笑わない男

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「椎名さん」  呼ばれて振り返る。そこでぎょっとした。藍沢先生だったのだ。  相変わらず白衣のポケットに手を突っ込み、前髪の隙間から強い眼光でこちらを見ていた。そりゃ、仕事仲間なのだから声を掛けられることはあるだろう。だが、名前を呼ばれたのは初めてだったのだ。というか、他の看護師のことも名前を呼んでる姿、ほとんど見たことがない。 「は、はい?」    どうもこの人の笑顔のない作り物みたいな顔と、人を寄せ付けない冷たさが苦手だ。私は完全に怯えながら返事をした。  先生はじっとこちらを見ている。そして一度周りをちらりと確認した。今は近くに誰もいなかった。廊下の一番奥で同期が忙しそうに歩いているだけだ。  そして、短く言う。 「聞きたいことがある。帰り北口で待ってて」 「へ」  ぽかんと口を開けた。意味が分からなくて脳が処理しきれないみたいだ。前半はいい、患者についてとか質問ぐらいあるだろう。でも、なぜ勤務外に?  だが唖然としている私を何も気にせず、彼は踵を返してさっさと歩いて行ってしまう。呼び止める暇もなく、私はそれを見送るしか出来ない。
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