夏の終わり

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夏の終わり

 ――ばたん。  背後で玄関の扉が閉まり、先ほどまで滞在していた室内の光が、遮断された。外は夜。空には星が弱く瞬く。俺はそのまま、涼花ちゃんの家の前、閉じた扉の前で、一度立ち止まった。  今日はもう、夏休み最終日。前に彼女の家で勉強会をしたときから、俺が全く宿題を進めていなかったので、半ば強制的に部屋に連れられて、勉強していた。結局、全ての宿題を解き終えることなく、夜になったので勉強会はお開きになったけど。  背中に、初めて彼女の方から与えられた、温もりが残っている。  未完成の課題をバッグに詰めて、玄関で靴を履いて、彼女の家を出ようとしたとき。彼女は後ろから俺にハグをした。細い腕が背中から体にまわって、呼吸する彼女の微かな身体の動きや緩やかに早まる心音が、そのまま俺の中に伝わっていた。それは突然のことで、驚いたしどうしていいかわからなかったし。  でも、優しく体を包む体温が嬉しくて。本当に呼吸が止まるかと思った。  ――止まってしまえば、どれほど幸せだっただろう。  おかげで、気持ちを抑えるのに精一杯だった。「じゃあね」と、素っ気なく手を振って、外に出てしまった。名残惜しくなる前に、一人になった夜の中、生ぬるい風を頬に受けながら、俺は自分の家の方へ歩き出した。一定の間隔に並ぶ街灯が、コンクリートの足元に影を落とす。通り過ぎる家の窓に灯りは付いているが、路上には自分以外、人の気配は無い。  夏樹君の役と後悔を引き受けて、ここまで過ごしてみたけど。俺はいつの間にか、欲張り過ぎてしまっていた。もしこの欲張りを続けて、彼女に本当の気持ちを伝えたら。一言、口に出してしまえたら、俺はどうなるんだろう。彼女は優しくて真面目だから、俺の言葉を忘れないし、応えようとしてくれるかもしれない。夏休みに入る前、初めて彼女を抱き締めながら、「俺を殺してくれる?」と、訊いたとき、彼女は簡単にも了承してしまった。あのときはとても嬉しかったけど、きっとあんな約束、彼女を苦しめるだけだ。一緒にいる時間が長くなるごとに、じわじわと、抉るように、あの約束の罪深さに気が付いた。  やっぱり、俺には愛される才能も、愛する才能も、そして勇気も無かったみたいだ。彼女と一緒にいることで増えた言葉も戻った感情も、上手く扱うことができないまま。ふとした瞬間、泣きそうになる。幸せの行く末が、気になって苦しくなる。何度どんな風に考えても、そこにはバッドエンドしかない気がして。そんな結末に、彼女を巻き込みたくない。  自分から、彼女に近づいたくせに。 「ごめん、ごめんね」  無意識に走り出してしまう。切れ切れになる呼吸の中、俺は呟いた。  涼花ちゃん、俺はあなたが好きでした。  どうか俺の知らないところで、笑ってて。  夏の終わりのぬるい夜風が、胸に残る小さな炎をかすめて去っていった。
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