第18章 秘密裏プロジェクト

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 十文字の企画を通すため、保住は彼を従えて廊下を歩いていた。年度の予算はすでに決定されているものだ。その中でのやりくりだ。  今回の十文字案では、当初の予定よりも金がかかるため、財務と話が必要になった。局長の佐久間には了承をもらってきたが、財務はそう簡単には動かせない。面倒なことになりそうだと思いながら、緊張している十文字を見ると、かちかちになって歩いているのがわかった。  ——手と足が一緒じゃない。  保住は笑ってしまった。十文字の緊張ぶりは、見ているとかわいそうになるが仕方がない。これも誰しもが通る道だからだ。  指定された場所に時間通りに入ると、中には財務部財務課財政第一係長の田仲が一人、パイプ椅子に座っていた。 「おや。珍しいですね。保住係長。きっかり時間通りだ」  ——嫌味なやつ。 「すみませんね、いつも遅刻で。田仲係長」 「いえいえ。おれたちとは比べものにならないくらいですもんね。保住係長のところは」  これも嫌味。隣にいる十文字は上腹部の辺りをさすりはじめる。それを見て保住は笑んだ。こんな嫌味を言われている時でも、そんな顔をしてしまうおかげで、相手は『全く相手にされていない感』を覚えて不愉快になるのだ——と田口に怒られた。しかしそれは致し方ないこと。これは保住尚貴という男なのだから。  田仲は眉間気シワを寄せて不機嫌な顔をした。保住は「なにか?」と惚けて見せる。田仲は余計にむっとした顔をしてから「ではお話をお聞きしましょうか」と言った。 「追加予算の申請です」  保住が単刀直入に切り出した瞬間——扉をノックする音が響く。田仲は文句の一つでも言おうとしていたのだろうが、まるで出鼻をくじかれたように、大きくため息を吐く。それから、ぶつぶつと文句を言い始めた。 「なんだよ。邪魔するなって言ったのに……。誰? なんの用?」  ぶっきらぼうに大きな声を上げると、古ぼけた扉が大きく開く。  「悪いね。して」  田仲の不機嫌さを無視するように、相手の男はにこやかに顔を出した。 「おやおや。熱の入った議論の最中だったかな?」  保住は手を振ってそこにいる吉岡を眺めてため息を吐いた。田仲から見たら、直属の上司だ。彼の慌てようといったら、目も当てられないくらい情けないものだった。  ——この狸。 「よ、吉岡部長……? な、なにかございましたか」 「いやあ。保住に用事があっていってみたら、こっちにいるって聞いたからね。ここで待たせてもらおうかな?」 「で、では。我々の用件は後でも結構ですので。先に。どうぞ」 「え、なに言い出すんだい? 別におれがいいよって言っているんだから、いいじゃないの。さっさと話を終わらせてください。そのあと、ゆっくり保住と話たいからね」 「しかし——」  ——田仲はやりにくいだろう。ある意味、部下への嫌がらせだ。  保住は内心呆れた。吉岡は物腰柔らかな男だが、やはり部長まで上り詰めるだけのことはある。嫌味の連続で、なかなかこちらの提案に「うん」と言わない男ではあるが、さすがに気の毒に思えた。壁に立てかけてあったパイプ椅子を取り出して、すっかり座ろうとしている吉岡に声をかける。 「別に逃げたりはしませんよ。吉岡部長。終わったらお伺いします」  保住の言葉に珍しく賛同するのか、田仲も力強く頷くが吉岡は知らんぷりだ。 「え~。保住はそう言って、約束守ったためしがないじゃないか。すぐ終わるんでしょう? なんの問題もない案件に見えるけど? それ」  彼はいつのまにか十文字の作成した予算書をつまみ上げる。 「ふんふん。予算オーバーの企画なんだね。佐久間局長はOKしているんだろう」 「ええ」  保住が答える。 「まあ、このくらいなら想定内のオーバーじゃないの? 他から回せるでしょう」 「しかし」  田仲は渋った。しかし吉岡はあっさりと「オッケー!」と叫んだ。 「え?」 「吉岡部長……」  十文字はぽかんとしていた。 「この書類でいいよ。ね? ——田仲くん」 「えっと。あの……」 「え! どこに問題があるの? え? ええ?」  吉岡のリアクション田仲は黙り込むしかない。それを肯定と捉えるのか。吉岡は「じゃあ、話は終わりね。田仲くん、ご苦労様」と彼の退室を促すように手を差し出した。  部長の指示と言われれば従わないわけにはいかない。田仲はおもしろくない顔をしながらも、書類を抱えて会議室を出ていった。そのやり取りを見ていた保住は顔が引きつる。 「相変わらず違った意味で強引ですよね。吉岡さん」 「え? そう? だって。話し合ったって仕方がないじゃない。やるにはそれ相応の金がかかるし。佐久間さんも了承しているなら、その中でやりくりしてもらえばいいだけだもの」 「それはそうですけど。田仲さんの立場が丸つぶれじゃないですか」 「田仲くんは面倒なことばっかり言うから、仕事が進まないんだよね。管理職はある程度、決断を早くしてもらわないと」 「しかし、今日のはひどいですからね」 「おれに説教? ――ああ、そっか。心配してくれるんだね。保住は優しいね」 「あなたたちの世代の方と話すと埒があきません。無駄にからかわれているようで心外です」 「保住もそんなことを思うようになったのか。なんだかどんどん公務員っぽくなってきちゃって。嬉しいやら悲しいやらだな」  吉岡の言葉に十文字は小さく笑った。 「お父さんみたい」 「おい。聞こえているぞ」  保住は顔を少し赤くする。 「すみません。だって」 「そうそう。おれは、保住のお父さん役だからね。えっと。君は? あれ? いつもの子は?」 「田口は留守番です。こっちは十文字。今年から文化課振興係に配属になりました」 「そう。財務部の吉岡です」  彼はそう言ってにっこり笑顔で挨拶をする。 「あれ? 十文字って——まさか、十文字市長のご子息ではないよね?」 「あ、はい。父です」 「わー、そうなんだ! 市役所に就職したって聞いていたけど。……お父さまの体調はその後どうだい?」 「ええ。退任した後、手術が成功しまして。今では好きなことをしながらのんびり暮らしています」 「そっか。それならいい。退任されてから、全くどうなっているのか分からないものだから心配していた」 「ありがとうございます。そう思ってくださる方が市役所にいると知ったら、さぞ喜ぶと思います。なにせ、任期途中での退任でしたから。皆様に顔向けできないと、今でも気に病んでいます」  吉岡は表情を曇らせた。
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