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一方そのころ、琉門はとあるマンションの部屋で、お茶をご馳走になっていた。
「分かりました。明日の午前中ですね。……はい。……はい。……はい。では、明日」
部屋の住人はリビングの端で電話を切った。
「琉門、せっかく遊びに来てくれたのに悪いな」
スマートフォンをダイニングテーブルの上に伏せて置き、彼はそれを挟んで琉門の対面に座った。彼の短く切りそろえられた黒髪は整髪料でてかてかしている。
「編集部からだろう。それは出なきゃいけない」
「気持ちが分かってる奴がいると楽だな」
「その気持ちが分からない人がこの部屋に上がることはあるのかい?」
「……あるわけねえよ。こう見えて俺の交友関係が狭いの知ってるだろ」
「こう見えてって、友達ができないのは顔が怖いからだろう」
琉門は意地悪な顔で笑った。
この部屋の住人は作家の滝嶋あおである。琉門とあおは大学時代からの友人で、ともに小説家になる夢を追いかけた仲で、大学を卒業してしばらく経った今でもこうやって急に来てはときどき顔を合わせている。
「最近の君も忙しそうで何よりだよ。流石、有名作家だ」
「それほどでもねえよ。実は最近、担当編集が変わってな。それでちょっとバタバタしてるんだ」
「古庄さん、だっけ。もともと君の作品のファンっていう」
「そうそう。担当を外されてしまったんだ」
「もったいないね。自分の作品を好きでいてくれる人が近くにいるのは心強いのに」
「そうなんだけどな」
あおはそう目の前に置かれた自分の湯呑の縁を指でなぞった。さっきの電話のせいでもう中身は温かくない。彼は陰のある表情をしていた。
「あお?」
思わず琉門はあおの顔を覗いた。
「俺さ、意地張り過ぎちゃったんだよな」
「意地?」
すると、あおは少し黙って唇を前に突き出した。
「……自分が心の底から思ってることを書きたいっていう意地だよ。お前も作家なら分かるだろ」
琉門は頷かざるを得なかった。
最初、小説を書き始めたころは全くの趣味で、ビジネスなんか考えず、そのときの感受性のまま、考えたことや思ったことをそのまま文字で彩られる物語に落とし込んでいたからだ。それはベストセラーやウケの良い展開など無駄な要素は初っ端から排除して、どうやったら自分の思いを空想の世界に落とし込めるか、ただ純粋にそれだけのことを楽しんでいたものである。
「でもさ、それじゃあダメなんだよ。古庄にもっと展開を考えろ、流行を抑えろって言われるんだ。売れる作品を書かないと作家人生に響きますよって。確かに、その通りなんだよ。小説で飯を食うって決めたなら、百発百中で当てられるまで名前を売らなきゃいけえねえ。ビジネスにして金にしなきゃいけねえ。金がなきゃ、好きなものを書くどころか、生活だってできやしない」
そこまで言うと、あおは小さくふっと息を吐いた。
「だけど、俺は作家だっていう気持ちもあって。やっぱり、書きてえって思うんだ。心の底から湧き上がってくる感情を、思いを、形にしたいって。ウケなんか知らねえって勢いで昔みたいに。ここのところはそのせめぎ合いだった。古庄に言われることも加えつつ、根底には俺の、作家特有のねじ曲がった感情や思いを残して」
「……結局、本は売れたのかい?」
「売れるわけねえだろ。どれも全くダメじゃないけど、大ヒットとも言えなくて。しかも、どれも古庄に言われたまま書けば売れたかもって思うんだ。俺が変な意地張らずに我慢すれば良かったんだ。古庄にも悪いことをした」
あおは湯呑の奥底を見ていた。
「俺は自覚を持っていなかったんだな。小説を仕事にするっていう自覚が」
琉門はその言葉に何も返せなかった。無論、それが心のど真ん中にずしんと突き刺さったからだ。
趣味で小説を書いていたころは自分の書きたいことだけを書けば良かった。読者やお金のことなんてこれっぽっちも必要なかった。それは当たり前だ。趣味なのだから。なくても生きていけるものなのだから。
ところが、それで生計を立てていくとなったら、話はがらりと変わる。それを金に昇華していかなければならない。金は生きるために不可欠だからだ。金がなければ小説を書くなんて悠長なことは言っていられない。生きるか死ぬかになってくる。それに、好きなものを書きたいのであれば金が十分に稼げるようになって貯蓄ができてからでも遅くない。若い感覚は失ったあとかもしれないが、生業にしたのに好きなものばかりを書いて金を消費して早死にするよりよっぽど良い。
「……ありがとう、話してくれて」
不意に琉門の口から感謝の言葉がこぼれた。
「は?」
当然、あおはわけが分からないといった表情だ。
「何でもない」
琉門はふっと笑うと、席を立った。
「もう帰るよ。仕事をしなくちゃいけない」
「おお、そうか。頑張れよ」
あおはまだ戸惑っているようだったが、琉門は清々しい気持ちだった。
「お邪魔しました」
琉門はあおに見送られ、彼の部屋を出た。
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