夜は真っ黒な画用紙で、星は小さな穴だから

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 晩御飯のお弁当の抜け殻を片付けもせずにぼんやり座っていたら、突然亮真(りょうま)が来た。 「一緒に星を見に行こう」  驚く私にお構いなしで、歩きはじめる亮真。  仕方ないなあ。  亮真はいつだってそうだ。用事がなければほとんど家から出ない私を、こうやって外に引っ張り出してくれる。  車のキーと上着をひっつかんで、慌てて後を追った。  夜の道路は快適で、田舎のほうに行くにつれて、すれ違う車も減っていく。  亮真と二人で星を見るときはよく行く、お気に入りのスポットがある。県境のダム湖を見下ろす小さな公園だ。  昼間は家族連れが遊びに来たりするけれど、夜に訪れる人はめったにいない。  車で一時間足らずのドライブの間、二人ともほとんど口を開かなかった。  だからかな。  慣れた道が、いつもより少しだけ遠い気がした。  他に車も停まっていない、真っ暗な駐車場。  公園までの遊歩道にはポツンポツンと小さな街灯がついているけど、足元まで明かりが届かないほどに暗い。  知ってる道だからどうにか歩けるけどね。  五十段もある階段を一気に上って少し息を荒くしていると、亮真がこっちを見て笑った。 「志穂はもっと運動したほうがいいぞ」 「放っとけ。私は家の中でごろごろ寝転んでるのが好きなのだよ」 「ははは」  笑ながら公園の中に入っていく亮真。  私はちょっとだけ来た道を振り返る。  階段の下は闇に飲まれて、途中の街灯の周りだけが幻想的に浮き上がって見えた。闇のさらに奥底には、ダムが深く深く水を抱きしめているんだろう。  ◇◆◇  小さな公園には錆びだらけのブランコと、天然の石を利用したベンチがある。  このベンチに座って空を見上げたら、本当に星がきれいに見えるのだ。  ここはとても真っ暗だから。  空にはいつものように、無数の星がきらめいていた。 「きれいだな」 「そだね」 「俺、どうしてもここで、志穂と一緒に星を見たいと思ってたんだ」 「そか」  何か言いたそうだった亮真は、けれど一度口を閉じて、次に開いた時は全然違うことを言った。 「なあ、あの星って本当に恒星なのかな。太陽の仲間には見えないよなー」 「でもすごく明るい星もあるよ。あれとか。むこうのとか」 「空が真っ黒な紙でさ、穴から向こう側の光が漏れてるんだと思う」 「えー」 「だってほら、夜の空って真っ黒い画用紙みたいにのっぺりしてるじゃん」 「そうかな」  もし穴が開いてるんだとしたら、その穴の向こうには何があるんだろう。  真っ暗な夜の紙の向こう側は明るくてとても美しいところなのかもしれない。 「多分空の紙の向こうにはさ」  明るい世界が。 「蛍光灯が光ってると思うんだよ。でっかい蛍光灯」 「へ?」 「だってさ、星ってチカチカするじゃん?あれきっと、向こうは蛍光灯なんだって。50ヘルツくらいと思う」 「なによそれ」 「チカチカするから、切れかけの蛍光灯かもなー。LEDじゃないぞ、きっと」 「へんなの」  呆れる私を見て、また亮真が笑う。今日の彼はすごくよく笑う。  私の分まで笑ってくれてるみたい。 「星の穴の向こう側にはきっとでっかい宇宙人が住んでてさ」  その宇宙人はこっちを時々観察してるんだ。宇宙人に比べたら俺達なんて細菌みたいに小さいから、たぶん望遠鏡と顕微鏡が合体したようなマシーンを作ってさ。  そんな他愛もない空想を、彼は楽しそうにずっと話してた。  私はそんな話を聞きながら、星が穴でもいいなって思う。  だって私の隣には亮真がいて、空にはチカチカとうるさいくらいに瞬く星があるのだから。 「なあ、志穂」 「うん?」 「ごめんな」 「……」 「結婚できなくて、ごめん」 「……別にこの時代、絶対結婚しないといけないわけじゃないし」 「ごめん」 「いつだってこうして星を見に来ればいいんだし。私はそれでいいよ」 「駄目なんだ。ごめん」 「……」 「志穂に会えるの、今日が最後なんだ。今日が四十九日目だから」  亮真のバカちん!  ずっと我慢してたのにっ。  泣くの、ずっと我慢してたのに!!  一度あふれ出した涙はもう止まらなかった。  亮真が死んだのは四十九日前。突然の事故だった。付き合い始めてもう五年になるし、そろそろ結婚の話も出るかもと、お互いにソワソワ過ごす、そんな時期だった。 「ほんと、カッコ悪りぃ。こんなに志穂を泣かせるって分かってたのに」  そうだぞ。いきなり死ぬとかカッコ悪すぎ。 「どうしてもここで一緒に星を見たくてさ」 「……知ってる」  私は泣きながら左手を亮真に見せた。  薬指には小さな青い石の付いた指輪。 「亮真の母さんがくれた」 「そっかー。母ちゃん、分かってるなあ」 「星を見て渡すんだって、亮真が言ってたって」 「そうそう。一応母ちゃんにも息子が結婚するのに心の準備が必要だろうって思ってたんだ」 「……ここに居たら? 四十九日過ぎても、ここに居たら?」 「うーん。無理っぽい。あの空のさ、穴みたいな星みたいな何かが呼んでる気がするんだ」 「あんなの、ただの穴だよ」 「呼んでるのは、その向こうにいる宇宙人かも」 「そんなの、巨大すぎて話すこともできないやつらなんでしょ」 「そうかもしれないけどさ。俺、先に行って様子見てくるわ」 「……」  涙でにじんだ空の穴は、ぼやけて大きく見える。  亮真が私の涙をぬぐおうとして頬に手を伸ばしたけれど、いつまでたってもその手の感触は私には届かなかった。 「志穂」 「追いかけないから。私、百年長生きして長寿の日本新記録作って、いつまでたっても亮真の後なんか追いかけないから」 「よっしゃ。安心したわ」  亮真は笑って、手を振った。  そしてそのまま空には上がらずに、その場でキラキラと光る小さな小さな星の欠片になって、闇に溶けていった。  やっぱり星は穴なんかじゃない。もっとキラキラと綺麗な何かだ。  私は亮真の消えたその場所をじっと見つめる。  まだ何か、亮真がそこに居たという確かな何かが残っている気がして。  石のベンチに座って、空の星ではなく目の前を見ていた。  朝日が闇を消し去るまで。 《了》
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