離れた理由 離れるしかなかった理由

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 ぼくは狂人だった。もう数年前の話になる。その頃のぼくは集中力の鬼とでも言わんばかりに趣味の世界に没頭していた。音は消え、友人の声にも気づかず、いつの間にか何時間も経っている。食事を忘れようと、アプリのギルド戦を欠席して怒られようと、ただただこの、何物にも代えがたい愉悦に愛を捧げ続けていた。  そんな日々が、突如として終わりを告げた。  もっと大切なモノができたから?  否だ。  趣味に飽きてしまったから?  否だ。  答えは簡単、“狂えなくなった”からだ。  ぼくは鬱になった。  無理が祟ったんだろう。中途半端に強かったせいで、無理を無理と気づけなかった。知らないうちに抱えきれないほどのストレスをためて破裂した。そしてそのまま、熱が消えた。  死ぬしかないと思った。  気力がなく動くこともできず、食欲もないため毎日ビスケット菓子ひとつと飲み物で過ごし、味方だと信じていた家族でさえ感情や世間体を優先させる始末。  死ぬしかないと思った。  あれほど好きだった、信者と言われても「そうだ」と即答するほどに惚れ尽くしていた、自分にとっての聖書(バイブル)さえも手に取れなくなっていた。  死ぬしかないと思った。  それでも、間違いなく好きだった。  だから、無理やり手を伸ばした。  手が、腕が、身体が震え、吐きそうになる。  強引に掴んで、ページをめくる。  文字が滑って頭に入ってこない。  かつては日に何冊も読めていたのに、八ページで耐えられなくなった。  本当に、死ぬしかないと思った。  それでも死ななかったのは、ぼくが中途半端に強かったからだ。中途半端に強かったから、死ぬ勇気がなかった。怖さはあまりなかったかもしれない。「事故とかで死ぬのなら仕方ないし、そうなればいいのに」と願った節さえある。もともと「絶対に死にたくないしなんなら永遠の命がほしい」と思っていた自分でさえそうだった。ひたすら虚無と苦痛の日々だった。  その後、二年近くをかけて日常生活を送れるまでに回復はできた。  代償として、ぼくは狂人ではなくなった。  趣味にのめり込めなくなった。  暇潰しに本を読むことすらできなくなった。  色褪せた世界、なんて聞くけれど、こういうことなんだろう。  嫌だな、と思った。  このままずっとあの世界に戻れないのは、嫌だな、と思った。  だから、即売会(イベント)に行った。  喪った熱を感じたかった。  あわよくば、取り戻したかった。  結果として、正解だった。  ひさしぶりに心が奮えた。  炎が灯るのを感じた。  勢いのままに、短編を書きあげることができた。  その熱も次の日には燻ってしまったし、短編は誰に見せることなく眠っているけれど。それでも書けたという事実が、ふざけた話を書けたという事実が嬉しくて、愉しくて、戻れる可能性はあるんだという自信にもなった。  とはいえまだまだ離れる日のほうが多いし、狂えるほどのチカラもない。できるのは書けそうなときにチマチマ進めていくことぐらいだろう。  これはその第一歩。  なんの身にもならない散文。  回復が遅いせいでSNSも様変わりし(伝えたい人もみえなくなって)、誰に届くとかもないと思う。  だからせめて、これを読んだ人。鬱に苦しんでいる人がいたら、憶えておいてほしい。 『鬱治療は理解者の有無がデカすぎるので、頼れる強さを身につけよう』  ぼくにそんな強さがあるかって言われたらいまだにないけれど、たまたま調子がよかった日に唯一頼れた親友としたやり取り―― 「最悪そっち転がり込んでいい?」 「いいけど、期間どんぐらい?」   ――のお陰で逃げ道ができたと実感して、だいぶ気がラクになりました。  あと、ぼくはやらなかったし理解も足りてないけれど、リスカもたぶん声にならない悲鳴なので、頭ごなしに否定するのはやめたほうがいいんじゃないかな、なんて思います。  まぁ、頭ごなしな否定自体が悪では? と言われればそれまでなんですが。  癖で冗長になってしまいましたが、これが小説界隈だったり、あらゆることから離れていた理由。  いつかまた狂人になれる日を信じて、紆余曲折していこうと思います。
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