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話が長くなるから、と佐和は近くにあった喫茶店に連行された。店内の照明は明るすぎず、ゆったりとしたクラシックが薄くかかる純喫茶である。佐和と香澄はアイスコーヒーを注文して、二人掛けの席に腰を下ろした。
「え、そうなの?」
一頻り香澄が話したあと、佐和は驚きのあまりコーヒーを吹き出しそうになった。
「どうして外されちゃったの? 担当ってあの滝嶋あお先生でしょ、香澄の一番好きな作家の」
「そうなんだけどね」
香澄はコーヒーカップに口をつけながら相槌を打った。
大学を卒業後、出版社に入社した香澄はつい先日、学生のときから大好きだった滝嶋あおという作家の担当編集になったという報告を佐和は聞いたばかりだった。
「滝嶋先生ってそんなに厳しい人なの?」
「ううん、先生はとても優しかった。編集者を煙たがらないし、怒られたことだって一度もない。ただ、好きを忘れただけ」
「好き?」
「うん。最初はずっと好きだった滝嶋先生の近くでお仕事できるのが単純に嬉しかったの。普段なかなかお会いできない先生とお話しできるし、何たって先生の作品に関われるんだから」
その嬉しさなら佐和だって知っている。彼女自身も、もともとは琉門のファンで好きな作家先生と関わってみたいという気持ちで家事手伝いの仕事を始めたのだ。
「でも、やっぱり仕事だから先生の原稿に口出しすることもあって。このプロットでは読者を楽しませられないとか、流行に合っていないとかね」
「それなのにどうして?」
「簡単に言っちゃうと、先生の筆を執りたいっていう気持ちを下げてしまったの」
「気持ち……」
「そう。明らかに執筆のスピードが落ちて、完成した原稿も何かイマイチに思っちゃった。まあ、先生は優しいから表には出さないでおいてくれたけど」
香澄は愛おしそうにコーヒーカップの中身を見た。
「しばらくそれが続いて、この間、異動になった。編集長は見抜いていたのかもね」
「そっか……」
佐和は香澄を可哀想に思った。せっかく好きな作家の担当になれたのに、あまり納得いかないまま外されてしまった。わたしも近々、琉門先生に出て行けと言われかねない。今の自分にあまりに近くて、泣きそうなぐらい佐和の胸に刺さった。
「ちょっと、佐和。そんな顔しないでよ」
香澄が佐和の顔を下から覗いた。その彼女は案外明るい表情をしていた。
佐和は顔を上げた。
「わたしは佐和が思ってるほど悲しく思っていないよ」
「え?」
「実はね、気付いたことがあるの。担当から外れたあと、改めて先生から貰った原稿を読んで」
「何に?」
「わたしが介入した先生の原稿は正直好きじゃなかった。ベストセラーを狙いにいってるのが見え見えで、先生の良さを消してたの」
「え……」
「だからこそ気付いたことがもう一つある」
「もう一つ?」
「わたしは滝嶋あお先生のファンで、先生の作品が大好きだってこと」
そう言う香澄の表情は晴れ晴れとしていた。
そのとき、そうか、と佐和も気付いた。わたしは琉門先生の作品が好きなのだ。デビュー作を本に穴が開くほど読んで、そのあとの作品も全部買って、しまいには先生の家事手伝いの募集に真っ先に応募してしまうぐらい好きだ。先生の感性、紡がれる言葉。そしてそこから生み出される世界。その全てに没頭した。
そんなわたしが先生の書きたい気持ちを妨害する真似なんて。
「……ありがとう」
佐和の口から不意にそんな言葉がこぼれた。
「え?」
当然、突然の感謝の言葉に香澄は戸惑う。
「ううん、何でもない。ちょっともやもやが晴れただけ」
「そう……それなら良かったけど」
香澄は何のことだか、さっぱり分からない様子だ。
それからしばらくのんびりしたあと、香澄に仕事の電話がかかってきてお開きになった。もちろんその場はお礼代わりに佐和が払った。やっぱり香澄はどうしてと言ったけれど、大切なことを思い出させてくれた彼女に佐和はささやかでもお礼がしたかった。
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