引越の条件

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「え?引越すんの?」 「おん」 「なんで?」 「今のとこ、何気に不便なんだよ。コンビニも遠いし」 「そーいや遠いな。スーパーもちょっと歩くし」 「だろ?今日も一件内覧行くんだわ」 「えっ、俺も行く」 「は?」 「行きたい!俺も飯島(いいじま)の新居見たい!」 「まだ決まってねえって」 「いいじゃん、一緒に行く!」 「子供か」 「俺、今住んでるとこ一発で決めたから、あんま物件見たりしてなくてさ。内覧行きたい!」 「まあ・・・・・・いいけど」 「やった!」  同僚で親友の飯島(いいじま)(しゅん)は、普段はクールでちょっと無愛想。 でも俺にはわかるのだ。ちょっと嬉しそうである。 「何件ぐらい見たの?」 「三件」 「今日が四件目?」 「そう。なかなかこれっていう決め手がなくてさ」 「譲れない条件とかは?」 「風呂の広さと、駅からの距離かな」 「風呂?」 「足が伸ばせないとやなの」 「それ難しくね?」 「そうなんだよ・・・・・・」 「飯島、シャワー派だと思ってた」 「湯船に浸からないと疲れ取れないんだぞ」 「そなの?」 「そう」 「じゃあ入るようにしようかな」 「おん」  そうこうしているうちに、今日の内覧の場所についた。不動産屋のおにいちゃんがにこにこしながら待っていた。飯島は会釈をしながらお待たせしました、と言った。不動産屋は、にこにこ顔のまま俺を一瞥した。 「あ、友達です」  飯島がさらりと説明して、不動産屋は「そうですか、ではこちらへどうぞ」と俺たちを中に案内した。  小綺麗なマンションの三階、南向きの日当たり良好な部屋。明るくてそこそこの広さ。 「明るいな」  飯島はスリッパをぱたぱたしながら、一部屋ずつチェックしている。俺は今の飯島の部屋の家具を想像しながらついて回った。 「こちら日当たりもよく、冬は暖かいですよ」 「そうっすね」 「あと、こちらが仕切れるようになってまして」   「はいはい、ああ、なるほど」  不動産屋と飯島は連れだって隣の部屋を見に行った。俺はさっきの飯島の話を思い出して、風呂場に向かった。清掃済みの紙の帯が張られた洗面台のシンク。半透明のガラスがはめられたドアを開けると、割と大きめのバスタブがついていた。 「おお・・・いいんじゃね?このサイズ」  独り言をつぶやき、俺はスリッパを脱いだ。そしてバスタブの中に身体を入れてみた。俺と飯島は似たような体格なので、俺が足を伸ばせれば飯島も伸ばせるはず。 「お・・・お客様?」  バスタブの縁に腕を乗せて気持ちよく目を閉じた俺の頭上から降ってきた声。  不動産屋と飯島が、目をまん丸くして見下ろしていた。 「あ、あらっ」 「沢・・・・・・お前なにやってんだよ」 「えっと・・・飯島の代わりに風呂のサイズ感を調べてました・・・」  やばい、不動産屋の目がハテナマークになっている。 「まずかった・・・・・・?」 「いいから早く出ろ」 「スミマセン・・・・・・」  あわてて立ち上がり足を持ち上げてバスタブを跨ごうとしてよろめいた。まるでそうなることを予測していたように、飯島は俺の腕を掴んだ。 「あら、どうもご丁寧に・・・」 「おっちょこちょい」 「へへ・・・・・・」  俺たちのやりとりを不動産屋は不思議そうに見ていたが、飯島が真面目な顔つきで、じゃあここで進めてください、と言うと、とたんに仕事モードの顔に戻った。 「飯島、めっちゃ簡単に決めたけど、良かったん?」 「ちゃんと考えて決めたっつーの」 「それならいいけどさ。引越いつ?」 「来月あたま」 「手伝うわ」 「当然だな」 「え?」 「お前が実家から今の部屋に越す時、手伝ったの誰だっけ?」 「あ~・・・」  手伝ったなんてもんじゃない。手際の悪い俺の三倍のスピードで飯島は俺の引越のほとんどを担ってくれたのだ。 「がっちり手伝ってもらうからな」 「も、ももももちろんです」 「今度はコンビニも近いし、いろいろ、楽になる」 「俺んちも近いよ?」 「・・・・・・まあそうだけど」 「路線も同じだし、遅くまで遊べるな!」 「中学生か」 「終電、気にしなくてよくなるじゃん。どうしようもなくなれば、どっちかの家に泊まればいいし」 「って、結局俺の家に泊まるんだろ」 「なんでわかんの?」 「わかるわ」 「まあ、そうなるよねえ」 「・・・・・・だからここにしたんだよ」 「へ?」 「ちょうどいい部屋、ひとつあっただろ。客間」 「客間・・・あ!あったあった!あれ、俺の部屋?」 「お前専用じゃねーわ、客間だから」 「他に誰か来んの?」 「・・・・・・・」 「いえーい、おっれのっへやっ」 「・・・・・・沢ってバカだよな」 「なにをぅっ」  あははは、と飯島が珍しく大笑いした。  まあ、あの部屋の存在は気づいてたし、俺以外のやつをあそこには泊めないだろうことくらい、わかってるけどね。  
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