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嘘の解禁日
「ようこそ。正直者の町へ。あなた方を歓迎しますよ」
町の入り口のゲートに立っていた女性が言葉とは裏腹に気だるそうな顔で訪問者を出迎える。車の中から二人の人物が降りてくる。
一人は十代後半の可憐という言葉が似合う少女だった。挙動の一つ一つが洗練された動きをしていてただ歩いただけで目を奪われそうになる。足が悪いのか片杖の松葉杖を手に持っている。運転席から降りてきたの背の高いスーツの男だった。サングラスを掛けているが率直に言って似合っていない。
「はじめまして。私は神倉響音と言います。こちらは私の介添人のゴトウです。少々足が悪いものでお見苦しくて申し訳ありません」
ゴトウは神倉に紹介されて小さく頭をさげる。女性は「そうですか」とだけ会釈をする。
「神倉さんとゴトウさんですね。町には入られますか?」
「ええ。この町のことをいろんな知り合いから聞いて一度訪れてみたいとおもっていたんですよ。よろしくお願いいたします」
神倉はにこりと微笑んでスカートを掴んで一礼する。女性は二人に向かって一枚のボートを手渡してくる。ボードには一枚の紙が挟まれていて「誓約書」と書かれている町中に入る人たちへの注意事項が書かれていた。
【1,街の中の人間は嘘をつきません
2,街の中に入った方も嘘をついてはいけません
3,街の中で嘘が発覚した場合逮捕されます
4,年に一度だけ街の人達が嘘をついても
良い日”嘘の解禁日”(二日間)のみ嘘を
ついても許されます
5,街の中に入る場合は誓約書にサインを
記入してください】
「街の中に入られますか?」
女性が確認するように聞いてくる。神倉は迷うことなく誓約書にサインするとゴトウにもサインするように促す。
「一つお聞きしてもいいですか?」
神倉が聞くと女性は首をかしげて見せる。
「今日ってこの嘘の解禁日だったりしませんか?」
「違いますよ」
「そうですか。残念」
神倉はサインした誓約書を手渡すと女性は誓約書を受け取ると黙ってゲート横に小さな建物に入っていくとゲートがゆっくりと開いていく。
ゴトウが助手席の扉を開けると神倉はするりと車の中に乗り込んだ。ゴトウも車に乗り込むとゆっくりと街の中へと入っていった。
街に入ってすぐに車を出迎えるように人々が列を作っているのが見えた。列の先に一人の中年の男性が立って深々と頭を下げる。ゴトウは男性の前で車を停めると車を降りる。神倉も車を降りると男性が近づいてきて改めて頭を下げた。
「ようこそ正直者の街へ。よくいらっしゃってくれました。私は町長の蒔田と申します」
「これはご丁寧にありがとうございます。
私は神倉響音。こちらは介添え人のゴトウと
申します」
神倉はうやうやしく一礼して見せる
「せっかくこの街に来てくださったのですから歓待させていただけませんか?」
「よろしいんですか?」
「ええ。ぜひ」
蒔田の申し出を神倉が快く受けるとゴトウが背中に近づいてきて耳打ちする。
「町長がお出迎えなんていくらなんでもおかしくないですか?」
「そう? 歓迎してくれるっていうんだから甘えればいいんだよ。相変わらず君は真面目だな」
先程までの丁寧な言葉づかいではなく砕けた口調でゴトウに答える。
整った顔と言葉遣いがアンマッチしているが、話し方に違和感がない。
こちらが神倉の素のように見える。
「では、まずは中央市役所に行きましょうか。お昼はもう食べられましたかな? 市役所に併設されているレストランは味も一級品ですからな。ごちそうさせてください」
時刻はちょうど正午を回ろうとしている時間だった。ずっと車で移動してきたので体は空腹を訴えてきている。
「ありがとうございます。ちょうど昼食にしようと思っていたところなんですよ」
「なら、私どもの車でとおもいましたが、素敵なお車をお持ちのようですからな。我々の車についてきてくれますかな?」
そう言って蒔田は自分の車に乗り込む。神倉たちは言われたとおりに蒔田の車に先導されてあとをついていく。十分ほど走ると市役所が見えてくる。
駐車場に車を停めると蒔田に案内されてレストランへと向かう。室内は豪奢な装飾や調度品が置かれていて綺羅びやかな店内となっていた。
「これは凄いですね」
ゴトウが素直な感想をつぶやく。
「いえいえ、大したことはありませんよ。さあ。
こちらです」
案内された席も広く柔らかなソファだった。座るとふわりとした感覚が体を包んでくれる。
「これ座り心地が素敵ですね。私達の車の座席は固くて長距離移動はつらいんですよ。ゴトウの愛車なのですが、こんな大きな体に似合わず可愛い車が
好きでして」
「いいでしょう。クラシックカーが好きなんです」
ゴトウの言葉に神倉は肩をすくめて見せる。
「いえいえ、趣があって素敵なデザインの車だと思いますよ。私も一度乗せてもらいたいものですな」
「でしょう! わかりますか?」
ゴトウが食い気味に言う。蒔田はその勢いに若干押されてはいたが笑顔を
浮かべて答える。
「わかりますとも。素敵な趣味だと思います」
ゴトウはほら見たことかといったドヤ顔で神倉を見つめる。おそらく分かる人には分かるんだと言いたかったのだろう。神倉は無視した。
しばらく雑談をしていると目の前に食事が運ばれてくる。生ハムが乗せられたサラダにフランス料理のような鶏肉のソテーに、子牛のステーキにスープと様々な料理が並んでいる。
「さあ。お食べになってください。もちろん。お代はいただきません。
好きなだけ食べてもらって結構ですよ。味については一級品なのは保証しますよ」
「ありがとうございます」
お礼を言って、食事に手をつける。ゴトウは平静を装って入るものの高級そうな食事に嬉しそうにしている。ゴトウがステーキを一口食べるとそのまま動きが止まる。神倉も生ハムのサラダを小皿に取ったあと口にする。ハムはゴムのように固いくせにヌメヌメとしている。また葉物の野菜については茎の部分が茶色く変色していた。
とてもではないが美味しいとか美味しくないとかというレベルではない。はっきりといえば食べられなくはないが不味いというのが率直な感想だった。ゴトウも同じ意見なのか露骨に顔をしかめている。そんなわかりやすい反応をしてしまうゴトウの脛を机の下で蹴り飛ばす。
「どうです? とても美味でしょう?」
蒔田はにこにこと笑いながら両手を広げて料理を薦めてくる。
「ありがとうございます。とても独特の味ですね」
神倉は嘘ではないが本当でもないことを言う。
「神倉どのはお見受けしたところ一流の教養を持っておられるようだ。そういう方にはやはり分かるのでしょうなぁ。この味が」
「ええ。そうですね」
神倉は微笑みを浮かべたまま料理を口に運んでいく。そんな様子を見てゴトウは嫌そうな顔をしたまま意を決したように料理を口につっこんだ。
食事のあとは蒔田に連れられて町中を案内される。町中には多くの店が立ち並び人の往来も多くあった。大通りに並ぶ店には煌びやかな貴金属や洋服が並んだ店が立ち並び大通りの先では巨大なビル群がそびえ立っている。
地方都市であるにも関わらず都市部のように町は栄えているように見える。
「この町は素敵な場所ですね」
神倉は街並みを眺め歩きながら蒔田に言う。
「正直者ばかりが集まった町ですから。みんな、一生懸命に働いてこの町を発展させてきたんですよ。住民の皆さんは素敵な人たちばかりです」
「私もこの町の評判を聞いて興味を持ってきたんです。でも、良かったです」
「何がですかな?」
「誓約書に書かれていた嘘の解禁日という日に来なくて。あの日であれば皆さん嘘を吐いてしまわれるということなんでしょう?」
「はっはっは。御心配にはおよびませんよ。あれは正直すぎる住民の皆さんに息抜きをしてもらおうと設定したお遊びみたいなものです。ああいう解禁日でも作らないとこの町の人たちは真面目すぎて嘘の一つも吐けませんのでね。
それに、たとえ解禁日だったとしても嘘を吐けるというだけで実際に言う人はいませんよ」
「そうなんですね。やっぱり素敵な街です」
神倉と蒔田はお互いに笑いあう。夕方になって案内されたホテルはとても豪奢で立派なビルだった。室内も広くシャンデリアや大きくしゃれた家具が置かれていた。
部屋の正面は全面がガラス張りになっており、宿泊する部屋は地上二十階ということもあり壮観な眺めだった。ちなみにここの宿泊費も蒔田が払って
くれると言う。
「いやいや、疲れたね」
神倉は部屋の中に入ると杖をソファに投げ出すとコートを着たままベットに寝転がる。
「せめて靴は脱いでください」
ゴトウが呆れたように言う。
「しかし、凄い町だなここは」
ベットの上で体を起こし窓の外を眺めながら言う。
「ええ。ここまで発展しているとは思いませんでした。都心部と変わらないじゃないですか。それに、住人みんなが正直者っていうのも驚きです」
ゴトウの言葉に神倉は苦笑する。
「正直者は誰も、何についても議論もしないものだ。正直であるというということは盲目的でもあるということだよ。ゴトウ」
「どういうことですか?」
「私は疲れたので寝ることにする」
ゴトウが困惑して聞き返すと神倉はベットにうつぶせになっていた。
「だから、風呂に入って着替えてから寝てくださいって……」
ゴトウの忠告は聞こえていたが守る気がない神倉はそのまま意識を手放した。
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