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第9話
「大誠さん、病院はいつ行きますか?」
「いや、実はさ…もう治ってるんだよな」
ニヤニヤと笑い左腕を擦りながら十和田は言う。
「だと思った。知ってたけど、知らんぷりしてました」
十和田を睨みつけ千輝は伝えた。
知ってたかー!と、大声で笑いながら十和田はバスルームに消えていく。
その間に、キッチンの片付けを始めるも十和田はすぐにバスルームから出てきて、冷蔵庫からビールを取り出していた。急いでシャワーを浴びたのか髪も身体も濡れている。
いつもの癖で、千輝はビールを取り上げ、プルタブを引き開けてから十和田に渡した。
左腕の怪我が治ったと聞いても、今までの癖はそう簡単に抜けそうにない。
「もう、なんでそんなしょうもない嘘つくんですか。怪我が治ってないなんて」
「しょうがないだろ、お前がアパートに帰るって言うから」
もう...と千輝は言うが、十和田が気にしてくれているようで嬉しい気持ちもある。
十和田は美味しそうにビールを飲んでいた。
「明日、帰りますからね」
「え?嘘だろ?なんでだよ」
飲んでる途中で驚くから、ビールがこぼれそうである。千輝は慌てて十和田の手をつかみビールを受け取りキッチンテーブルに置いた。
「いつまでもお世話になっていられませんよね。ハウスキーパーのお給料も頂いてたし…大誠さん、本当にありがとうございました」
「うんまあ…そっか。だよな」と言い残りのビールを飲み干している。
「大誠さん 今日のパーティーどうでした?」
「うーん...変な話になった。千輝さ、加賀鈴之典って知ってる?」
「知ってますよ、もちろん。恋愛小説家でしょ?去年、小説が映画にもなりましたよね」
「今日のパーティーにあいつも来ててさ、久しぶりだから一緒に飲んでたんだよ、同じ席で」
十和田は、いつのまにか冷蔵庫から昨日の残りのワインを出しグラスに注いでいる。
「で、あいつが俺に『お前の小説は機械みたいだ』って言うんだ。トリックは最高に面白いけど、登場人物に気持ちが入っていないから出てくる人がみんな機械みたいだってよ。俺はさ、ミステリーでトリックが書ければいいからそんなのいいんだ、描写なんて必要ねえよって言ったんだけど」
キッチンに椅子を持ってきて、千輝もワインを飲みながら話を聞くことになった。
なんだか楽しそうに十和田は話をしている。加賀鈴之典と喧嘩したり因縁を付けられているわけではないとわかる。
加賀鈴之典も十和田には気心しれた人のようなのかもしれない。
話を聞くと、どうやら同じ席で飲んでいたら、お互いの小説の話になったようだ。
加賀に「人の気持ちとか、自分の気持ちを考えたことがないから、十和田の書く小説の登場人物は機械のような人間だ」と言われたらしい。
「そしたら加賀がさ、俺は人の気持ちもわかるし、トリックも作ることはできるとか言いやがったんだ。だったら俺も恋愛なんか書けるぜって言い返してさ...そしたら、共同で一冊作る話になったんだよな。俺は恋愛部分を作って、あいつはトリックの部分を作る。恋愛ミステリー?みたいな作品を作ろうってさ。そんな話をしてたら、周りの担当とか出版社全体が盛り上がっちゃって」
「ええっ!すごい!それで?書くことになったの?」
「うーん。まあ…そんな感じ?」
十和田大誠と加賀鈴之典の合作なんて夢のようだ。二人共、大人気作家である。
しかも二人共がそれぞれ別のジャンルを書くことなんて、もしこれが実現したら、世の中大騒ぎする最大のニュースになるはずだ。
「大誠さんの恋愛小説って...読んでみたい気もするけど」
この人が思い描く恋愛を知りたい気持ちはある。だけど、十和田を想像してしまうと、ちょっとせつなくなるから知りたくない気持ちも動く。
十和田はチラッと千輝を見て言う。
「だからさ、どうしよっかなって考えてるとこ。最近女もいないし。でも俺にはあれがあるんだよな。ドエロなやつ」
「はあ?」
十和田が言い出したドエロなやつとはバイブのことだとすぐにわかった。
「なんかヒントがあるかもしれないだろ?ちょっとやってみる?」
「まだ言ってんですか。嫌ですよ絶対。それに、加賀鈴之典さんが言う恋愛って、そんなエロとは全く違うでしょ?」
「そうか?じゃあ別のこと考えるか」
あれから毎日同じ部屋の同じベッドで寝起きしているが、千輝のバイブは十和田がどこかに隠したようで見つかっていない。
作家の考えていることはわからないが、十和田自身が考えていることもわからない。
「じゃあ、これから忙しくなりますね」
「うーん…どうだろうな…」
呑気に答える作家は、冷蔵庫の中を覗いている。
◇ ◇
翌日、予定通り十和田の家を出て千輝はアパートに戻った。
久しぶりの自宅は狭く感じる。十和田の家に慣れてしまったようだ。それに、ひとりになると胸が痛く寂しさがぐっと押し寄せてくる。
十和田との生活は自分で思っている以上に心地よく、楽しく、愛おしい日々だったようだ。
家の中を軽く掃除をしてから、店へと向かった。店は、ここアパートからは電車に乗り二駅、最寄り駅からは降りてからすぐだ。
店には、既に二人も来ていて準備を始めていた。明日からプレオープンをし、ようやく千輝のカフェはスタートとなる。
「料理を提供する時間も、ドリンクやコーヒーを出す時間もいいね。さすがベテランだけあって、やることに無駄がないよ」
簾と暁斗の動きは完璧だし、千輝も一緒に動いても問題はなかった。
足りないものはないかなど、明日に向けてのブリーフィングを終えて今日は終了となる。
「今日はもう終わりにして、明日から頑張ろうね。とりあえず問題が出たら、すぐに改善して立て直そっか」
「ですね。やってみないとってとこあるし。でも上手くいきそうじゃん」
「千輝さんも頑張らないで、ちゃんと休んでくださいよ」
三人で最終チェックをしていると外からバイクの音が聞こえてきた。
「大誠さんだ」
簾が嬉しそうに、十和田を外まで出迎えに行った。
「昨日、あの後もずっと大誠さんの話してたよ。簾、相当嬉しかったみたいだよ。バイクの話で盛り上がったって言ってた」
暁斗は、バイクの前で話をしている簾と十和田を見ながら呟いている。昨日話ししていたバイクの部品だろうか、十和田が簾に何かを渡しているのが見えた。
二人は楽しそうに話をしながら店の中に入ってきた。
「千輝、今日はもう終わりにするのか?メット買いに行ってきたぞ。ほら、これ千輝のやつな」
十和田が千輝にヘルメットを手渡しする。それを見て簾が「ヤバ、めっちゃ高い純正ヘルメットじゃん」と言っている。
今日も簾はバイクに暁斗を乗せて来ていたようだ。
帰り間際にバイクに跨り、名残惜しくバイクの話をしていた簾に「今度遊びに来いよ」と十和田は家に来るように誘っていた。
「じゃあ千輝、帰ろうか。バイクだけどいい?」
「大誠さん…今日から僕、アパートに帰るんですけど」
「ん?知ってる」
今日からアパートに戻ると昨日十和田には伝えている。千輝は寂しく胸が苦しい思いをして離れてきたと思っていた。
それなのに、ひょいと今日も店に現れて一緒に帰ろう、アパートに帰ろうと言う。
十和田の考えていることがわからない。
買い物もあるので歩いて帰ると言っても、俺も行くぞ?といい、結局十和田と千輝は一緒に千輝のアパートまで帰ってきた。
場所が変わっただけで、今までの生活と何も変わらない。千輝は十和田と一緒にご飯を食べ、それぞれがシャワーを浴び、今は床のラグの上に座り十和田はビールを飲んでいる。違うのは十和田の家とは違い、狭い部屋に二人で並んで座っていることだ。
「明日がプレオープンだろ?」
「そうなんです。昼から15時頃までやって、明後日から本格的にスタートです」
「そうか、頑張れよ」
十和田は、ごろんとラグに横になり、千輝の膝をひざまくらにしている。
「あの...大誠さん。何でここにいるの?」
「明日から忙しくなるんだろ?今度は俺が千輝を助けるからよ。心配すんな」
この日を境に十和田は、毎日千輝の送り迎えが始まった。
◇ ◇
カフェのプレオープンは盛況で、その翌日からのオープンも順調にスタートした。
SNSを使い、料理やドリンクなどを投稿している。この後、雑誌の取材を受ける準備もしていた。軌道に乗るまではまだかかるが、それでも順調に進んでいると感じていた。
十和田はというと、毎日バイクで閉店間際に迎えに来ては、千輝と一緒にアパートに帰る生活をしている。朝は千輝をまたバイクで店まで送り、一旦自宅に戻りまた店が終わる頃、迎えに来ていた。
送り迎えの他にも毎日、アパートの掃除をし、洗濯、料理もしてくれる。それだけではなく、シャワーの後は千輝の髪を乾かすことも覚え、布団を敷き寝る準備までも、してくれている。
アパートには、布団はひと組しかないため、毎日その布団で二人一緒に寝起きしていた。十和田のベッドとは違い、男二人で寝る布団は狭いが、疲れているのですぐに寝てしまい気にならないほどだった。
おかげでオープンからクタクタに疲れている千輝は、家では何もせずに過ごすことが出来ていたが、十和田と離れアパートでひとりになると覚悟を決めていただけに、拍子抜けである。
胸が痛く寂しさがぐっと押し寄せてきたのも、たった数時間のことだったと思い返していた。
それに、十和田は持ち前の器用さを発揮していて、毎日どんどん料理の腕も上げていっている。
「今日はアクアパッツァ作ったぞ」
「大誠さん、凄くなってきたね…」
「アクアパッツァってどこの国の食べもんだ?」
呑気な会話もいつも通りだった。
そんな感じで、オープンしたカフェにも慣れてきて、新しい生活は充実している。
◇ ◇
「やっぱりクラムチャウダーが人気メニューですよね。午後はカップケーキも出るようになったし…だから出来ると思うんですよ」
閉店後のミーティングで暁斗から提案があった。
この辺は観光地とはいえ大学もあり、働いている人達もたくさんいる。SNSを使った宣伝効果が出てきたのか、たくさんの人がカフェに集まり固定客がつくようになっていた。
ホールを担当している暁斗は、そんな馴染みになり始めた客からお願いをされていたらしい。
「昼の時間に入れない時があるって言うんだ。学生さんもこの辺で働く社会人も昼休みって1時間くらいでしょ?だから、ここが並んでいると入れないって言われて…」
週末は観光客が多く来店するため、外で待っている人も出始めていた。平日はそこまでではないが、昼のランチは皆、大体同じ時間に取るため、店の中のテーブルを早い者勝ちで取るみたいなところがある。
「だからランチボックス出来ないか?って言われた。クラムチャウダーとパンで。後は午後に甘い物欲しいから、カップケーキを持ち帰りたいって言う声もあるよ」
いつの間にか暁斗は常連客とそんな会話をしていたのかと驚く。千輝自身はキッチンとホールで動くのに手一杯だったで、少し反省してしまう。
「俺もそれやってみる価値あると思う。店に入れなくて帰る人がキッチンから見えるんだけど、あー残念って思うんだよね。せっかく来てくれたのにってさ」
簾もランチボックスをやる事に前向きであった。
そこに「おう!」と十和田が迎えに来た。
今日は簾ではなく暁斗がタタッと十和田に小走りで近づいていく。
「暁斗、ほら」
「嬉しい!ありがとうございます」
ぺこりと直角にお辞儀をしている。何を渡されたのかと覗いたら、暁斗は本を手にしていた。
「大誠さんの新作が出るって聞いたから予約しようと思ってたんだけど…プレゼントしてくれた!しかもサイン入れてくれた!マジで嬉しい。ありがとう大誠さん」
踊り出しそうな勢いでいる暁斗を簾がつかまえている。この二人はいつも仲がいい。しかも、見ていて飽きないくらい面白く、戯れているのを微笑ましく思って見ている。
「ミーティング?」と、十和田が千輝に問いかけた。
「そうなんです。お客様からランチボックスを出して欲しいって声があるようで。どうしようかなって話してたところ」
「すごいじゃないか」
笑顔で十和田に言われると何よりも嬉しく感じる。自然と自分も笑顔になっているのがわかる。
明日は週に一度の定休日だ。とりあえず明後日からランチボックスの提供を始めてみようと話はついた。
明日中に必要な物を揃えておこうとなり、今日の営業は終了した。
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