となる支えは存在せず、それでもなお自立していた。 「時計の幽霊は追うことも追われることもないものね。 生きていた頃はよくあったんでしょうけど」  彼女はそう言って黄色いカクテルをひと口飲んだ。ハロウィンのためにくり抜かれたカボチャの中身で作ったカクテル。勿論そのカクテルもまた幽霊だと、マスターが説明していた。 「だったら君に脚があるのは何かを追うため? いや、逃げるためなのかな」 「何ですって? あなた本当にデリカシーがないわ。 そうね、例えば今みたいな時のために脚があるのかも」 「逃げたい?」 「いいえ、蹴りを入れたいって意味よ」  僕はひと口カクテルを口に含む。妖しい赤色をしたその液体が寂しい熱を起こして体を巡る。 「ここの人はみんな」  彼女は少し俯き、それからまた狭い店内に目を向ける。僕もそれに倣って店内の人々を見る。 「何かを追いかけているのよ。 あるいは逃げ続けている」 「ああ」 「あなたは? 生きているのにここにいるなんて、余程何かから逃げたかったのね」 「君も大概デリカシーがないね」 「ね、そうみたい」 「僕の場合は、追いかけている、かな」
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