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第5話
十和田の友人の工藤が来ると伝えられた日は、朝から雨が降っていた。
刑事である工藤は、千輝の元彼も絡んでいる事件を追っている。今日はその話にもなるのだろう。
「工藤さん、お昼ご飯食べていきますよね。何がいいですかね」
「すぐに帰るからいらないだろ」
「そうだ、クラムチャウダー作りましょうか。先生、この前食べたいって言ってたじゃないですか」
「ダメだ。買い物にも行かなくていい。なんで工藤なんかのために買い物に行かなくちゃならない」
昼頃に工藤が来るので、お昼ご飯はこれにしよう、あれにしようと色々言っても、十和田は全てに反対する。
食べたいと言っていたクラムチャウダーでさえも、ダメだと言われた。最終的には、適当なものでいいと言い、作ることは許してくれたが、工藤のためになんか買い物に行かなくていいと言い出す。
冷蔵庫の中にある物で、とりあえず昼のメニューを考える。幸いなことに、冷蔵庫の中に食材はいっぱい入っている。十和田も好きだと言っていたドライカレーにしようと思い千輝は作り始めた。
来客を知らせるチャイムが鳴ったので、千輝は慌てて出迎えた。十和田はリビングで執筆中である。
「千輝ちゃん、元気だった?」
工藤が、手土産だよとケーキの箱を千輝に渡した。箱には有名パティスリーのは名前が書いてあった。
「わ、ケーキですね。先生、喜びます。ここのケーキ好きなんですよ」
工藤は玄関からリビングに向かいながら、「違うよ」と言っている。
「千輝ちゃんに買ってきたんだよ」
「何がだよ」
原稿から目を離さず不機嫌な様子で十和田が答えた。
「先生、ケーキ頂きました。ここのケーキ、先生好きですよね」
千輝がケーキの箱を十和田に見せても、チラッと見てはふんっと顔を背け「酒が飲めないから代わりに甘い物を食べてただけだ。特に好きではない」と言い返された。
「お前さ、最近機嫌悪いよな。小説書くの上手くいってないんじゃないのー?」
工藤がふざけた口調で十和田に絡む。
千輝はパタパタとキッチンに行き、お茶を出す準備をしていた。
「うるせーよ。小説はおかげさまで上手くいってる。もうすぐ書き終えるしな。お前こそ、暇なんじゃねぇの?」
十和田は締め切りも守る優秀な小説家だと、担当編集者が以前言っていた。
千輝という同居人が新たに加わっても、特に問題なく集中して原稿を書き上げているらしい。
「千輝ちゃん、こっちおいで」
工藤がキッチンにいる千輝を手招きしている。工藤と十和田にお茶を出して、リビングのソファに座る十和田の左隣に千輝も座った。
「千輝ちゃんの元彼ね、無事捕まったよ。それで、これは俺から千輝ちゃんに渡すね。ちょっと内緒で取り立てたお金だからさ、もう少し色をつけて渡したかったけど。ごめんね、これだけになっちゃった」
はい、と渡された封筒に入ったお金を十和田と一緒に数える。全額返ってきていた。
「えっ?全額ですよ?少なくなってないです。ありがとうございます。工藤さん、本当にお手数おかけしました」
戻って来ないと思っていたお金だ。全額返ってきたから、カフェの開業費用として使える。偶然とはいえ、十和田にも工藤にも本当にお世話になった。
「千輝ちゃん、可愛いね。俺の家でもハウスキーパーやらない?」
「ダメだ。千輝は工藤のところなんかではやらない」
「お前が決めるなよ」
今日の十和田はやっぱり不機嫌だ。いつも二人の時とは違うので、千輝は首を傾げる。工藤は気にせず飄々としていた。
「あ、工藤さん、ご飯食べますよね?今、準備します。ちょっと待っててください」
「俺、千輝ちゃんのご飯好き!」
工藤が軽い口調で千輝に返す。それを見て、十和田は舌打ちをしていたが、千輝は気にせずキッチンで準備を始めた。
工藤が追っていた事件は、派遣型売春クラブだったという。出会い系サイトやマッチングアプリを使って客を集めていたクラブの奴らを、工藤が摘発に入り逮捕したという。千輝の元彼もそこに関わっていた。
「よかったね、千輝ちゃんも売られちゃうとこだったよ?危ないからこれからも、変な男には引っかかられないようにね」
「本当にすいません…」
男を見る目が無いと、十和田にも工藤にも言われていた。初めて好きになった人だから千輝にはよくわからない。十和田が言うように、恋愛は面倒で大変なことだらけなのかもしれない。
大き目のお皿に、ドライカレーとサラダを盛り付ける。半分に切った赤と黄色のミニトマトと焼いたアスパラをドライカレーの上に乗せてある。クルミサラダを隣に盛りつけ、パルミジャーノをふりかけて出す。スープは昨日の残りのビシソワーズだ。
「すっごいね。これ、千輝ちゃんのお店で出そうとしてるやつ?」
工藤にもカフェ開業を予定していることは伝えてあった。それなのでいつもご飯を出すと褒めてくれる。
「これは違いますよ。普通のおうちのご飯です」
「へえ…十和田、お前いつもこんなの食べてるのか、羨ましい…そんで、美味い!」
褒められて嬉しい千輝は肩をすくめ、チラッと横にいる十和田を見る。十和田は特に表情を変えずに食べていた。
食べ終わった十和田の左腕から、包帯が解けているのがわかった。千輝は十和田に向き直り、包帯を巻き直す。十和田は千輝のやりたいようにやらせている。
それを見ている工藤に頬杖をつきながら、つまんなそうにボソッと言った。
「君たちは以心伝心の関係なの?何この空気感…」
空気感とはなんだろうと聞きかけたところで「じゃあ帰るね」と、また軽い口調になり工藤は立ち上がる。
玄関まで千輝が見送っていくが、十和田はソファに座ったまま、おう!と言ったきりだった。
玄関先でコソコソと工藤に耳打ちされる。
「千輝ちゃん、ここを出て自分のアパートに戻るとか考えてない?ずっとここにいればいいのに。十和田だってダメって言わないだろ?」
「先生の怪我が治るまでなので…あと少しで戻る予定です。それにカフェの開業準備もあるし。大丈夫ですよ!あのアパートの鍵も変えましたから」
「そんなことじゃないんだけどねぇ…とりあえず、十和田をよろしくね。何だか面白いことになってそうだし。また今度、遊びに来るよ」
外はまだ雨が降っていた。車に乗り工藤は帰って行く。
リビングに戻り後片付けをしていると、十和田から声がかかる。
「工藤、何て言って帰った?」
「あー…僕のカフェをスタートさせる話をして…帰られました」
自分から聞いたくせに、特に興味はなさそうに「ふーん」と言い、またパソコンの原稿に目を戻している。
アパートに帰る話は十和田には出来なかった。考えると千輝の胸はズキっと痛み出してくる。
◇ ◇
十和田の包帯が取れ、大きな絆創膏へと変わった。抜糸が出来たので、もう包帯からは解放される。
病院に行く日、バイクに跨る十和田をどうにか車に押し込めて、千輝も病院までついて行くことにした。
「まだ怪我が治ってないのに、何でバイクに乗ろうとしたんですか。しかもビーチサンダルだし…」
「今日、包帯が取れるんだろきっと。車じゃ面倒なんだよ。バイクの方が病院まですぐだしさ」
自分で運転する車だって本当は危なくて嫌だ。しかも足元はビーチサンダルだ。タクシーで行って欲しいと言っていたが、病院に行くだけでそんな面倒なことをと、物凄く渋るので仕方なく譲り、十和田が運転する車で行くことになった。
病院では先生に飲酒は通常に戻していいかと、十和田自ら確認をし「もう問題ないですよ」と医者から言われ、千輝はホッとしていた。
そんな千輝を見て十和田は「ほらな」と言っていて笑う。
後何回か病院に通い、絆創膏が取れたら完治となるそうだ。
帰宅途中の車の中で、十和田はガッツポーズをしていた。
「やっと酒が普通に飲める。今日は日本酒な。あ、ワインでもいいか。どっちがいい?」
千輝も一緒に飲むのを前提とする聞きかたで言う。本当にワクワクしているようで、こっちにもそのワクワクが伝染してくる。
「じゃあ、クラムチャウダー作りますか?この前からずっと延期してましたもんね」
「よし!じゃあワインだな。このままあのパン屋行くか。後、何か必要なものある?ついでに買い物していこう」
クラムチャウダーと聞いて、今日はこのまま昼から飲もうぜと、言っている。
無邪気に喜ぶ十和田をクスクスと笑いながら、千輝は頭の中で献立を考える。
今日は抜糸をしたし、特別なのでちょっと豪華にしようかなと思っていた。
駅近くのパン屋に行き、無事に十和田お気に入りの丸いパンをゲット出来た。
いつも通っているパン屋なので既に仲良くなっており、今度千輝がカフェをオープンした際には、ここのパン屋と業務提携を結ぶことで話はついている。
「カフェをオープンしたら、あのパン屋のパンを使うのか?」
さっき、パン屋のオーナーと話をしていたのを十和田は聞いていたようだ。
「そうなんです。元々、クラムチャウダーをカフェでメインメニューにしようと思ってて、パンを探してたんですけど、あそこのオーナーに話をしたら協力してくれることになって」
ふーんと言いながら車を運転している。十和田には興味があるのかないのかわからない。
「千輝のクラムチャウダーは美味いからな。カフェオープンしたら俺も行こうっと」
「本当に?そうなら嬉しいな…」
「それより今日は酒だろ?ビールとそれとワインに千輝のメシも楽しみだし…早く家に帰ろうぜ」
「先生、本当に怪我は大丈夫ですか?」
「外では先生って呼ぶなって言っただろ?」
今は車の中で二人きりだ。他に誰もいないからいいのにと千輝は思ったが「はい」と答えて言い直した。
すると、嬉しそうにしている十和田の姿が見られる。
十和田のこだわりがよくわからない。
家に帰ると十和田がわかりやすくソワソワしているので、楽しみに待っていたお酒を開けることにした。十和田の好きな食べ物もたくさん作りテーブルに並べてあげる。
「千輝…めちゃくちゃ美味い。俺は作家だけど言葉を失う」
「何上手いこと言ってるんですか」
ビールの後にワインを飲みクラムチャウダーを食べている。いつも以上にご機嫌な十和田を前に、千輝もグラスが進んでいた。
「お前さ、ワイン好きなんだな。じゃあワインセラー買おっかな。どれがいい?つうか、どこに置けばいいんだ?千輝の使い勝手がいいところに置けばいっか…」
酔ってきたのかひとりで納得しながら、ネットでワインセラーを検索している。千輝にも画像を見せてきて、意見を求められた。
「先生の都合いい物でいいんじゃないですか?高級な物だし、僕だとよくわかりませんよ」
「外では先生って呼ぶなって言っただろ?」
「もう…ここは外ではないですよ?家じゃないですか」
あ、そっかと言いひとりで爆笑している。完全に酔っているなと思い、千輝はキッチンから水をもってきて十和田に渡す。
「お前さ、ちゃんとしてるよな。最初あの乱闘を見た時は、やべえ奴らかと思ったけど。はははっ」
元彼の新しい女と揉めた時を言い、ゲラゲラと十和田は笑っている。
千輝の自宅アパートは、ここから二駅離れた所だ。ここの駅とは違い小さな繁華街が並ぶ町で、治安はあまり良くはなかった。だけど、家賃は安いし住むには問題はない。その駅前で、元彼の新しい女と千輝は揉めていた。
「乱闘って…もう必死だったんです。お金が無くなってたから。カフェオープンはもう少しだったのに、あのお金が無いから全部ストップしてるんです。人生最大の落ち込みでした。でも先生、本当にありがとうございました。お金が返ってきたからこれでオープンに向けて再開出来ます」
「それは工藤が頑張ってくれたおかげで返ってきたものだし…でもさ、不思議だよな。なんであんな男を好きになったんだろうな、お前は」
それを言われると今では何が良かったのか千輝の口から答えを返せない。
「何なんでしょうね…本当によくわかりません。一緒に暮らしてたとは言っても、生活する時間帯はかなり違ってましたし…最後はあまり顔も合わせなかったな」
「俺さ、恋愛ってわかんないんだよな。面倒くさいし。恋愛=セックスだと思ってるから、下心があるのはむしろ当たり前で、身体の関係を持ちたいと思うかどうかだけだと思うんだけど、やっぱ千輝もそんな感じ?」
お酒が入っているからか、今日はよく質問をしてくるなと感じている。かなり踏み込んだ話になってきていた。
「えっと…したことないので、わかりません」
「あ?何がしたことないんだよ」
「あの…セックス?です…ね。したことないです」
ソファにごろんと横になっていた十和田が、びっくりしたようにガバッと起き上がった。
「いやいやいや、待てよ千輝、あんなどエロなバイブ持ってるじゃねえかよ!」
やめて欲しい。何故このタイミングで思い出させるようなことを言うのだろうか。
ちょっと待てよと言い残し、十和田は別の部屋に行ってしまった。
恥ずかしいと思う気持ちと、やるせない気持ちを抱え千輝はワインをひとりであおっていると箱を抱えて十和田が戻ってきた。
箱は『千輝へ』と書いてある。元彼が残した箱だった。その中に入っているものを千輝は知っている。
「いやぁぁぁあ、捨てて!」
「いや…ちょっと待て、千輝」
「なんで?待つ?やめて!捨てて」
「おお!」
「やめて!スイッチ入れないで」
何の拷問だろうか。
十和田は、スイッチを入れてバイブを動かしている。リビングには千輝の悲鳴とバイブの音が響く。
「これ、千輝のだろ?」
「なんでこれ先生が持ってるの!どこにいったのかと思ってたんだけど。もう捨てて、そんなのいらない」
千輝ちょっと待てと言いながら、ワインを飲みスイッチをON、OFFと繰り返している。もう一つあるディルドは、箱から出し床に立てて置いている。本当に拷問だ。
顔がこれ以上ないくらい熱くなる。きっと真っ赤になっているだろう。
「これがあって何でセックスしていないんだ?これってセックスをするための道具だろ?俺にはよくわからない」
元彼とはキスはしたがセックスはしていない。あの男は元々、男である千輝と抱き合うことはしたくなかったのだろう。工藤が言うように、あのまま一緒にいたら、千輝はどこかに売られていたのかもしれない。
確かにバイブもディルドも千輝の物だ。それはいつか抱かれる日が来るかもしれないと思い、練習をしていた時に使っていたからだった。恥ずかしいが、十和田にそう告白した。
「千輝…お前は何て健気なんだ。絶滅危惧種のヤマトナデシコか?」
「もう…やめて。何やってたんだろうって思い出して虚しくなるから」
うーんと、バイブを前に十和田はワインを飲んで考えている。千輝もワインを手酌して飲み干した。
ひどい絵面だ。酔っていなかったら有り得ないだろう。バイブを前に飲むなんて。十和田のデリカシーの無さに笑いが込み上げる。
「千輝、恥ずかしいことじゃない。俺だってエロいことはかなり好きだし。これ、使ってみてどうだったか俺に教えてくれる?」
「それは、先生の作家という職業から知りたいと思うことなのでしょうか」
「まぁ、それもあるっちゃあるけど。単純に千輝がどうなのかが知りたい」
酔っているとは思うけど、真っ直ぐに千輝を見て伝えてくる十和田に千輝は返事をした。
「うん…っと、まあ、良かったですよ?
元々僕はゲイなんだと思います。初めて好きになったのがこの前の人ですけど、抱かれるんだろうなと漠然と考えましたから」
ワインを手酌して千輝は飲み干す。嘘をつくことはせず正直に答えた。十和田の怪我が治ればここから出て行くことになる。それも後少しだし、もう何とでもなればいいやと思って伝えた。しかし、十和田は無神経でデリカシーが無いと改めて思う。
「そうか…なんか納得した。俺さ疑問だったんだよ。なんでこんなにちゃんとした生活が出来て性格がいい千輝が、変な男を好きになったのかな、釣り合わねぇなって思ってた。千輝は恋愛してみたかったんだな。自分とは真逆の性格の男を何となく好きかもって思ってただけなんだろうな。それでまぁ、性欲も普通にあるし恋人が出来たらセックスもするだろうから、上手く出来るように自分で努力しておくかってとこか…健気だな」
何だか変な感じだが、十和田にそう言われて、わかったことがあった。
恋をしてみたかった。恋人が欲しかった。
だから努力しないとって思っていた。
ただそれだけだったんだなと言われてみるとそうだなと納得する。
「じゃあ、これ使ってみっか」
「はあ?」
十和田はニヤッと笑い、千輝をソファから立ち上がらせ、ベッドルームまで連れて行った。
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