0人が本棚に入れています
本棚に追加
遊び人が胡座をかきながら、頬杖をついて言った。この人はいつもこうだ。場を荒らしたり人を茶化したり、自分が楽しければ良しとする。それでいてどこか見透かすような瞳をした、掴みどころのない人。
「あ、煽ってるとかじゃなくてね。オイラさ、魔族領にきてからすこぶる調子がいいのよね~、ってことでドルガちゃん」
「なんだ」
「オイラたちが討伐して帰ってくるまで目算どんくらい?」
「……長くて十日、早ければ半日経たずといったところだ」
「わお、めっちゃ誤差広い」
「城内で迷ったり罠にかかったりで大きく変わるだろうからな。正直勇者様の実力なら、討伐にはさほどかからないだろうと考えている」
「にゃるほどね~。んじゃまぁ、この夜が明けるまでに終わらせようか。勇者ちゃんもそれでいけるっしょ?」
「……そうね。そうしましょう。出立の準備をするわ。アタシとドルガは所持品の仕分けと確認。バカは瘴術具の調整をお願い」
「承知した」
「りょーか~い」
「…………え? え?」
目の前で繰り広げられた出来事が理解できなかった。無理なんだと思ってたのに、どうして……
「い、いいの……?」
怯えたような、困惑したような、すこしだけうわずった声。
勇者はキョトンとしたあと、からかうような、意地悪そうな顔で、
「えー、トゥルーデが言いだしたことじゃな~い」
「それは、そうだけど……」
「あは。心配してくれてるのね。その気遣いは嬉しいわ。けど、平気よ。バカはどうしようもなくバカだし突拍子もなくバカなことよく言うけど」
「おっと突然の流れ弾」
「だけどね、できないことは言わないわ。アイツができるって言うならできるのよ。それがどれだけ困難極まることだろうとね」
ドルガランも理解しているからこそ、二つ返事で承諾したのかもしれない。すこぶる不服そうだけれど。
「だからね、アナタが心配することはひとつもないわ。それになにより、アタシは最強だから」
ニヤリと不敵に微笑む勇者。その姿はまるで、本当に心配なんて微塵もないと伝えようとしているようで……
「ありがとう」
「義を見てせざるは勇者にあらずってね。これも勇者の務めよ」
ヒラヒラと片手を振り、勇者はドルガランを手伝いに行く。それを見るともなしに眺めながら、
「義を見てせざるは勇者にあらず、か」
確かにいままでそういうことが多かった気がする。お節介焼きなんだとばかり思ってたけど、ちゃんとした信念があったんだ。わたしは改めて勇者の凄さを感じ、いますぐには無理でも、いずれは並び立てる存在になりたいと強く拳を握りしめ――
「オイラにはお礼くんないの~?」
「キャアアアアっせい!」
「危な!?」
驚いて渾身のストレートがでてしまった。我ながら鋭い一撃だと思ったけど掠りすらしなかったし、さすがは異例事象の召喚者ってことで手落ちにしよう。わたしは一切悪くない。
「それで、なにか用ですか?」
「うわ、よくそんな自然体でいられんね。まぁいいけどさ。んで用と言ったらそれよそれ、瘴術具。念のためこの辺に結界張っとくつもりだけどさ、この世界の人らは瘴気耐性薄いんだから、こっちもしっかり調整しとかないと」
「ああ、ありがとうございます」
「いいのいいの。オイラにできることってこんぐらいだし」
「ですよね」
「酷い! 前々から思ってたけど、勇者ちゃんと扱い違いすぎない!?」
「だってあまりにも実力差が……」
「オイラだってわかってるよ! けど瘴術具の調整だって凄いことらしいからね!」
それは確かにそうだった。瘴術具の調整なんてよほど高名な術師か、専門で研究してる施設の所長クラスでないとできない。世界中を見渡してみても二十人といないだろう。勇者が力の勇者とするなら、彼は智の勇者と言って差し支えない。遊び人のくせに。
「ほい終わりっと。オイラのほうは終わったけど、そっちはどんな感じ?」
「アンタらがイチャついてるあいだに終わってるわよ」
「姫様に手をだせばただではおかんぞ」
「うっはぁ怖ぇ~、ってかイチャついてないし。オイラは大人のお姉様がタイプだかんね」
「わたしもさすがに心外です。彼と恋仲になるぐらいなら魔物に辱しめを受けたほうが百倍マシです」
「ハッハァ! こいつぁオイラも心外だぁ!」
暗い森に笑い声がこだまする。最終決戦前、最後の談話。その意識がみんなあったんだろう。心から楽しそうに、惜しむように、ひとしきり笑いあった。そして……
「さて、と。いい感じにあたたまったし、そろそろ行こうかしらね」
「はいはい了解でごぜぇますよ。まったく、毎度毎度オイラをダシにしないでほしいもんよね~。べつにいいんだけどさぁ~」
ググッと伸びをして颯爽と踵を返す勇者。肩をすくめて愚痴りながらもあとに続く遊び人。二人の遠ざかる背中を見えなくなっても見つめ……そのままどれぐらい経っただろうか。とてつもない魔力の奔流が、魔王城で吹き荒れているのを感じた。
「どうやら、始まったようですね」
ドルガランがわたしの隣に立ち、魔王城を見据える。その顔はすこし緊張しているようだった。わたしにもその気持ちがわかる。だって、これは……
「勇者の魔力、よね?」
嵐の海がごとく荒れ狂う魔力。こんな乱暴な魔力も、これほど膨大な魔力も、いままで味わったことがない。これが、彼女の本気。わたし程度ではそばにいることすら叶わない激情。そしてなにより、彼女がそうまでしないといけない相手――魔王。
「勝てる、のよね?」
震えていた。声も、身体も。それでも眼だけは離さない。見届けると約束したから。
「……正直、予想以上ではありました。ですが問題は、彼女がなんのために本気で戦っているかです」
「なんのために?」
「姫様のご心配はおそらく、魔王がそれほど強いのではないかということでは?」
「……そうね」
「ですが、もしこれが魔王相手のためでなく、姫様のためであるのなら」
わたしのため?
「それって……」
「はい。姫様のため、早くここに戻ってくるためなのだとしたら」
「魔王が強いわけではない?」
ドルガランは力強く頷く。
「そっか。そういう考えかたもあるんだ」
そっと胸を撫で下ろし、息を整える。自然と震えも収まり、見据える瞳にチカラがこもる……と、視線の端で、気配がした。
「姫様」
ドルガランがわたしをかばうように前にでる。
気配は足音とともに徐々に大きくなり、形を鮮明なものにしていく。
そして、姿が完全に顕になり……
「……貴様、ここでなにをしている」
警戒心を剥きだしに、ドルガランが腰の剣に手を添える。
当然だ。だって、勇者の魔力はまだ吹き荒れているんだから。なのに……
「いや~、そうカッカしなさんなってドルガちゃ~ん」
遊び人が、にこやかに笑って立っていた。
最初のコメントを投稿しよう!