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「討伐はどうした?」
「いやいや、あんなエッグイとこいられるわけないっしょ~」
遊び人の言い分はもっともだ。あんなところ、一般人どころか並みの兵士でもいられるわけがない。でもそれは、本当に並みの兵士レベルだったときの話だ。
遊び人は表情を変えず、ゆっくりと踏みだす。
ドルガランは左手でわたしを後ろに隠す。
「はは。だからんな警戒すんなって」
「ならばまず、用件を言え」
「用件。用件ねぇ……」
遊び人はいつもとおなじ、穏やかな口調で、
「思いだしたんだよ、オイラが何者なのか」
「思いだした?」
「そ。城に入って、魔王に逢って、思いだしたんだ、すべてを」
「……それは、呪いの話か?」
「だぁね」
呪い。勇者の呪い。召喚された勇者には、それ以前の記憶がない。名前さえも憶えていない。唯一憶えていることは、身体に染みついた戦いの技術。
「めでたいことだな」
「あんがとね。剣から手ぇ離してくれたらもっと嬉しいよ」
「抜かせ」
遊び人はいつものようにヘラヘラ笑う。
「オイラもさ、なるべく穏便にすませたいわけよ。べつに危害を加えようってわけじゃ……あー、まぁ、うん、ね?」
「貴様、やはり喧嘩を売ってるだろう」
「待った待った! 一応これアイツの、勇者ちゃんの願いでもあるんだって!」
「勇者様の? どういうことだ」
「それは――」
瞬間、ドンッ! と、空を割るかのような爆音が轟いた。
遊び人はおもむろに魔王城へと頭だけで振り向き、
「……あー、いや、悪いんだけどさぁ、時間なさげなんだよねぇ。ってことで――もう、遊んでらんねぇんだよ」
その声は、すぐそばから聞こえた。
視線を動かすより速く、甲高い金属音が鳴り響く。
「なんのつもりだッ!」
怒号。風切り音。魔力が踊り、炸裂する。
視覚では追いつけない速度で、戦況が疾走する。
「おっとっと。怖ぇ怖ぇ。オイラのこと殺す気かよ」
「貴様がそのつもりならな」
遊び人はいつものようにヘラヘラ笑い、
「はぁ~、ったく。穏便にいきたかったけど、こうなっちまったら仕方ねぇわな」
スッと、眼光が鋭くなる。
顔つきが変わる。
本気だ。
本気でわたしたちのことを……
「どうして……」
「アンタのせいじゃない。もちろん、ドルガランのせいでもな」
遊び人は窺うように腰を落とし、クルクルッと右手の人差し指で二回、円を描く。途端、遊び人の周囲で瘴気が渦を巻く。巨大なナニカを形作る。
あれは、危険だ。
いや、危険なんてモノじゃない。
この世界の住人が瘴気に呑まれれば、それでおしまいなんだから。
「なぜだ! 魔王城でいったいなにがあった!」
「なんてこたねぇ、ただの絶望だよ!」
遊び人が指を振る。
瘴気の津波が勢いよく押し寄せる。
ドルガランは魔力を宿した剣で斬り裂き、斬り裂き、斬り裂き、斬り裂き……
「クソッ」
唸るように悪態をついて、わたしを抱える。
「【護れ】!」
わたしとドルガランの周囲に盾の結界が現れる。幾重にも重なり、繋がり、一切の隙間なく球状に包み込む。
「そいつは確か、騎士団長の技か。国の守護神、盾の一族の秘技って話だったはずだが……まぁ、使えるだけで団長ほどでもねぇか」
遊び人はゆっくりと結界に近づき、右手を触れる。
その、右手が……
「なぜ、結界が効かない!?」
ドルガランの驚愕をよそに、遊び人はズブズブとこちらに迫ってくる。右手どころか、腕も、脚も、身体まで。
「言ったろ、思いだしたって。オイラの本来の能力も、何者だったのかも、全部思いだしたんだ。その上で言うぜ。殺しはしない。痛めつけるとか辱しめるとか、そんなこともする気はない。最低限の危害しか加えるつもりはねぇ」
三人じゃ狭いなと呟き、右手の人差し指をクルンと回す。それだけで、結界が何倍にも広がる。次元が、実力が違いすぎる。それでもなお、ドルガランは遊び人を鋭く見据え、剣を構える。
「危害を加えようとする時点で敵だろうが」
「……まぁ、言いかたが悪ぃってのは認めるよ。でも、他に言いようもないっつーか……まぁいいや。あれよあれ、姫様が勇者に憧れてっから、勇者にしてやろうかと思ってね」
勇者に、なる?
勇者は生まれながらにして勇者じゃないの?
わたしの疑問にはきっと気づいてる。けど、無視するように遊び人は言う。
「んで、どうするよ? なんの? ならねぇの?」
「そんなの、いきなり言われても……」
「マジで時間ねぇんだわ。チャチャっと決めちゃってくれ。最初のほうに言ったけど、アンタが勇者になんのはアイツの願いでもあっからね」
アイツというのはきっと、勇者のことだ。馴れ馴れしい。もしかしたら召喚以前から知りあいだったのかもしれない。
勇者がなんなのかは、説明すると長くなるんだろう。戦闘になったのもたぶん、遊び人にとって予想外だったんだ。ドルガランが思った以上に善戦してしまったから、余計に時間がなくなった。だからもう、即答するしかない。
「わかった。勇者になる」
「姫様!」
ドルガランを手で制し、遊び人に向きあう。
遊び人はわかってましたとでも言うような表情で片手をヒラヒラ振り、
「はいはいオッケオッケ。んでそっちはどうするよ」
「は?」
「え? ドルガも勇者になるの?」
「それを決めんのはソイツだよ」
「……なるとどうなる」
「アイツを忘れずにすむ」
「忘れずに……? それは、どういう――」
「その辺はあとでもできる。なるかならねぇかだ」
「……わかった。なろう。姫様ひとりにするわけにもいくまい」
「あいよ。ったく、超ギリギリじゃね? アイツもよく耐えたもんだ。やっぱ最高だよ、相棒」
遊び人は仄かに笑い、クルクルクルッと右手の人差し指を回す。一筋の閃光が空に打ちあがり、弾け、轟音とともに花開く。
見惚れるほど美しい光景に目を奪われ……それで、終わった。結界が完全に消えていた。周囲を覆っていた瘴気がなだれ込み、眼前の閃光ごと喰らい尽くしていく。
「ああ、これが、瘴気なんだ……」
感じたことのない気味の悪さ。濃度が高いせいか不快に絡みつく感触。徐々に熱が、五感が、すべてが奪われ、けれどなぜか、魂だけは高揚するような、不思議な感覚。
「おっと、言い忘れてたな。安心していい。魔王は問題なく倒せる相手だったし、世界中の瘴気も薄れていくはずだ」
……そっか。それは、よかった……
そう、言えたのだろうか。わからない。けど、よかった。彼は、できないことは言わないはず、だから……
――わたしの意識は、そこで途切れた。
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