草原の音

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「青、あぶない!」  その声に我に返ると、目の前にボールが迫っていた。とっさに右側によけると、そこに立っていた誰かを巻き添えにして二人でグラウンドに倒れこんでしまった。  体育のサッカーの授業中だった。  ぼんやりしていた自分が完全に悪い。慌てて起き上がり、巻き添えにした相手を探す。すぐ隣に、霧橋涼が横たわっていた。 涼は、ゆっくりと上半身を起こした。やってしまった。 「ごめん霧橋……!大丈夫か?」 「うん……。いてっ」  涼の腕に擦り傷ができて、血が滲んでいた。白い肌に痛々しい傷だった。  クラスメイトと体育教師が周囲に駆け寄ってくる。 「二人とも大丈夫かー?」  青の友人、奏太が声をかけてきた。 「俺は大丈夫。でも、霧橋がケガをしたみたい。ほんとにごめん……」 「大丈夫?霧橋」  涼は、腕の傷を見て眉を寄せた。 「たいしたことないけど。一応保健室に行ってくるよ」 そう言って立ち上がった涼を追って、青も慌てて立ち上がった。 「俺も行くよ。足もちょっとひねったんだろ」  よく見ると、涼はわずかに右足をかばうような立ち方をしていた。 「ほんとにたいしたことないけどね」 「じゃあ、藤屋は霧橋についてってやって。他は散らばって再開」  教師が手を叩くと、みんなコートの中に戻っていった。 「肩貸そうか?」 「うん。ありがとう」  涼は、青の右肩に手を置いて、ゆっくり歩きだした。青の方が少しだけ背が高かった。 「ほんとごめん。ぼんやりしてボールの行方見失ってた。いや、サッカー中にぼんやりするなって話だよな。ごめん」  一人で一方的に謝ると、涼は少しの間黙ったのちにこう言った。 「別にわざとじゃないんだし」  なんて返したらいいかわからなくなり、「ごめん」とだけもう一度言った。  保健室につくと、かすかに薬品のにおいがするばかりで静まり返っていた。 「あれ、保健の先生いないな」  ついてきて良かった。保健室には何度か来たことがあるので、手当てする道具がどこに置いてあるかは知っている。  救急箱を持ってくると、涼に「腕出して」と言った。涼はわずかにうろたえた。 「藤屋が手当てするの?」 「だってケガのところ、自分じゃ届かないだろ。先生もいないし」 「……わかった」 「あ、俺中学の時保健委員だったから手当てできるよ?」 「そうなんだ」  なんとなく気まずい空気が流れたまま、手当てを始めた。傷口を消毒すると、痛そうに顔をしかめる。 「ごめん、痛い?」 「別に謝んなくていいから」  これなら、怒られた方が幾分マシだな、と思った。  黙々と手当てを続けていると、黙ってされるがままになっていた涼が、ぽつりと口を開いた。 「あのさ」 「ん、なに?」  目を上げると、真っ直ぐに涼の瞳と視線がぶつかり、内心たじろいでしまった。 「藤屋って好きなミュージシャンいる?」 「……」 一切予想していなかった質問が飛んできて、ぽかんとしてしまった。 「……なんで?」 「えっ。……あ、俺ミュージシャンに詳しくないから、いい曲とか知ってたら教えてほしいなって」  よく分からないが、淡々とした涼の様子からは真意が掴めなかった。 (好きなミュージシャンか……)  青の中に、一人の名前が浮かんだ。  小坂伸彦(こさかのぶひこ)。青がギターを弾くようになったきっかけの人。  しかし、彼のことを涼に話すほど、青は涼と関係性を築いていなかった。涼に対しては、見た目の良さに加えて落ち着いた雰囲気も含め好感を持っていたが、それはあくまで好感であり好意ではなかった。 そんな相手に対して話すには、小坂伸彦の存在は青の中で大きすぎた。 「んー、まあ色々いるけど、あんまり有名じゃないから知らないと思う」 「……そっか」  そう言ったきり、涼は大人しくしていた。青は、すり寄ってきた猫を無下にしたような、変な罪悪感を覚えた。
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