十話

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十話

雀の囀りと共に窓から差し込む陽射しを浴び、まず最初にしたのはだらしないと評判の下半身の確認。 「セーフ、穿いてる。ってこたあ女の部屋じゃねえな」 さすが俺、名推理。 二日酔いで痛む頭を押さえ、体を起こした拍子に毛布がずり落ち、床に敷かれたカーペットの上に落ちる。 「眼鏡眼鏡」 小声で呟いてテーブルを手探りした直後、顔面に冷たい飛沫が降り注いだ。 「うわっ!?」 不意打ちにたじろぎ、うるさい音をたて転がり落ちる。 床に大の字に伸びた遊輔をぼやけた人影が覗き込む。眉間に皺を刻み、逆さまの顔に目をこらす。 「何してるんですか」 「一人コント」 「前衛的なラジオ体操かと思いました」 「このかっこでいると頭に血が下りて思考が活性化するんだ、豆知識な」 「探し物はこれかな」 もったいぶった含み笑いに次いで押しかぶさり、顔に眼鏡をかけ離れていく人影を睨む。 「おはようございます。爽やかな朝ですね」 カジュアルな私服姿の薫がにっこり微笑み、遊輔がこの上ない渋面を作る。 「なんで霧吹き置いたの?ビデトラップ?」 「顔洗うてま省けたでしょ」 霧吹きスプレーをとり、ソファーのすぐ横の観葉植物に湿りを与える薫。 上機嫌で口ずさんでいるのは遊輔がこないだ貸したブリティシュロックの名曲だ。 「野郎の部屋で目覚めるなんて最悪の気分だよくそったれ、しかも寝違えた」 「寒空の下に放置しなかっただけ感謝してください」 あぐらをかいてあくびを連発、寝ぐせの付いた髪をだるそうにかきむしる。 だんだん記憶が甦ってきた。昨日はバーで酔い潰れ、薫に車で送ってもらったのだ。 広く快適なリビングを見回し、端的な感想を述べる。 「大麻がねえ。ワニもいねえ。ツマんねえ」 若い男の一人暮らしということを踏まえれば贅沢極まりない設備と面積。オールドアメリカ風のインテリアで統一された室内は、モデルルームのように見栄えがよい。観葉植物は瑞々しく、ソファーやカーペットも値が張りそうだ。 「ご期待に添えずすいません」 霧吹きを置いて立ち去る薫を追い、覚束ない足取りでキッチンへ行く。 チェーンソーを回すようなけたたましい電動音にびくりとする。 薫がミキサーに似た装置を傾け、手に持ったコップの中にペースト状の何かを注いでた。 「藻?青汁?」 「青野菜の特製スムージーです。二日酔いによく効きますよ、一気にどうぞ」 「それミキサー?すごい音してたぞ」 「サイレンサーが付いてればよかったんですけどね」 「暗殺道具かよ」 「仕留めにいきますね」 振り返りざま銃を模した指で撃たれ、もとからなかった食欲が急激に失せていく。仕方なくコップを受け取り、もとい押し付けられたものの、どうしても口を付ける気にならない。 微妙な顔で立ち尽くす遊輔に、薫が朗らかに勧める。 「ハチミツ入ってるから甘いですよ。ぐいっといってください」 「あ~うん……コーヒーくんね?ブラックで」 「朝いちでカフェインは胃に悪いですよ」 うるせえよ馬鹿。罵りたくなるのを辛うじてこらえ、好青年にスムージーを突っ返す。 リビングに戻るやいなや両手を広げてソファーに身を投げ出す。仰け反り見上げた天井では、四枚羽の木製ファンが旋回していた。 「あんまり覚えてねェんだが、またこっぱずかしいこと言ってた?」 「昨日は」 「いや待て言わなくていい、忘れろ」 泥酔すると青臭いことをたれながすのが遊輔の悪い癖だ。眼鏡ごと顔を覆い、しばらく自己嫌悪に沈む。 薫はストローでスムージーをかきまぜている。 「遊輔さんの名前って名刺ババ抜きで決まったんですか」 「怖。なんで知ってんの」 顔から両手を下ろし驚く。薫は慈悲深い微笑みではぐらかし、猫のような足取りでソファーの後ろに回り込む。キッチンカウンターのサイフォンが黒い液体を蒸留する。 「コーヒー淹れますよ」 「サンキュ」 「その前にスムージーで胃をコーティングしてくださいね」 「保護膜は牛乳でやるもんだろ」 両手を組んでおもいきり伸びをする。そういやコイツの部屋に来るの初めてだなと気付き、リビングを歩き回って花瓶や置物をひねくり回す。質に入れたら良い儲けになりそうだ。 「中村悠馬と半グレの件は次やりましょ」 「一応録音したけど、今聞き直したら結構雑音が入っちまってるな」 「パソコンでノイズキャンセリングしますよ。証拠音声あるのとないのとじゃ食い付きが段違いですから、体張った甲斐ありましたね」 遊輔がボーイになりすまし接触した中村悠馬は都内の名門大に在籍する議員の長男で、ドラッグを用いた婦女暴行の常習犯だった。 遊輔が一年前にスクープをすっぱぬき、デスクに握り潰された事件の主犯でもある。 あの時遊輔の記事が世に出ていれば、被害者は二桁に突入しなかったはずだ。 「ずっと追っかけてた因縁の相手なんでしょ?リベンジできてよかったじゃないですか」 「お前がお膳立てしてくれたからな」 煮え切らない返事をし、砂時計を逆さに置き直す。ガラスの曲面に歪んだ顔が映り込み、憂鬱な気分に拍車がかかる。 遊輔一人じゃ中村悠馬を追い込むのは不可能だった。凄腕ハッカーの薫が動いたからこそ、確かな犯罪の証拠を掴むことができたのだ。 薫が腕を組んで壁にもたれる。 「中村が詰んだこと、取材した子たちに教えてあげないんですか」 「そんな資格ねえよ」 「でも」 「蒸し返されたがってねえ子もいる」 当時インタビューした被害者の大半と連絡をとってない。先方がそれを望まなかったのだ。 薫が付け足す。 「被害者のプライバシーには細心の注意を払いますよ」 「炎上すりゃよってたかって暴かれる」 「そうですよ?」 薫が場違いに笑い、いっそ無防備なまでに大胆に遊輔に歩み寄る。 色素の薄い瞳が瞬き、遊輔の困惑顔を映す。 「最初に会った時言ったじゃないですか、一緒に地獄に落ちてくれる覚悟はあるかって」 「俺と心中してえとか悪趣味だな、そんな熱烈なプロポーズ女にもされたことねえよ」 「知ってました」 薫が満足げに頷いてさしだすコップを片手を立て押し返す。高速で三往復した末、一口飲んだ薫が緑に染まった舌をたらす。 「ベロしまえ。引っこ抜きたくなる」 「むしろ抜かれるほうじゃないですか閻魔様に」 「火炎地獄でタン塩パーティーとかぞっとしねえな」 「俺はタレ派ですね、レモンを一滴絞るとイケます。今度焼肉いきません?」 「おごりか?」 遊輔が念を押す。 「おごりなのか?」 薫はスルーする。 「中村のスマホ手に入ったのはラッキーでした。中身は?まだ見てないんですか」 「ぜってえ胸糞悪ィもん入ってるし」 本当なら昨日の段階であらためるべきだったが、どうしても決心が付かずずるずる引き延ばした。薫が横から手を伸ばしスマホを掠めとる。 「貸してください」 「おいこら」 「ああなるほど……予想当たってますね、なかなかエグい。ファイルは十二個、全部で十二人分か」 薫がボリュームを上げる。男たちの笑い声と女の喘ぎ声が高まり、遊輔がうんざりする。 「返せ」 すぐにボリュームを下げ音を消し、動画ファイルのダウンロード履歴を調べていく。 本音を言えばすぐにでも削除したいが、警察に送信をすませるまで我慢しなければ。 ふとVIPルームで交わされた会話を思い出し、液晶においた親指を止める。 「どうかしました?」 「中村がアホなことぬかしてたんだ、本物のスナッフフィルム手に入れたとか……虚言症の坊やのフカシだと思って、そん時ゃ流しちまったんだが」 「中国の違法動画でも引っ張ってきたんですかね。あっちは無法地帯だから」 「メイドインジャパンらしいぜ、男が変態に嬲り殺されてる動画って話だ」 「本気にしてませんね」 軽薄に肩を竦める。 「スナッフフィルムは都市伝説。長年記者やってるけど、本物にゃ終ぞお目にかかったことねえな」 「事実は小説より奇なり、決め付けは早計ですよ」 「ダークウェブに潜ってんだろ?そっちにゃ転がってんのかよ」 「本物っぽいのにはめったにお目にかかりませんね。作り物なら腐るほど」 「どこもかしこもフェイクだらけだ」 自嘲気味に笑って履歴をスクロールし、止まる。 二日前にダウンロードされた動画の中に、『フェアリー・フェラーの神業 #3』と題されたファイルが紛れていた。 どちらからともなく顔を見合わせクリック、動画を再生する。親指を動かしボリュームを上げる。 映し出されたのはどこかの部屋……地下室だろうか。 壁に妙な絵が掛かっている。草むらに撒かれた木の実と犇めく妖精の群れ。 カメラの照準が絞られ、ベッドの端に並べられた道具を一個一個ズームで撮っていく。 ペンチ。金槌。万力。アイスピック。注射器。脱脂綿。輸液袋。最後に映ったのは鉄製の洋梨。 『……クっソ悪趣味なお医者さんごっこやな。イカレとんでアンタ』 『知ってる』 音がする。ベッドが軋む。悲鳴が響く。遊輔の顔が強張り、スマホを掴む手がじっとり汗ばむ。薫が真顔で感心する。 「実在したんですね」 限界だった。 「おえ」 薫にスマホを投げ渡すなり床に突っ伏し、盛大にえずく。 トイレはどこだ?くそ、はじめて来たからわかんねえ。口元を押さえ廊下を這い進むうち、突き当たりのドアの存在に気付く。あそこか?直感に従って駆け出す間際、背広の裾を掴んで制された。 「洗面所はこっち」 バスルームに入り、洗面台に顔を突っ込んで酸っぱい胃液を吐く。蛇口をひねる。しぶきがとぶ。 薫が遊輔に付き添い、前屈みになった背中を優しくさすってやる。 「記者のくせに情けないなあ、事件現場の取材で免疫付いてるんじゃないんですか」 「ここ何年かは芸能人のケツ追っかけ、うぷ、てたからッ、久々にドギツイの来たわ」 蛇口の下に頭をさしのべ、勢いよく迸る水を浴びる。薫が間延びした声で嘆く。 「あ~あ、眼鏡かけたまま洗っちゃった」 「言ってる場合かよ、なんだありゃ」 「だからスナッフフィルムでしょ、本物の。映ってるのは誰でしょうか。まだ若い……俺と同じ位の男の子ですね」 次いでにうがいをし苦い後味をすすぐ。 グロッキーな遊輔の隣で小気味良く画面をタップし、早送りと巻き戻し、一時停止と再生を小刻みに繰り返しながら薫が呟く。 「で、どうします?警察に送ってさっさと忘れますか」 洗面所に壮絶な断末魔が響き渡る。青年が母親を呼ぶ声が聞こえる。遊輔は大急ぎで考えをまとめる。 彼も記者の端くれだ、この動画がCG合成した偽物か本物かは見ればわかる。 問題は出所と流通経路。 仮にこの動画が本物の殺人現場を撮ったもので、青年を嬲り殺した犯人が野放しなら 「……警察(サツ)には送る。匿名で」 「そのあとは」 わかりきった答えを促す薫の澄まし顔にスマホを突き付ける。 「コイツがどこの誰か調べる」 既に見たものを見なかったことにして忘れてしまえるほど、遊輔は器用にできてない。 警察にまかせておけと右耳で理性が囁く。お前はそれでいいのかと左耳でプライドが囁く。 よくはない。断じて。 何故なら動画の青年はこちらに手を伸ばし、繰り返し助けを求めていたから。 「バンダースナッチ(俺たち)も犯人を追うぞ、薫」 バンダースナッチは鏡の国のアリスに登場する群にして個、個にして群の怪物。 その姿形や性質は不明で、作中の詩だけが存在に言及する。 一説によると非常に素早く、燻り狂ったバンダースナッチに近寄るのは禁忌(タブー)とされていた。 「最後までお袋呼びながら死んでったガキを、名なしのまんまにしておけるかよ」 犠牲者の最期の瞬間で動画を止め、軋むほどスマホを握り締める。 「二日酔いでただでさえ最低の気分をどん底の底まで落としやがって、きっちりツケ払わせてやっからな変態野郎」 この世には怪物が存在する。 たとえばフェアリーフェラー。たとえばバンダースナッチ。
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