夜逃げ屋

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「佐野さん」  はい、と返事をしたと同時に、何か温かいものに包まれる。ふわりと甘いいい香りがした。  胡蝶さんが、震えた手で私を抱きしめていた。 「こ、胡蝶さん……?」 「……よかった。無事にここに辿り着けて。依頼、ちゃんと達成できました」  ハスキーな声が上ずっていた。あれほど凛々しく仕事をこなしていた彼女も、本当はずっと気を張っていて不安だったのかもしれない。  感謝の意と彼女への小さな慰めの意味を込めて、私はそっと彼女を抱きしめかえした。 「ありがとう、胡蝶さん。その――」  かちゃり。  そんな音が、耳元で聞こえた。 「え……?」 「依頼は達成しましたもの。報酬を貰わないと」 「え、え……?」  意味が分からないまま、私は胡蝶さんの目を見た。  恍惚。  そこには、不気味なほどに歪んだ輝きがあった。 「お礼はなんでもします、と言ったもの」  彼女はマスクをずらして、真っ赤な口紅を塗った口を歪ませた。 「あぁ、その首枷、よくお似合いね。前みたいに、手足にもつけましょうか」 「こ、ちょう、さん……?」 「あら、どうしたのそんな顔をして。せっかく監禁男から逃げられたのだから、もっと幸せな顔をしてください」 「ひっ……」  胡蝶さんが両手で私の頬に触れる。その手つきはひどく優しくて、子供を愛でるようなものだった。
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