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第7話
病院に行き完治と報告されるかと思っていたが、病院から帰ってきた十和田は、「完治まではもう少しかかるって」と言ってきた。
まだ治らないのか…食事が原因だろうか、睡眠不足なのだろうか、体に負担をかけたかもしれないと、千輝は十和田に訴えてたが、「大丈夫だよ」と笑って取り合ってくれない。
そして寝る時はやっぱり同じベッドに入っている。
最近十和田は、キッチンにいる千輝の横に椅子を置き、そばで仕事をしていたり、ビール片手に千輝の料理の手伝いも始めている。
なんだかんだ言いながら常に近くにいる。
カフェオープンの方も準備は順調に進み、一緒に働く二人との打ち合わせも始まっている。
「営業時間は11時~18時でしょ。それで水曜日定休日になります。伊能勢簾くんと、相場暁斗くんの二人が一緒にやってくれるスタッフなんです」
「メニューも決まったのか?」
「そうですね。やっぱりメインはブレッドボウルクラムチャウダーです。それと、日替わりでパニーニとかベーグルのサンドかな。後は、ラテアートが暁斗くんが得意なのでやってもらって、簾くんはキッチンに入ってくれるんです。あ、簾くんは提供するフードのアイデアも出してくれるんです。二人共カフェ経験歴は長くて、ベテランだからすごく頼りになると思うんです」
「へえ…頑張れよ。オープンしたら行くからな。しかし、お前は頑張るよな。この細い身体にすげぇでっかいパワーがあるっていうか。それは本当に感心する」
相変わらず十和田のベッドに二人で寝ながら抱きしめ合い話をしている。今日も十和田の唇は千輝のおでこに置いてある。
「ありがとうございます。頑張ります」と伝えると、頑張れと言いながらぎゅうぎゅうと更に強く抱きしめられた。
「あっ」
「ん?何ですか?」
「忘れてた。明日、出版社のパーティーに呼ばれてたんだ」
「ええーっ!何で今言うんですか!スーツ?ですよね着ていくの。早く出さないと。明日、何時?」
寝ている十和田を押し退けて、千輝は寝室を飛び出し、バタバタとスーツ一式を探し出す。
後から十和田がついてきて、「スーツじゃなきゃダメか?」と聞いている。
「ダメでしょう」と答えたが、「念のため担当さんに聞いてください」と伝えた。
渋々、担当編集者に電話をかけている声を聞いていると、スーツで来てくださいと言われているようだった。夜中に急に電話をかけてこられて迷惑そうな声が電話口から漏れて聞こえた。
衣装部屋で確かスーツ類を見た気がすると思い出し、部屋の中をガサガサと千輝は探し出した。
クリーニング袋のままのスーツがいくつかと、ワイシャツとネクタイも出てきたので千輝はホッとする。
「大誠さーん!ありましたよー!こっち来てください」
「明日、行きたくなくなってきた…めんどくせ」
「さっき約束してたでしょ?頑張って行ってきてください。ちょっと合わせてみます?どれがいいかな」
十和田は大抵いつも上はTシャツかアロハ、下は細身の黒パンツかハーフパンツ、足元はビーチサンダルが定番だった。とにかくいつもラフな感じだ。
一般的にはガラが悪く見えるそんな服装であるが、体も大きく、背も高い十和田が着るとモデルのように見える。おしゃれに見えるなと日頃から千輝は思っていた。
髪もちょっと長くなってきたのでたまに後ろで、ちょんと千輝が結んであげることもあった。本人はそろそろ髪を切りたいと言っているが、長めな髪型はワイルドな十和田にぴったりだと千輝は密かに思っている。
スーツ姿にはどの髪型がいいかなと考え、ワクワクしてくる。カッコいい男に洋服を合わせるのは楽しい。あれこれと合わせてスーツもネクタイも大体決まってきた。
靴も出さなくてはと玄関まで行く千輝の後ろを十和田もついてきていた。
スーツに合わせた靴を出し、座り込んで磨き始める千輝の横に十和田も座り、千輝の手元を見ている。
これから千輝はこの家を出てアパートに戻るのだ。十和田はひとりで大丈夫だろうかと考える。
「これで急にスーツが必要となった時、どこにあるかわかりましたか?靴もビーチサンダルはダメですよ」
うーん、と唸っている。
「なあ、千輝...本当にアパートに戻るのか?」
「戻りますよ。元々あそこに住んでいたんだし...そういえば、大誠さん、新しいハウスキーパーって頼むの?」
また、うーんと唸っている。
「頼まないな。そもそも他人が家の中にいるのは嫌なんだ」
「じゃあ、今までどうしてたんですか?」
そういえばと思い出す。初めてこの家に来た時そんなに散らかっていなかった。
ランドリーもバスルームもキッチンも、どこもキレイに片付いていた。
「今までなぁ...出来てたよ、それなりに。掃除も洗濯も、料理はあんまりしないけど、出来なくはない」
「ええー、まあ、そうですよね。大誠さん器用ですもんね」
「今はお前がいるからな。怪我もしてたし、頼ってたけど。ま、しょうがないまた俺がやるか」
立ち上がって伸びをしている。
◇ ◇
出版社のパーティーではお酒を飲むので、タクシーで行くと十和田は言っている。帰りもタクシーで帰ってくるそうだ。
「大誠さん!カッコいい!いつもヤクザかチンピラみたいな格好してるから、スーツ姿になると別人みたいです!」
「おい…ひでぇな」
千輝はスーツ数点の中から、細身でダークな光沢のあるブラックスーツを選んだ。ネクタイは同じくブラックでナロータイだ。
仕立てのいいスーツだが、十和田が着ると華やかでちょっと遊び心がある感じになる
十和田の雰囲気にぴったりで、カッコいいという言葉が思わず千輝の口からこぼれ落ちた。
「これも入れて」
ポケットには深い青のシルクのチーフを、ほんの少しだけ見えるように入れる。
スタイルのいい十和田が一段とおしゃれで大人の男の色気が出て見える。
「髪型どうしよっかな…後ろでちょっと結ぶ?いや、このまま撫で付けましょうか」
「もう何でもいい。窮屈…」
結ぶのはやめて、軽く後ろに撫で付けるようにセットした。十和田のワイルドさが引き立つ。
「めっちゃカッコいいですよ!パーティー中はネクタイ解いちゃダメですからね。それと、左腕は気をつけてください。まだ完治してないんでしょ?あ、眼鏡は今日必要ないですか?運転しないからいらない?」
「なんでそんなにお前がウキウキしてんだよ。眼鏡はいらねぇよ。運転しないから」
「だって、眼鏡かけると雰囲気変わってカッコいいですよ?」
十和田はムッとしていたが、そんな顔でもやっぱりカッコいい。
気をつけて行ってきてくださいと、玄関で手を振りタクシーを見送った。
しばらく見送ったままでいた千輝も、やる事は山積みだったので慌てて動き出す。
自宅のアパートに戻り、布団や服など必要な物を揃え、掃除も済ませておく。ここに戻って来れるように準備万端にした。
その後は、これから一緒に働く従業員の二人と新しく出来上がったカフェで待ち合わせをした。
千輝のカフェが出来上がり、後は三人でカフェで提供するメニューの最終打ち合わせをして、プレオープンを実施する予定だ。
「暁斗くん、簾くん、ありがとう。オープンが遅くなってごめんね。仕事大丈夫だった?」
二人は今まで働いてきたカフェを辞めて、千輝と一緒に働いてくれることになっている。色々と二人にも迷惑をかけてしまった。
「大丈夫ですよ。千輝さんは大変でしたね。でもさ、心機一転頑張りましょう。僕も張り切って頑張るからさ」
カフェでラテアートを担当してくれる暁斗が明るく挨拶してくれた。暁斗は元気な青年だ。以前、千輝と一緒に働いていた時も、よく動き気がきく存在である。
「メニューも決まったし、後はオープン後にやりながら調整しましょう。千輝さんも忙しいと思うけど、身体に気をつけて」
いつも落ち着いている簾も気遣って言ってくれる。簾にはキッチンを担当してもらうことになっていた。
簾と暁斗は元々同級生であり、長く友人として付き合っているという。息もぴったり合う二人と一緒に仕事が出来るのを千輝は楽しみにしていた。
カフェで準備をしているうちに、終電の時間が近づいてきた。ここから駅は近いが、二人とも電車に乗って帰らなくてはならない。
「あ、こんな時間だから今日は終わりにしてまた明日にしよう。電車でしょ?無くなる前に帰ろうね」
千輝はそう言い、バタバタと片付け始めた。
「俺バイクで来てるんです。暁斗を乗せて帰るから、千輝さん時間なかったら先に帰っていいですよ。戸締りしておくから」
簾が時間を気にして千輝に言う。暁斗も、それを聞き、うんうんと頷いている。
二人共、千輝は以前と同じアパートに住んでいると思っている。なので、電車が無くなる前に千輝を帰そうとしてくれていた。
今は十和田の家にいるので、ここからは徒歩で帰れる距離だ。
十和田と一緒に住んでいることは伝えていなかった。期間限定だからわざわざ言うことでもないしなと、思っていたからだった。
でも、これから一緒に働くから言っておこうと思った矢先にお店のドアが開いた。
「千輝、まだやってたのか?」
十和田がパーティーから帰ってきたようで、スーツ姿のまま店に顔を出した。
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