双面の陽炎

2/2
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
 仕事上がりの私がつまみを用意して小さな液晶テレビでくだらないバラエティ番組を観ながら先に始めていると、だいたい予告を受けた時間に勝手に玄関の鍵が開いて彼女は帰ってきた。手には空港のお土産コーナーの袋が握られている。 「お帰りなさい先生、あいも変わらず時間キッカリですね」  駄目になるビーズクッションに沈んだままで首だけ向けて挨拶すると、一ヶ月前と変わらぬセミロングの黒髪に銀縁眼鏡の彼女が微笑んだ。 「公共の交通機関を使えばこんなものでしょう。お留守番ありがとうございました」 「別に構いませんけどねー、置いてったスマホガンガンにメッセージ届いてましたよ?」 「そう。ま、大した用事でもないでしょうし。本当にマズい内容であれば編集のあなたに連絡が入るでしょう?」 「そりゃまあそうですけれどもね。ああ、いつものやつ冷えてますよ」 「ありがとうございます。さすが担当編集」  彼女はすっきりした笑みで冷蔵庫から缶ビールを取ってきて私にもたれるように腰を下ろす。 「荷物とかはどうしたんです?」 「衣類は全部燃えるゴミに出してキャリコやドライヤーは空港手前で途中下車して中古買取、スマホは別の駅で解約してきました」  お決まりの手順を説明しながら買ってきたジビエジャーキーの封を切る彼女。相変わらず消息の断ち方が徹底していてエゲツない。  彼女は官能小説家の大御所で私はその担当編集者だ。編集長は彼女に気を使って同性の私を担当に付けたのだけれども、まさか男女の官能小説を書く彼女がそっちもイケる、むしろ好んですらいるとは、色々理由を付けて同棲している今ですらあの堅物親父には想像も出来ていないだろう。 「相変わらず鮮やかですねえ。今回はどうでした?」  同棲して初めて知ったのだが、彼女はときどき取材と称して名前も身元も全てを隠して身ひとつで男漁りを始める。今回もいつものように普段使いのスマホを部屋に置いたまま財布とチャージ式の無記名クレジットカードだけ持ってふらっと出て行ってしまった。半日と待たずにから連絡が入ったので困りはしなかったものの、大抵なんの前触れもないので出て行って最初の連絡が入るまでは落ち着かない。 「スタートアップだけ関与して実際の運営は他人に放り投げてアガリを掠めてるベンチャー長者だったんですけど」 「言い方辛辣」 「いつもSNSで自慢げにアップしてるアイリッシュバーにちょっと張り込んで趣味の経済新書(けな)しに乗ってあげたらあとはトントン拍子ですよ。でも彼はまあまあ紳士的だったかな」 「へえ、どの辺がです?」 「味噌汁の味がバラついてもゴミ箱にこれ見よがしに顆粒出汁のパッケージを捨てておいても鬱陶しい説教を始めない辺りとか?」 「先生が普段の取材でどんなハズレ野郎を引いてるのか聞きたくない感じに紳士的ですね。まあ、次の本の足しにはなりそうでした?」  私がその髪に頬を摺り寄せると彼女も私の髪に指を絡めて首筋を撫でる。 「おかげさまでね。次も期待してくれていいですよ。それよりも……」  髪を触れていた指にさらりと耳を撫でられて思わず小さな嬌声を漏らしてしまう。触れられたところから敏感な部分へ向けて駆け抜ける甘い痺れを味わいながら上目遣いに視線を向けると、彼女は見下すように微笑んだ。 「久しぶりですから、今夜は寝かせませんよ」  このやり取りも何度目だろう? その視線に恥ずかしいほど昂る肢体(からだ)を自覚するからこそ考えてしまう。彼女はもしかしたらこのために、取材と称してときどき私から離れて居なくなっているのではないかと。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!