草原の音

2/7
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
その後、高評価を押してくれた誰かは他の曲にも高評価を押してくれた。今までアップした12曲全てに。どうやら青の曲を気に入ってくれたらしい。チャンネル登録者も一人増えていた。  自分の曲を気に入ってくれた人がこの世のどこかにいる。その事実は、青の心を風船のようにふわふわと浮かせ、その感覚は一週間続いた。  その後、急にプレッシャーになった。  もし次の曲をこの人が気に入らなかったらどうしよう。低評価を押されてチャンネル登録を解除されたら? 「いやいや、そうじゃないだろ……!」  一人で机を叩き、一人で痛がった。バカみたいな状況が、自分の心中を表しているようで情けない。  誰かが聴いてくれたらいいな。  その純粋な気持ちが変化していったのはいつからだったろう。  初めて曲をアップした時、どれだけ経っても誰にも再生されないことが信じられなかった。一般人が歌をアップしたらバズって人気者に、なんて話を鵜呑みにしていた自分に気がついた。  でも、いつか自分の曲を気に入ってくれる人が現れる。そう思って、淡々と曲をアップし続けた。5曲アップしたところで一人チャンネル登録してくれた人がいた。その時も舞い上がるような気持ちだった。わずかだけど聴いてくれる人がいる。それを頼りに曲を作り続けた。  そしてついに高評価をつけてくれる人が現れた。  しかし、プラスの評価をもらったところで、次に待っていたのは評価がもらえなくなることへの恐怖だ。気に入ってくれた人の期待を、理想を、好みを、裏切ってはいけないという重圧だ。  本当はわかっている。真の恐怖は、他人の評価を気にして自分の気持ちを見失うことだと。  いっそ、ネットにアップなどせず一人で歌っていた方がいいのだろうか……。  そんなことをぼんやりと考えながら動画サイトを開き、今日の人気ランキングを眺めていると、ある動画が目に留まった。  去年から動画サイトで人気を博し、いまや街中でもその声を聴くようになった歌手、エル。男性とは思えない甘いハイトーンボイスが特徴的だった。  彼の名前と声は知っていたものの、青の作る曲のジャンルや声質とは違い過ぎて、しっかりと曲を聴いたことはなかったし、興味もなかった。しかし目に留まったのは、彼がカバーした曲のタイトルを知っていたからだった。  海外のアーティスト。アコースティックギターでゆったりと歌い上げる曲調で、彼の代表曲の一つでもあり、青のお気に入りの曲でもあった。それは、そのアーティストが自分はゲイだとカミングアウトした曲だった。  やめたほうがいい。そう思いながらも、動画を開かずにはいられなかった。  金髪の青年が椅子に座って、その曲を歌い上げていく。確かに音程を外すこともなく上手いのだが、原曲とはあまりにもかけはなれた甘い雰囲気だった。  歌い終わると、彼は笑ってピースをした。それで終わりだった。  コメント欄を開くと、絶賛の嵐だった。 「透き通るような声やばい。今日の疲れ全部吹っ飛んだ」 「涙が出ました。ありがとう」 単純に歌声を絶賛するコメントの中に、こんなコメントが混ざっていた。 「この曲は○○というアーティストの曲で、彼が同性愛者だと告白した時の曲です。この曲をあえて選んでくれるエルの優しさが大好きです。マイノリティの味方!」  そのコメントを見た瞬間、動画を閉じてしまった。  少しの間ぼんやりと座っていた。胸の中のもやもやが消えない。  自分のチャンネルを開き、10番目にアップした「My song」という曲を流す。  その曲は、青自身のことを歌った曲。……先ほどエルが歌っていた曲と同様、自分がゲイであることを書いた歌だった。  中学の卒業式、一番の親友だと思っていた相手と当分会えなくなると思うと、寂しくて、悲しくて、とても愛しくなった。その時の気持ちを書いた曲だった。 「My song」の再生回数は23。  その画面を見ていると、なぜだかわからないけれど涙が出てきた。  エルは確かにマイノリティの曲をカバーした。しかし、彼自身はマイノリティだと言えるだろうか。曲をアップすると1日で100万回再生され、絶賛のコメントが大量につく彼が。  ゲイである自分自身のことを歌った青の曲は、見向きもされないのに。  マイノリティだなんだという土俵にすら立てていない気がして、憂鬱な気持ちが止まらなかった。  涙を拭いて再び画面を見上げると、1つだけ押された高評価が目についた。  少なくとも、この世に一人だけはこの曲をいいと思ってくれた人がいる。そう思うと、粉々に砕けて砂のようになった自尊心が少しだけ回復するような気がした。  この曲の歌詞は、同性を好きになった気持ちを書いたものだけれど、聴いた人全員がそう受け取るかはわからない。  青は、今すぐ高評価を押した相手に会って、この曲のどこが気に入ったのかを問いたくなった。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!