不穏

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 今は無視無視。そう言い聞かせとにかく仕事を捌いた。とりあえず昼までは無視し続けるんだ。  ステーションで点滴の準備をする。患者の氏名を確認、内容や量も確認。そう必死に集中しているとき、緑川さんの声が遠くで響いた。 「あら! おはようございます、どうされたんですか?」  反射的にそちらに目を向けた。そこで自分は驚きで一瞬息をのんでしまう。  カウンター越しに見える小さな男の子を抱っこしているのは、なんと久保さんの奥さんだったのだ。持っていたトレイを落としてしまい、派手な金属音が鳴り響いた。慌てて拾いあげる。  奥さんは寂し気に微笑んでいた。前よりさらに、顔色は悪い。適当にはたいたファンデーションと、少しでも血色よく見せるために塗ったリップが痛々しかった。腕の中にいる健人くんは眠っている様子だが、ぱっと見相変わらずだったのだけが幸いだ。  私は背後に立つ久保さんを見ようとして、止める。無視、無視だからね。目が合っちゃいけないし。 「ここのみなさんにお世話になって……なのにお礼も言わなかったな、って。これ皆さんでどうぞ」 「いえいえ、そんな」
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