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九、武田から徳川へ
私は、貞昌の手を掴み、岩から引きずり下ろした。
「お、おふう!?」
「……私は、逃げない」
貞昌はきょとんとした。
それはそうだろう、私が潮目を見たのなんて知らないのだ。
私は語気を強める。
「私は、人質としての務めを果たすわ。だから貞昌、あなたも武将としての務めを果たして。あなたの成功が、私の幸せよ」
自分でも嘘を言っているのが分かる。でも、成功を約束された未来が待っている愛する人を、生涯追われる身になんて、させられなかった。
「……おふう、僕は、嫌だ……」
私は、初めて貞昌の頬を張った。初めて人を叩いた。
「しっかりして、あなたはすごい人、奥平の子なのよ」
私は泣いていた。貞昌も泣いていた。
二人の未来は幸せだったはずだ。きっと逃げる人生になっても。
それでも私は、自分が死ぬことになっても私は、奥平貞昌という人間が、立派に成功してほしいと願った。
私との子は叶わない夢になる。だけどきっと、素晴らしい伴侶を得て幸せに暮らすことだろう。私はそれを願う。愛する人の幸せを願う。
あなたとはここでお別れ。
でもあなたと離れた理由は、あなたの成功のため。確固とした理由があって、それには私の命をかける、充分な価値があるのだ。
「……貞昌、愛してる」
「おふう、僕も、いつまでも、ずっと、愛してる」
そう言って抱き合った私達の夜は更けた。
そして朝が来る頃には、貞昌を含む奥平の要人達は武田から離反していった。程なくして徳川に合流するだろう。
私に後悔はない。きっとこの後、悲惨な目にあうだろう。
でも、奥平貞昌は大きなことをやってのける。そう知っているから。
□■おわり■□
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