第1章 出会いと始まり

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「銀太って。なんかちょっと抜けてそうな奴が来ましたね。係長」 「いいんじゃないですか。若そうだし。一気に若返り」 「真面目そうで、からかいがいがありそうだ」  彼らは好き勝手なことを言い始める。しかし、生真面目な田口は、どう反応したらいいのかわからない。狼狽えてしまった。  つい先ほど入り口で会った男を見た。助けを求めるわけではないのだが——。彼は四つの席の真ん中にある、誕生席に腰を下ろした。 「田口、よろしく。おれは文化課振興係長の保住だ」 「係長!?」  ——この年下の男が!?  田口は目を見張った。その反応に、他の職員たちが「だ」とばかりに笑い出す。 「あ~あ。バカにしていますよ」  保住から見て右隣にいる少しお腹の出た中年の男は、ニヤニヤとして面白そうに保住に視線を向けていた。 「ち、違います」 「いやいや。顔に書いてあるって。こんな若い係長の下で働くの? って」  少し白髪の入っているその男は、丸い眼鏡をずり上げて面白そうに笑っていた。 「渡辺さん、そう虐めたら可哀想ですよ」 「でも」  保住は職員を紹介した。 「こちらが、係長補佐兼主任の渡辺さん」 「渡辺でーす。四十七歳。一応、中学生の女の子と男の子の父です」  彼は右手でピースを作って笑った。正直、仕事できるのか? と思うくらい軽いノリだ。  そして、「次はおれの番っ」とばかりに、渡辺の隣に座っている風船みたいな男はドヤ顔で田口に視線を寄越した。 「おれは、矢部ちゃん。三十九歳独身。好きなものはアニメ。二次元よりも三次元好き。一応、主査です」 「矢部のアニメ好きは、半端ないもんな」  渡辺は呆れた顔をした。 「去年、パソコンの待ち受けをアニメの美少女にしていたら、局長にパソコン破壊されそうになったもんな」 「おれは、別にいいと思うんだけどな~」  保住は大して気にしていない様子で笑う。今度は、渡辺の目の前の男が挨拶をする。骨と皮の骸骨男だ。 「おれは谷川です。三十五歳。おれも独身。彼女募集中」  骸骨みたいな顔で真面目に言われても、女子は寄りつかないのではないだろうかと、真面目な田口でも思った。  三者三様。かなりクセの強い職員たちだ。それから三人は、田口をじっと見つめていた。  ——なにを求めているのだろうか? みんなが既婚か独身か話しているから、それなのだろうか。  田口は動揺し、口ごもってからやっと言葉を紡いだ。 「おれは独身です。二十九歳です。友達もいません。つまらない男ですが……どうぞ、よろしくお願いします」 「ぶ」 「つまらないだって」 「全然。面白いけど」  三人にからかわれて、なんだか狐に摘まれたみたいだ。求められたから答えたというのに、笑われた。こんな変な自己紹介をさせられた部署は、今までひとつもなかった。  まるで学生のノリだ。融通の効かない田口にとったら、居心地が悪い環境であった。  ——こんな部署初めてだ。  段ボールを抱えたまま、どうしたものかと思案していると、保住が手招きをする。 「そんな顔するな。突っ立っていないでさっさと準備しろ。仕事をさっそく教えるからな」  田口は頭を下げから、さっそく空いている谷川の隣の席に荷物を置く。谷川は失礼にも、段ボールの中身を覗き込む。中には文房具が少しと、教育委員会で使う法令集の冊子を入れてきた。 「真面目か。もう読んできたのかよ」 「すみません」 「謝るところじゃないだろう。いい心構えだ。そんな新人、今までいなかったら驚いただけだって。それにほら。本当に読んでおいてもらいたいのは、こっち。ね?」  谷川は、数冊の冊子を田口に手渡した。 「今年度の業務の要綱要領だ。頭に叩き込んでおけ」 「はい」  昨年度からの残留組にとったら、なんの変わり映えもしない日常の始まりだ。借りてきた猫のよつに、どうしたらいいのかわからない田口は、とりあえず荷物をデスクに仕舞い込み、それから谷川から渡された冊子を読み込むことにした。 ***  半日もそこにいると、色々なことが見えてきた。田口は寡黙だ。前の部署では表情も変わらないので、「何を考えているのかわからない人」と言うレッテルを貼られていたくらいだ。  だかしかし、責任感だけは人一倍強い。異動の多いこの仕事で、「分からないからやらない」とか、「知らないからできない」はない。同じ給料をいただくのだから、今自分にできる精一杯頑張る。これが彼のモットーだった。  だからわからない事は知りたいし、学んでいきたい。自分のものにしたい。そういう点から見ると、案外、欲張りで貪欲かもしれない。  田口は末っ子で甘やかされて育ってきた。いつも欲しい物はそこにあった。欲しいと言えば、誰かが容易に与えてくれた。だから、あって当然なのだ。 「ない」と嫌になるから欲しくなる。自分の欲しいものは人でも、物でも、知識でも、手に入れたくなるのかもしれない。   早く先輩たちと同じように立ち回りたい。そんな気持ちで、谷川からもらった冊子を読み進めていたが、それも昼近くになると、集中力が切れてきた。    この場の緩い雰囲気を作っているのは、やっぱり緩い男、係長の保住だ。渡辺と矢部が揉めると、間に入って冗談を言いながら仲良くさせる。  気難しくてこだわりの強い谷川の話も、角が立たないように上手く緩める。保住が部下たちの間に入って、立ち回っているのはよくわかった。  保住は周囲の面倒をみたり、電話で話したりしているくらいで、キーボードを打っている様子はない。    書類も眺めてはポイ、眺めてはポイだ。本当に読んでいるのだろうかと疑いたくなる。これでどうして、この若さで係長なのだろうか。  この仲間の中で、自分はどの立ち位置でいればいいのだろうか。そんなことを考えていると、ふと保住に呼ばれた。 「田口。午後、付き合え」 「え?」 「外勤に行くから。お供な」  話を聞いていた渡辺は、パソコンを打つ手を止めるて、両手を後頭部で組んだ。 「カバン持ちか。いいな~。係長どこに行くんですか?」 「県庁ですよ」  保住は笑みを見せる。すると、矢部が「げー」っと顔を顰めた。 「じゃあいいです! 遠慮します」  三人はバツの悪そうな顔をしていた。県庁に何か問題でもあるのか。 「県庁には、なにかあるんですか」  谷川に尋ねると、彼は「ああ」と答えた。 「県庁の担当者、嫌な奴なんだよ。異動なかったんですよね。あの人?」 「ああ。名前はなんと言ったかな? 覚える気がないとはこの事。一年もお付き合いしたのに、まだ覚えられません」  保住の言葉に渡辺は「失礼ですよ」と笑う。それから田口に視線を寄越した。 「梅沢市(うち)はね。そこそこやってるから、県は面白くないんだよ。なにかと茶々入れてくるんだ」  田口にはその意味が少々理解できていない。県庁と市役所とは、そもそもの機能が違っているのだ。張り合うような立場にはないはずなのだが。  不思議そうに首を傾げると、渡辺が更に説明を付け加えてくれた。 「梅沢市って県庁のお膝元だろう? だから教育長は県をライバル視しているし、あっちも目につくんだろうよ。出る杭は打たれるっていうからな」  農業振興係の時も、県との関わりは無論あったが、そんなことは感じなかった。教育委員会だからこその何かがあるのかもしれない。そう思った。 「今年度、県立美術館で行われる催しに合わせて、市内の公民館にも催し企画展を開催しろと迫ってきている。昨年中ならまだしも。悪いがどこも忙しいからな。無理はさせられない」  保住はネクタイを強引に引っ張っていた。これは八つ当たりのつもりらしい。 「ああ、面倒だ。こんなものは廃止してもらいたい!」  田口にとったら、スーツは当たり前の仕事着だ。ネクタイを廃止するなんて信じられない発想だった。  文化課振興係に配置されて、ままだ数時間だというのに。なんだか妙に疲れているのは、気のせいないと確信した。
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