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「ロック好きなのにあのバンドは聴かないんだね。えっーと、なんだっけ?今飛ぶ鳥を落とす勢いの…確かeから始まるんだけど」 「エスキースですか?前はめっちゃ聴いてましたよ。ライブやフェスにも足を運んだし。だけど俺、知名度が上がると、なんか巣立ってしまったような気がして聴かなくなるんですよね」 「天邪鬼だね」 「ですね、俺、捻くれてますね。それに…」と言いかけて口を噤んだ。 何を言いかけたのか気になった先輩は、「それに?誰か大切な人でも思い出したかな?お姉さん話聞くよ」と冗談めかして話を聞き出そうとしてきた。 「鋭いっすね」 「まぁね、君の数年長く生きているからね。誰にでも同じようなことはあるんだよ」 「ということは、先輩にも似たような経験があるんですね」 「何、矛先を自分の方からわたしの方へ変えようとしてるのよ」 「やっぱ、バレました」ちぇっ、咄嗟の判断にしてはうまくいったと思ったのになと心の中で思う。口には出してない。 「無理に忘れようってしなくていいんじゃない?どれも君の大事な思い出なんだから」 「今私いいこといったよね?」ね?ね?としつこく言ってくる。 「その一言が余計でしたけどね」 その後数口会話を交わして僕らは仕事へ戻った。 あのバンドを聴くとあの子を思い出してしまう。だから敢えて聴かないようにしていた。 あの頃は無名のバンドだったが、いまではドラマの主題歌やCMでひっぱりダコだ。嫌でも耳にする。 部屋の本棚に、小説と一緒にエスキースのアルバムが数枚並んでいる。いつも通りの光景だ。普段なら気にならない。 だが、先輩から言われた「無理に忘れようってしなくていいんじゃない?どれも君の大事な思い出なんだから」というセリフが脳内で再生される。 目の前にCDはあるが、わざわざパソコンを立ち上げて聴くのは面倒くさい。 スマホでアプリをタップし、エスキースと検索する。あの頃と違い、今はサブスクが当たり前になっており、気軽に音楽を聴くことができる。 スマホの画面にたくさんの曲が表示される。エスキースを聴かなくなって、約5年。当たり前だが、知っている曲より知らない曲の方が多い。 スクロールしていくと、『忘れられない』という曲に目が止まる。僕が、いや、僕らがこのバンドを好きになるきっかけをつくったのがこの曲だった。   ドーンと大きな音を立てて、花火が打ち上がった。夏フェスの最後を彩る。花火を背にして、フェスの会場にいた大勢の人々が移動している。バス乗り場には長蛇の列ができていた。 興奮冷めやらぬ僕ら2人は、少しでも余韻に浸りたくて、ビールを片手に花火を眺めていた。 「私夏フェスって初めて参戦したんだけど、最高すぎない?語彙力ないから上手く表現できないんだけど、ヤバすぎない?」 「あー、ホントヤバすぎたね!」 「目当てのバンドももちろんだけどさ、新たにいいバンド発見できるのもフェスの良さだよね」 「俺あのバンドに心奪われた。えっと名前が出てこない…一番小さいステージで演奏してたスリーピースのバンドなんだけど」 「待って、それ私もいいと思ったやつだ!」といい彼女はスマホでタイムテーブルを出す。 「あ、これじゃない?なんて読むのかな」と言ってスマホの画面を僕に見せてくる。  彼女が指差したところにesquisseと書いてある。 「それだ!ホント最高だった!ライブに行きたくなったもんな」 「いいねー!私も行く」 なんて読むんだろうねといいスマホで検索する。 バンドを紹介しているページを発見する。そこにはesquisse(エスキース)と書いてある。 「エスキースって読むらしいよ。フランス語で下書きって意味らしい。アートで使われる専門用語だってさ」 彼女はエスキース、エスキースとつぶやきながらスマホをいじる。 メンバーの項目に目をやると、ギターボーカル:林龍騎 ベースボーカル:長谷川結 ドラムス:凛堂達也…記事を読んでいると、横で彼女が音楽を流し始めた。 「この曲良かったよな。激しめの曲は林龍騎が歌って、バラードはベースの長谷川結が歌うらしい。初めて聴いたとき鳥肌たったよな」しれっと先程の記事で知り得た情報を混ぜて感想を伝える。 「それそれ!他の曲は攻撃的で、激しくて、それはそれでめっちゃかっこよかったんだけど、そこからバラードを挟んで一気に雰囲気変わったよね」 「俺『忘れられない』を演奏する前に林龍騎が話した内容に持ってかれたわ」 アップテンポの曲を2曲続けて演奏した。どれも初めて聴いたが、自然に体が動く。周りでは腕を上げたり、飛び跳ねたり、モッシュしたりして、それぞれが全身で音楽を浴びていた。彼女も隣りで首を縦に振りながら聴いていた。 ボーカルがペットボトルで水を一口飲んで、 「バンドマンはいいよな。恋愛が上手くいっても、ダメで失恋しても、それが歌になるんだからって心無い言葉を言われたことがある。確かにその通りだ。だけど俺らはそれを歌うたびに彼女のこと、その当時の様々な感情を思い出すんだよ。向こうはとっくに忘れてるかもしれないけど、俺らは忘れられないんだ」と言うやいなや演奏が始まった。 ベースの長谷川結が「忘れられない」と曲名をつぶやく。   さっきまで暴れていたファンたちは嘘のように静かになっていた。タオルで涙を拭いている人もいる。 隣に目をやると彼女の目も潤んでいるのがわかった。 いつの間にか『忘れられない』を聴き終えていた。わずか3分42秒に全てが詰まっていた。 彼らエスキースが作った歌に僕らの思い出が上書きされていた。 僕は少し上を向いた。 本棚から初回限定のアルバムを取り出す。ライブ映像を観たくなってパソコンを立ち上げ、DVDを入れる。 歌詞カードを見ようと取り出すと、ひらりと何かが床に落ちる。 床に落ちたのは、あの日行った夏フェスのチケットの半券だった。 チケットの裏には、彼女の字で『楽しかったね。また行きたいね』と書いてあった。 僕は音楽のボリュームを上げた。 ガチャっと部屋のドアが開き、「ちょっと静かにしてよ。勉強できないじゃん」と妹が文句を言いにきた。 が、僕の顔を見るやいなや、「え、お兄ちゃんなんで泣いてるの」とびっくりしたような、やや引いたような感じで聞いてきた。 「な、泣いてないわ、勝手に部屋開けるなよ」と文句を言い返すが、声が震えており言葉に力がない。 珍しく気を利かせた妹は、ごめんねと言って部屋を出ていった。 長谷川結が透き通った声で「忘れないでよ、忘れないでよ」とサビを歌っているのが耳から侵入してくる。手にはチケットの半券。脳内には「無理に忘れようってしなくていいんじゃない?どれも君の大事な思い出なんだから」というセリフ。 ついに涙腺が崩壊した。目から生暖かい液体が次々と溢れてくる。「うぇっ」と変な声まで漏れている。 体の中に溜まっていた様々な想いが溢れてきた。だが、悲しいという気持ちはなかった。 また一つ、3分42秒に想いが上書きされた。そんな気がした。   
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