見てほしいもの

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 廊下の白い壁が見えているだけだ。ほかには何もない。そもそも、この部屋は信頼できるお寺で頂いたお札を置いておいて、普通のものは近づけないとお墨付きのはず。入ってこれるはずがない。  何もいない。何もいないから。大丈夫。  それでも、言葉に表せられないような嫌な気が、止まらない。  額にうっすら汗をかく。部屋中は静寂で保たれていた。恐らくアパートの住民は仕事に出ている人が多いからだろう。 「……もしかして」  ゆっくり立ち上がる。廊下の奥にある、玄関を見た。ぱっと見は何の変哲もない、いつも通りの扉がひっそりとそこにある。私は足音を立てないようにして、そちらへ近づいて行った。  紺色の扉だ。鍵もドアロックもちゃんとかかってる。その前までたどり着くと、素足のまま下に降り、じっと目の前のそれを見つめた。ひんやりとしたタイルの冷たさが足の平から伝わってくる。  心臓が嫌なほど鳴っていた。ごくりと喉に唾液を流し込み、ドアスコープを覗き込む。  場違いな水色の甚平。素足に垂れた両腕。グレーの髪。  ひどく俯いて顔が見えないものの、それが誰か一瞬で悟った。  愕然とし、数歩下がる。
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