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七、 左六女の桜(最終回)
「おお、正じゃないか。今朝は早いのう」
居眠り禰宜だ。
「今日は、八年に一度の御神事があってな。ここは通れんぞ。おう、もう6時か。神事の時間は終わったわい。参道に入っていいぞ」
そう言って禰宜は、注連縄をほどき、立て札を持って社務所に帰って行った。
正は、バックパック置き場の木を見上げた。参道の並木、左側六本目。左六女の桜。この木だけ、花びらが一枚も無い。
「今までの事は、何だったんだろう……」
正は、桜の木をなでた。朝目覚めて、今まで見ていた夢が霧散していくように、神事のことは、正の意識から消えていった。
そして、いつもと同じように、参道でのランニングをして家に帰った。
翌朝、正は参道左側六本目の木に、バックパックを置いた。
「おはよう左六女。花はなくとも、お前が一番綺麗な桜だよ……。あれ……。今、左六女って言ったよな。何でこの桜を、左六女って呼んだんだろ? ……まあ、いいか」
正は、首を傾げながらも、本殿に向かって走りだした。
左六女の桜が、花を咲かすことは二度となかった。
春の章 左六女の桜 『いろは唄』
終
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