伝えたいこと

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 ぽつんと呟いた彼女に、私は曖昧に笑ってごまかした。  久保さんのパソコンにデータが残っていないのは、当然である。この手紙は彼が生前残したものではない。  私が私の家のパソコンで打ち込んだものだ。  久保さんに言われた言葉を一字一句間違えないよう、必死に作成した。それが彼の願いだった。  文章内にある『病を知っていた、未告知も分かっていた』という表現は、嘘である。本当は彼は死ぬまで自分が終末期だとは知らなかったし、死んで初めて妻が隠し事をしていたと知ったのだ。だから生前に、自分が死んだ後の家族に宛てた手紙を作るなんて無理だった。  これは、久保さんの優しい嘘だ。  死後、彼は家族のそばにいた。そこで奥さんの苦悩を知る。未告知であったことはよかったのか、と悩み悲しむのを、ほんの少しでも何とかしたかった。だが残念なことに、自分の声が奥さんに届くことはなかった。  そこで何とか自分の声を届けてほしくて、視える人間を探した。医療者たちは事情や素性を知っているし、人数もそこそこ多いので、自分が視える人がいるかもしれない。そんな希望を抱いて病院に戻り、視える人間を探したのだという。
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