草原の音

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(なんであんなこと聞いてきたんだろう……)  帰宅し、風呂に入りながら一息ついていると、今日の涼との会話が思い出された。  涼とは仲が悪いわけでもないけれど、ほとんど話したこともない。席が近いものだから、挨拶くらいはする、その程度の関係だった。  そんなことを考えていると、急にはっと思い当たった。  この間の書きかけの歌詞を見て、曲を作っていることがばれたのだろうか。そういえば、あの紙には青のネットでの活動ネーム「blue gray」まで記入していた気がする。 「んなわけないか」  そんな考えを笑って吹き飛ばす。涼の机にルーズリーフが落ちたのは一瞬だったし、曲を作っているのかどうか聞きたいならそう聞けばいい話だ。あんな回りくどい言い方をする必要はない。  青の考えは、小坂伸彦へと移っていった。  小坂さん。何気なく流していたラジオアプリから聴こえてきた、綺麗なメロディ。そこにのった、陰鬱な歌詞と乾いた声。  暗い気持ちで毎日を過ごしていた中学生の青に、彼の音楽はとても美しく聴こえた。  その頃、ずっと険悪な仲だった両親がやっと離婚をし、青は母親と二人で暮らすようになった。嫌いだった父親の顔を見ることがなくなり、ほっとする一方で、いつも心に空虚感が存在していた。  そんな毎日に、小坂伸彦の音楽は励ましを与えてくれた。  憂鬱な感情を表現した歌詞。しかし、まるで嘘みたいに綺麗なメロディとギターの音。  青がギターを始めるきっかけになった人だった。  一度だけ、小坂伸彦が好きだと人に言ったことがある。  高校一年の夏、軽音部のクラスメイトと話していた時に、好きなミュージシャンを聴かれた。軽音部なら知っているだろうと小坂の名前を出したところ、クラスメイトは少し笑ってこう言った。  ああ、あの暗いのを売りにしてる人ね。俺ああいうのちょっと無理だわ。 「売りにしてる」。そんなんじゃないのに。  それから一年ほど経つが、誰にも小坂伸彦の話はしていない。 (きっと、今後も誰にも言わないだろうな……。よほど心を許せるやつが現れない限り)  それから一週間経った晴れた日。青は、購買でパンを買ったあと食べる場所を探してぶらついていた。 (あそこで食べるか)  二階の階段を出たところに、ベランダのようになっているところがあり、外の風にあたれるようになっていた。天気のいい日は時々そこに行って一人でぼんやりしながら食べることがある。  階段を上っていると、扉がかすかに開いているのが見えた。 (先客か……?)  上まで登って様子を伺うと、小さな声が聞こえてきた。 「輝く~必要なんて……ない~」  その歌声を聴いた瞬間、今までの人生で感じたことのない衝撃が襲ってきた。 (どういうことだ!!?)  誰かが口ずさんでいたのは、青が一番最後にアップした曲だった。  体が揺れそうなほど、心臓が激しく跳ねる。  少しの間その声に耳をすませていたが、勇気を出して扉のノブを掴んだ。  バタン。扉を開いてベランダに出る。  そこには、霧橋涼が手すりに腕をかけて立っていた。  涼は、ぽかんとした目で青を見ていた。青はどんな顔をしていただろうか。その場の状況を飲み込むので精いっぱいで、自分のことを気にする余裕がなかった。  涼は数秒の間、目を大きく開けて青を見つめていた。黙って瞬きをすると、みるみる顔が赤くなっていった。  青が声をかけようとした瞬間、涼がすごい勢いで走り出した。青のいる方向と反対に向かって逃げていく。 「ちょっと……!」  つられて青も、涼のことを追いかけた。  訳が分からない。考える余裕もなく、ただ涼を追い続けた。 (あいつ、足早いな!!)
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