三話

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三話

呆然と立ち尽くす春人の耳に突如音楽が鳴り響く。 舌打ちに似て小刻みな前奏(イントロ)、続く駆け足のメロディー。物悲しい歌声が英語の歌詞を吠えたてる。 反射的にパソコンを閉じて振り向けば、男が後ろ手にドアを閉め、口元だけで笑っていた。 閉じ込められたと直感する。 全裸に純白のガウンを羽織った男が、小首を傾げるようにして聞く。 「この曲知ってる?」 チチチチチチチチ、時を刻む秒針のような前奏。春人が動画を再生している間にオーディオを起動したらしい。 再びリモコンを操作しボリュームを上げ、油断なく接近を図る。捕食者が優位を誇示し、獲物をいたぶり追い詰める足取り。 「来んな!」 震える声で制すも遅く、男が目の前までやってくる。 「この曲の名前は?」 「知らんわ変態そこどけ、さもないと警察に」 回答を間違えた。 男の目の温度が急激に冷え込んでいく。 「はずれ」 「ぐっ!?」 腹に衝撃が炸裂。見ればスタンガンが鳩尾に食い込み、青白い火花を散らしていた。  「学校の先生や親御さんに教わらなかったかい、人の話はちゃんと聞きなさいって。自分の不幸自慢に夢中だった?君が悪いんだよ、正解できたら帰したのに……」 たまらず崩れ落ちる春人を抱え、小人の絵を背負った男が嘆じる。 「ヒントはあげた。俺は公平(フェア)にいきたいんだ」 うなだれた頭をかき抱き、噛んで含めるように囁く。 「正解はクイーン、『妖精のきこり(フェアリーフェラ―)の神業』」 「解散したバンドやん、ぐあッ」 スタンガンの先端が再び食い込んで放電する。 「クイーンは解散してない。現役だ」 「あッ、がっ」 内臓を鞭打たれるような衝撃と激痛に不規則な痙攣が襲い、白濁した泡を吹く。 人間の擬態が剥がれ、恐るべき怪物の本性が暴かれる。 「和訳タイトルは『お伽の樵の入神の一撃』。君が見ていたのはイギリスの画家、リチャード・ダッドの複製画。アウトサイダーアートの代表作と言われてる」 共感力が欠如した昆虫の瞳が、苦痛に喘ぐ春人の顔を無機質に映す。 「ダッドは足かけ十年かけ、精神病院でこの絵を描き上げたんだ」 三半規管が撹拌され、酩酊感と嘔吐感が同時に襲い、全身の筋肉が弛緩していく。 思えば最初から妙だった。 何故先にシャワーを浴びたのか。何故春人ひとりをゲストルームに行かせたのか。 無人の部屋の机の上、ノートパソコンのモニターが点けっぱなしで立てられていたら誰でも注意がいく。 「もっとよく見てごらん。修道士、馬丁、御者、修道士、メイド、踊り子……たくさん集まってるだろ?みんな妖精のきこりの渾身の一撃を見に来たんだ。草葉の陰でこっそり乳繰り合ってる、けしからんカップルもいるけどね。かえってリアルじゃないか」 観衆(ギャラリー)の注視を受け、高々と石斧を振り上げる小人の雄姿に男が重なる。 かち割ろうとしているのは地面に撒かれたどんぐりか、床に突っ伏した春人の頭か。 秘密の森の奥、祝祭の狂騒に身を委ねた妖精たちが愉快に跳ね回る。 古いロックが部屋を圧し、首尾よく事が運んでご満悦の男がサビを口ずさむ。 何言っとんのか全然わからん。 英語、ちゃんと勉強しとけばよかった。 コンクリ打ち放しの床に倒れた春人は、ベッドの下に突っ込まれたいかがわしい道具の数々を目撃する。 銀の光沢の手錠があった。革に鋲を打った首輪があった。極太のディルドにバイブレーター、ローターやエネマグラにアナルプラグ、黒いバラ鞭と乗馬鞭も用意されてる。 そこまではいい。 春人の趣味じゃないが、SМグッズとして最低限の知識はある。 理解できないのは洋梨に似た紡錘形の器具で、用途が全くわからない。 わからないから妄想が膨らむ、恐怖が加速し暴走する。 「誰か!人殺しや、警察呼んで!」 必死に声を張り上げ助けを呼ぶ。男の眼差しがひとかけらの憐憫を帯びる。 「無駄だよ、防音は完璧だ。どのみち我らが偉大なる妖精のきこりの雄叫びにかき消される」 ああ……いちじく浣腸に似とるな。ガキん頃おかんに突っ込まれてギャン泣きしたっけ、懐かしな。 「レイプされる位なら舌噛んだ方がマシ」 「じゃあギャグか猿轡をするよ。詰め物は顔の形が変わっちゃうから好きじゃないけど、仕方ない。でも綺麗な顔の子に棒ギャグ噛ますのはそそるよね、サディスティックで。唇フェチなのかなあ?」 話が通じない。 「それは苦悩の梨。異端審問に用いられた中世の拷問具で、膣や肛門に挿入するんだ」 男が片膝に体重を移し、ベッドが不吉に軋む。 痺れた体がベッドに投げ出され、両手に手錠が噛まされる。 「魔女狩りの犠牲者には男も含まれた。男の魔女なんておかしいよね。キリスト教の価値観じゃ男色も罪らしい」 「助け、て……うち帰して」 誰も春人がここにいると知らない。 故郷をでたきり母とは連絡をとってない。 修道士、馬丁、御者、修道士、メイド、踊り子……絵画に犇めく妖精たちが残忍に嗤いながら、囚われた青年を見下ろす。 きめ細かくしなやかな手が頬を包み、狂気を孕んだ双眸が弓なりに反る。 「怯えてるの?可愛いなあ」 片手で器用にボタンを外し、シャツの合わせ目を寛げていく。さらけだされた胸板をなでまわし、乳首を優しく抓り、引き締まった腹筋をゆるゆるさする。 「贅肉が付いてない。仔猫ちゃんの肉球(プッシーフット)みたいな綺麗なピンクの乳首だ」 遠く近く声が歪み、唄うような抑揚が鼓膜を浸す。頑として拒む心と裏腹に、緩やかな愛撫が股間に熱を集めていく。 視界の片隅で男が箱を探り、極薄のラテックス手袋を装着する。解剖医のように手際が良い。 「ドラッグ?」 「ご想像におまかせするよ」 あの水割りか。 体が痺れて動かないぶん感覚がクリアに冴え渡る。男がハンディカムのビデオカメラを捧げ持ち、ぐったり仰向けた春人をズームで映す。 合間合間に手を止め、ベッドの上におぞましい道具を並べていく。 ペンチ。金槌。万力。アイスピック。注射器。脱脂綿。輸液袋。顔のすぐ横に置かれた苦悩の梨にいやでも目がいく。 脂汗にまみれた顔に憎々しげな笑みを貼り付け、春人が唸る。 「……クっソ悪趣味なお医者さんごっこやな。イカレとんでアンタ」 「知ってる」 「さわんな言うとるやろ変態」 呂律が回らず虚勢が剥がれる。アドレナリンと汗が過剰分泌され、眼球に毛細血管が浮かぶ。 どんなに暴れた所で金属の手錠は外れない、いたずらに皮膚が擦り剥け手首を痛めるだけ。キツく瞑った瞼の裏に母の顔が去来し、消える。 まだ仲直りしてへん。 脳裏を走馬灯が駆け巡る。母、マスター、東京にきてからできた友達一人一人の顔がチラ付いて絶望が募り行く。 「当分動けないだろうけど念のため」 男が春人のスマホを奪い、電源を切って放り投げる。 『東京行く?アホなこと言うてへんでさっさと就職しなさい』 『おケツの青いガキが世の中なめたらしっぺ返しくうわよ』 『よー春人、イケてるパパ捕まえたんだって?飽きたら回してくれよ、おごっから』 男が掲げたカメラが低い音たて作動する。チチチチチチチチ、小鳥の囀りに似たきこりの一撃の前奏が響く。 左手にカメラを構え、右手に使い捨て手袋をはめた男が、春人の股間をまさぐりアナルをほぐす。 「拷問吏の中には火でよく炙り突っ込むヤツもいた。昔の人は残酷だよね。安心して、俺はそこまでしない。手間だし火は苦手なんだ」 まだ親孝行してへん。 「おかん……」 近場の大阪でなく東京に出てきたのは、地元の人間と会うのを避けたから。自分さえ消えれば母が後ろ指をさされることもなくなる。 だからといって、こんな消え方は望んでない。 顔。首。腕。腹。足。倒錯的(フェティッシュ)画角(アングル)で体のパーツ一個一個をおさめていく。 「ごらん。こうするんだ」 春人の鼻先に苦悩の梨を突き付け、ゆっくり螺子(ねじ)をひねり展開する。 丸く膨らんだ房に切れ目が走り、拡張され、美しく花開く。 「芸術的だろ」 心が去勢される。 再び螺子を回し刃を収束させたのち、春人のズボンをひん剥いて、下半身に固く冷たい金属をねじこむ。 「いやや、たすけて。あ、アンタのこと死ぬほどイき狂わせて気持ちよォさせたるさかいおねがっ、ぁ゛あ゛あ゛ッひぅぐッ」 命乞いが磨り潰される。ラテックス手袋の滑らかな感触に鳥肌立ち、諦め悪くシーツを蹴り立てる。 「あぐっ、あがっ、あぁあっあ゛あぁあ゛」 「拷問に特化した素晴らしいデザインだよ、そうおもわない?」 大量の血が下肢を伝いシーツを染めていく。 「俺は妖精の木こり(フェアリーフェラ―)。可哀想で可愛い君を、今から嬲り殺す男だ」
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