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僕の理由
オフィスの片隅にある席に彼女の姿はなく、残されていたのは手紙だった。僕はオフィスの屋上へ行って、それを読んだ。
彼女はついにあちらへ行ってしまった。旅立つ前に全力を振り絞って、僕に手紙を書いてくれたようだ。
いつも僕があの席に向かうと、皆が言っていた。
「あの人、大丈夫なんですか。呪われてたりしません?」
「そんなことあるわけないだろ。あの席はただの空席だ。誰もいないんだよ」
「でも、夜に残業していると、あの席の方から変な音が聞こえたことがあるんですよ。ラップ音って言いません、こういうの」
「君が疲れていて、聞き違えたんじゃないのかい」
「確かに聞いたんですよ、それに、あの席を片付けようとした人は不運なことが起こるって噂ですよ。詳しくは知らないんですけど、昔自殺した人が使っていた席だとか」
空席ではない。彼女がいる。僕は昔から幽霊の類を見ることが多くて、最初は人間と全く区別が付かなかった。何せこの会社の人間たちときたら死んだような目のやつらばかりだったから。彼女のほうが余程、「生きて」いた。
僕が初めて声をかけたときの、驚いたような、泣き出しそうな彼女の表情をよく覚えている。それはこの会社に入ってから初めて見た、「生きた表情」だった。
僕は彼女の色んな表情が見たかったので、次の日もその席まで行った。彼女は戸惑った顔をしていた。周りの人たちが僕たちを遠巻きにして、例の噂話をしていた。それでやっと僕は、彼女が幽霊であることに気がついた。
数日彼女と会話していたら、ある日彼女はこう言った。
「あの、私、人間ではなくて幽霊なの」
僕は、知っているよと答えた。知った上であなたに喋りかけているのだよと。彼女はびっくりしたような顔をした後、初めて微笑んでくれた。
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