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静かに息を吞んだ私を、諏訪邉さんは静かに見つめる。
それはまるで、ほっと安堵した私の心をなじるみたいな鋭い瞳で……もちろんそんなことはないはずだけど、どうにも視線を受け止めきれず、私は唇を結んだままただ黙って目を逸らす。
「軽い脳震盪とのことで、今は別の病院に入院しています。早ければ明日にでも警察からの聴取があるでしょう」
「…………」
「榎本さんの方にも、話を聞きたいという連絡が来ています。日程を決めるため、目が覚めたら警察へ報告するよう言われていますが……」
うつむく私の引きつる顔を下から覗き込むみたいに、諏訪邉さんは小首を傾げ、探るような目つきで言った。
「――これから、どうしたいですか?」
どくん、心臓が強く跳ねる。
どうしたい? 今までそんなの、一度だって考えたことはなかった。
いや、正確に言えば、考えたとしても実現できる見込みが一度もなかったのだ。空想だけならいくらでもしてきた。でもそれは本当にただのイメージ。現実へ繋がる可能性のない、言ってしまえば無意味な妄想だ。
でも今、私は問いかけられている。私がこれからどうしたいのか――どんな未来を望んでいるのか。
右へ左へ泳いだ視線が、縋るように彼を見上げる。綺麗な顔に何かを隠した、意味深い微笑みを浮かべ、諏訪邉さんはその眼差しで私の心をそっと揺さぶる。
いいんだよ、と。
耐えることは、何もないのだと。
「わたし」
シーツを握る指先に、自然と力が籠もっていた。
「……今まで諦めてきたことをやりたい。自分で稼いだお金を使って、ご飯を食べて、洋服を買って、……化粧をしたい。髪だって切りたい。本当はずっとカラーもしてみたかった」
「…………」
「人の顔色ばかりを窺って、言いなりになって生きるのはもう嫌。私は自分の足で立って、自分の歩きたい方へ歩いて、自分のやりたいことをやって、それで、」
――自分自身の人生を、自分の手で創っていきたい。
そこまで一息で言い切ってから、私ははあっと息を吐いた。左のこめかみから頬にかけてを、一筋の汗がツと伝っていく。遅れて湧き上がる羞恥心に、みるみるうちに顔が熱くなる。
「よ……幼稚だと、笑われるかもしれませんが」
あははと乾いた笑みを浮かべて、私は自分の頬を掻く。全身の体温が一気に上がって、彼の瞳をまともに見られない。
「笑いませんよ」
うろたえる私とは対照的に、諏訪邉さんはいつもどおり冷静だった。長い足をゆっくりと組み替え、彼は少しだけ顎を引くと、
「素敵だと思います」
と言って、どこか恍惚と微笑んだ。
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