ストーカー

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

ストーカー

「なぁ、どうして俺のもとから離れていったんだ? 結婚も間近だったっていうのに……」 「ごめんなさい」 「ごめんなさい――じゃなくて、理由を教えてくれよ」 「女っていう生き物はね、いつだって男より先のことを見てるの。つまりは、あなたより前を歩いてたってことよ」 「それが離れる理由になるのかい?」 「えぇ」 「さっぱりわからないな。具体的な理由を教えてくれよ。俺の稼ぎが少なかったからとか、仕事の付き合いが多くて寂しい思いをさせてしまってたからとか――」 「そんなのは全然、気にならなかった」 「だったら、なおさら納得できないよ」 「わたしに決める権利はないの。離れたくて離れたわけじゃないし……運命には逆らえないよ」 「いったい何が君をそうさせてしまったんだ……」 「二人にとってのゴール、結婚の手前にはつきものなのよ」 「ま、まさか――」 「そう。そのまさかよ。あなたもこれから先、歩を進めていけばいつか気づく。ゴールの手前には、『ふりだしに戻る』が待ってるってことに」 「なんでこのタイミングで『ふりだしに戻る』なんだよ! これまで着実に愛を深めてきたじゃないか。ケンカすることもあったけど、それでも離れず、一緒に生きてきたじゃないか! それをゴール目前で――」 「何度言わせるつもり? これはわたしの意思とは無関係。わたしたちはサイコロを振り、出た目に従って生きるしかないのよ。大人なんだからそれくらい理解して!」 「じゃあ君は今、スタート地点にいるのかい?」 「もちろん。『ふりだしに戻る』だからね」 「そうか…………君にひとつお願いがある」 「なに?」 「君が再びゴールの近くにやってくるまでずっと待ってる。だから、諦めずに二人でゴールして欲しい」 「それまで待ってくれるの?」 「運良く『一回休み』を選び続けて待ってる。何だったら、『十回休み』なんてマスもあるだろう? 普通なら『十回休み』なんて退屈で引きたくもない。でも今は違う。君が戻ってきてくれるまで、何回だって休み続けるよ」 「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいわ。見捨てられるものだと思ってたから……」 「見捨てるものか。俺にとって、たった一人の大切な恋人なんだから」 「わかった。じゃあ、できるだけサイコロの大きな目を出して、あなたに追いつけるよう頑張るね。えぃ!」 「どうだい? 6が出たかい?」 「やったぁ! 6が出たわ! あっ!?」 「どうした?!」 「――」 「おぃ、どうしたんだ? スタートから6マス目にはなんて書いてあるんだい? 言ってごらんよ」 「ごめんなさい……せっかく待ってあげるって言ってくれたのに。あなたを裏切ることになるわ」 「どういうことだよ!」 「スタートから6マス目には、こう書いてあるわ。『今の恋人と別れて、新しい恋人のもとへ行く』って」 「まさか……」 「そのまさかが出ちゃったの。ほんとにごめんなさい。運命に逆らうことはできないから」  そう言うと女は、盤面に置かれた自身の駒をつまみ上げ、新たな双六(すごろく)――男のもとへと駆けていった。 「最悪だ……」  残された男はうなだれた。恋人との楽しかった時間が次々に思い出され涙した。頬を伝う涙の粒が、音をたてて双六の盤面に落ちる。 「もう、どうにでもなれ!」  自暴自棄になった男は、サイコロを盤面に投げつけた。いっそ、振り出しに戻って人生をやり直したい。そんな捨て鉢な期待を込めながら。  出た目は5。  一歩、また一歩。フラフラになりながら、なんとか五歩を歩ききった。 「ん?」  足元のマスにはこう書かれていた。 『別れた恋人をどこまでも追いかけ続ける』  その文字を見て男は不敵な笑みを浮かべた。 「なるほど、こういう運命もあるのか」  陰湿さを目に宿らせた男は、マスの上に殴り書きをした。そして、盤面に立つ自身の駒をつまみ上げると、脇目も振らず、去っていった恋人のあとを追いかけた。  男の駒があったマスに書かれた『どこまでも』の文字は塗りつぶされ、憎悪を帯びた文字で『地獄の果てまで』と上書きされていた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!