教育

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『さっさとぶっ殺しちまえばいいんだよ、あんな連中!』 『次のターゲットは、〇〇記念美術館だ。楽しみにしてろ』 『違う、テロなんかじゃない。聖戦だ。これは神の許したもうたことなんだよ』 『もう、あそこ吹っ飛ばそうぜ。爆弾なんて簡単に作れるよ』  ここは、都内にある某政府組織。担当官の下島の前には、物騒な言葉を羅列した白い用紙が、プリンターから次々に吐き出されてくる。  近年のこの国の治安状況を見るにつけ、誰もが気づいている明白な事実があった。それは、凄惨で恐ろしいテロ行為の担い手は、誰もが知っている怪しげな団体でも、いかにもいかがわしい犯罪組織でもない。ごくありふれた”普通の人”だという事実だ。彼らは、どこにでもいる市井の一市民そのものであり、住宅街の小さなアパートやワンルームに住んで、ごく普通の生活をしている。コンビニで弁当を買って帰り、缶ビールを飲みながらテレビドラマを見たりしながら、日々を過ごしている。そう、ある日突然、大量殺人を実行する直前まで。  そんな時代に、犯罪を未然に防ぐのはまさに至難の業である。極秘に検討を重ねた挙句に、政府は一つの方法を実行することにした。背に腹は代えられない。つまり盗聴である。  この国の国民が日々行っている無数のコミュニケーション、SNSや諸媒体上のやり取り、様々な配信、そして電話での会話に至るまで、国民のあらゆる通信手段を盗聴し、監視するという禁じ手に打って出たのだ。勿論こんなことは公に出来るわけがない。関係者以外、絶対に知られてはならない国家機密なのだ。彼らは内閣総理大臣直属の組織として活動しているが、その名称も所在地も、勿論職員の名前や身分もすべてが極秘である。  当然ながら、膨大な数のコミュニケーションを全て人間がチェックするのは不可能なので、この業務は主にAIが行っている。日々行われている無数のコミュニケーションの中から、既に危険な組織として警察に目をつけられているような組織や団体は除いて、まずはAIが市井の様々な人間の発言やコメントをサンプリングする。その中で、あらかじめ与えておいたキーワード(それは世の中の治安に影響を与える可能性の高いものを政府が選定しておくわけだが)にひっかかったものを片っ端から出力し、人間の担当官に報告する、というわけである。 「これ、どう思われます?」  ある日の午後、担当官の下島が持ってきた一枚のプリントアウトの文章を見て、チームリーダーの梅沢は眉を顰めた。 『極右思想って、本当に素敵ね。気に入っちゃったわ』 「ふーむ、極右思想か。なるほど。確かに最近欧州あたりでは無視できない動きになっているし、気になるワードではあるな。ただ、これだけでは、あまりにも簡単すぎるし、それに何だかほのぼのした雰囲気も感じるんだが」 「確かに、これだけでは、いかにも軽い感じはします。ただ、気になるのはこの発言をしたのが小学一年生の女の子だということなんです」 「小学一年生?まだそんな子供なのか?」  梅沢が驚きの声をあげた。 「はい。△△市の市立小学校に通う、ごく普通の一年生です」 「うーむ……まだそんな小さなうちから極右思想に染まるとは……」 「”本当に素敵ね、気に入っちゃったわ”って言ってますからね。確かにまだ子供ですが、逆に子供だからこそ、純粋で刷り込まれやすいわけですし」 「念のため、カナテキストも見たいな」 「これです」  下島がもう一枚の紙を差し出した。  『キヨクウシソウツテホントウニステキネ キニイツチヤツタワ』 「うーん、やっぱり誤変換は無さそうだよなあ」 「私もそう思います。これは、ほぼ間違いないかと」  カナテキストとは、人間の会話という音声データを聴いたAIが、最初に文字に変換する作業を行った時の、いわば生データである。日本語の特殊な性格上、まずAIは音声データを一度カナデータに変換し、その後にあらかじめ学習した辞書機能によって、適宜漢字変換を行って、漢字仮名交じり文にしてアウトプットするという仕組みになっている。優秀なAIではあるものの、やはり人間の語彙や用法から言って、おかしな変換をしている可能性もあるので、たまにこうして人間がカナ文字との突合せを行うのである。 「それにしても読みにくいな、このカナテキストってやつは」 「なにしろ、毎日膨大なデータを処理しなければなりませんからね。情報量の制約がかなり厳しくて、とにかく一桁でも削れという開発思想の結果、濁点や句読点は省略、どうせ人間が見るんだから、おかしなところは補正解釈すれば良いだろうという話になったんでしょう?うちも特殊とはいえ、政府機関ですもんね。予算の制約は逃れられませんから」 「それも、正体を絶対明らかに出来ない黒子だからな。予算だって官房機密費なんだから、大きな声を上げるわけにもいかない。というか、大きな声なんか上げたとたん」  梅沢が自分の首の前で、手刀を横にすべらせてみせた。下島が恐ろしそうな顔をした。 「まあ、とにかくこの子供がこのまま成長していったら、とんでもなく戦闘的な危険分子に育ってしまう恐れもあるな。子供のうちから組織的に極右思想の信奉者を増やそうとしている輩がいるとは、大変危険な話だぞ。それにしても、どんな連中なんだろう。まだ、そういう活動をしている団体や組織については俺は聞いたことはないんだが。そもそも、これは誰との会話だったんだ?」 「彼女の父方の祖父です。63歳、小さいながらも、オーナー企業の社長です。今のところ、危険思想の可能性のある人物のリストにはヒットしておりません。また、過去の経歴にも特に目立った問題はありませんが……」 「それなりに影響力もある人間というわけか」 「そうなんです。そもそも、いかにも問題無さそうな普通の人間の顔をした危険分子を炙り出すのが我々の仕事ですよね。そして、孫と祖父母の結びつきは強いものがあります。人格形成に祖父母が与える影響は、時に両親よりも強い場合がありますし」 「よし、わかった。当面、この祖父と女の子を重点監視対象にしよう。くれぐれも悟られないようにな」 「承知しました。重点監視対象として監視を続行します」  三日後、下島が梅沢の所に走ってきた。 「梅沢さん、これ見てください!」 「なんだ、どうした?」  突き出された紙片を一瞥した梅沢の顔がたちまち険しくなる。 「これは……」 『極右思想って、いいよね。俺も気に入ったよ。教えてくれて有難う』 『マサル君も気にってくれた?やっぱりいいよね。そうだ、みんなでもっと極右思想のこと、お勉強しようよ。もっと色々知りたいと思わない?』 『そうだね。みんなで集まって楽しく勉強したら、堅苦しくなくていいかもな。僕も興味ありそうなやつに声かけるよ』 「なんてことだ。いよいよ、勧誘が始まったか……」  梅沢の額の皺が一段と深くなる。 「一年生だと思って油断してましたが、学校で堂々とオルグ活動に出るとは、完全に裏をかかれました!事態は急を要すると思われます!」 「……わかった」  唇を噛み締めた後、梅沢が受話器を取り上げる。 「もしもし、官房長官ですか?特殊チームの梅沢です。至急、総理のお耳に入れたいことが……」 「もしもし、おじいちゃん?」 「おう、美香ちゃんか。またお電話くれて有難うね。仏様巡りはまだ続けているかい?」 「うん、今日もママに連れてってもらって近所のお寺に行ってきた。仏様って本当にきれいね」 「こんなに小さなうちから仏像に興味を持つなんて、本当に感心なことだよ。おじいちゃんも嬉しいよ」 「やっぱり、ひと月ほど前に連れてってもらった、虚空地蔵のイメージがとっても良かったからね。あれ、本当にきれいだったよ」 「あははは、それは良かったねえ。でも、美香ちゃん、あれは、コクウジゾウと読むんだ。キョクウジゾウじゃないよ」 「あ、そうだったね。また間違えちゃった。お友達にも間違って教えちゃったかも」 「ははは、まあ、子供らしくて可愛い間違いだよ。もともと虚空地蔵と言うのも、通称でね。正しくは虚空蔵菩薩と言って……」 [了]
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