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ストーカー
「なぁ、どうして俺のもとから離れていったんだ? 結婚も間近だったっていうのに……」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい――じゃなくて、理由を教えてくれよ」
「女っていう生き物はね、いつだって男より先のことを見てるの。つまりは、あなたより前を歩いてたってことよ」
「それが離れる理由になるのかい?」
「えぇ」
「さっぱりわからないな。具体的な理由を教えてくれよ。俺の稼ぎが少なかったからとか、仕事の付き合いが多くて寂しい思いをさせてしまってたからとか――」
「そんなのは全然、気にならなかった」
「だったら、なおさら納得できないよ」
「わたしに決める権利はないの。離れたくて離れたわけじゃないし……運命には逆らえないよ」
「いったい何が君をそうさせてしまったんだ……」
「二人にとってのゴール、結婚の手前にはつきものなのよ」
「ま、まさか――」
「そう。そのまさかよ。あなたもこれから先、歩を進めていけばいつか気づく。ゴールの手前には、『ふりだしに戻る』が待ってるってことに」
「なんでこのタイミングで『ふりだしに戻る』なんだよ! これまで着実に愛を深めてきたじゃないか。ケンカすることもあったけど、それでも離れず、一緒に生きてきたじゃないか! それをゴール目前で――」
「何度言わせるつもり? これはわたしの意思とは無関係。わたしたちはサイコロを振り、出た目に従って生きるしかないのよ。大人なんだからそれくらい理解して!」
「じゃあ君は今、スタート地点にいるのかい?」
「もちろん。『ふりだしに戻る』だからね」
「そうか…………君にひとつお願いがある」
「なに?」
「君が再びゴールの近くにやってくるまでずっと待ってる。だから、諦めずに二人でゴールして欲しい」
「それまで待ってくれるの?」
「運良く『一回休み』を選び続けて待ってる。何だったら、『十回休み』なんてマスもあるだろう? 普通なら『十回休み』なんて退屈で引きたくもない。でも今は違う。君が戻ってきてくれるまで、何回だって休み続けるよ」
「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいわ。見捨てられるものだと思ってたから……」
「見捨てるものか。俺にとって、たった一人の大切な恋人なんだから」
「わかった。じゃあ、できるだけサイコロの大きな目を出して、あなたに追いつけるよう頑張るね。えぃ!」
「どうだい? 6が出たかい?」
「やったぁ! 6が出たわ! あっ!?」
「どうした?!」
「――」
「おぃ、どうしたんだ? スタートから6マス目にはなんて書いてあるんだい? 言ってごらんよ」
「ごめんなさい……せっかく待ってあげるって言ってくれたのに。あなたを裏切ることになるわ」
「どういうことだよ!」
「スタートから6マス目には、こう書いてあるわ。『今の恋人と別れて、新しい恋人のもとへ行く』って」
「まさか……」
「そのまさかが出ちゃったの。ほんとにごめんなさい。運命に逆らうことはできないから」
そう言うと女は、盤面に置かれた自身の駒をつまみ上げ、新たな双六――男のもとへと駆けていった。
「最悪だ……」
残された男はうなだれた。恋人との楽しかった時間が次々に思い出され涙した。頬を伝う涙の粒が、音をたてて双六の盤面に落ちる。
「もう、どうにでもなれ!」
自暴自棄になった男は、サイコロを盤面に投げつけた。いっそ、振り出しに戻って人生をやり直したい。そんな捨て鉢な期待を込めながら。
出た目は5。
一歩、また一歩。フラフラになりながら、なんとか五歩を歩ききった。
「ん?」
足元のマスにはこう書かれていた。
『別れた恋人をどこまでも追いかけ続ける』
その文字を見て男は不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど、こういう運命もあるのか」
陰湿さを目に宿らせた男は、マスの上に殴り書きをした。そして、盤面に立つ自身の駒をつまみ上げると、脇目も振らず、去っていった恋人のあとを追いかけた。
男の駒があったマスに書かれた『どこまでも』の文字は塗りつぶされ、憎悪を帯びた文字で『地獄の果てまで』と上書きされていた。
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