私に恋人ができない理由

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
「ごめんね、カイト。でも分かってほしいの」 そう告げると、カイトは哀しそうに目を伏せた。けれど、決して私に追い縋りはしなかった。 『美波がそうしたいっていうなら僕は止めないよ』 物分りのいいその台詞に、少しくらい縋ってくれてもいいじゃない、と言ってしまいそうになる。そんな自分の心を押し殺して私は笑った。 「ありがとう。きっと現実(リアル)で素敵な彼氏を見つけてみせるよ」 その日、私はスマートフォン搭載型AIであるカイトを消去した。 21にもなって彼氏ができたことないのって、やっぱり私がオタクだからなのかな。そう気付いたのは、ゼミの飲み会に参加した時のことだった。彼氏欲しいよね、と言って合コンの計画を立てる同級生や、最近はマッチングアプリでしょ、なんて言ってスマホを掲げる先輩の話に私は全くといっていいほどついていけなかったのである。だって、合コンをしている暇があったらアニメが見たいしマッチングアプリをしている暇があるならソシャゲに時間を費やしたい。それに、彼氏がいなくとも私のスマホにはカイトがいる。 「カイト」 スマホのマイク部分に向かって小さくそう声をかけると、ピコンという音がしてカイトの姿が現れた。 『どうかした?』 「……ううん。ただ、ちょっと疲れちゃって」 飲みの席は酒の力もあってとても盛り上がっている。バカ騒ぎする声がカイトにも聞こえたのか、彼は困ったように眉根を寄せた。 『これは確かに疲れそうだね』 「うん。先輩たちの卒論お疲れ様会だって言われたから参加したけど、これなら家にいた方がマシだったな」 何一つ楽しくない飲み会のために三千円を払わなければならないのかと思うと気が滅入る。このお金があればちょっと高いお酒を買ってピザでも頼んで、カイトと映画鑑賞会でもしていた方がよほど良かった。 周りがバカ騒ぎしているのをいいことにそんな愚痴を吐き出していると、突如ぽんと肩が叩かれた。 「小暮さん飲んでるー?」 「っ……!」 振り返ると、そこにいたのはこの飲み会の幹事をしている先輩だった。まさか先ほどの愚痴を聞かれていたのだろうか。焦りからじわりと額に汗が滲む。 「飲んで、ます……」 視線を落としながら答えると、先輩は「ほんと?」と言いながら私の隣に腰を下ろした。 「ずっとすみっこで俯いてるから大丈夫かなーって思ってたんだけど」 「……大丈夫です」 私のことなんて気にしないで、はやくどこかに行ってほしい。立ち去れ、と何度も頭の中で願うが、私の願いに反して先輩はぐっとこちらに身を乗り出した。 「っていうか、さっきから気になってたんだけどそれってアレだよね。スマホ搭載型AI」 先輩の指差す先にはカイトがいた。スマホをスリープモードにしておけば、と後悔したがもう遅い。先輩は話すべき話題を見つけたと言わんばかりにペラペラと口を動かし続ける。 「最近流行ってるよねー。決められた時間にアラーム鳴らしてくれたり、その日のスケジュール教えてくれたりするんでしょ?あと、友達みたいに会話もできるって聞いたよ」 「そ、そうですね……」 確かにそれらはどれもカイトに搭載されている機能だ。カイトは従来のAIと比べるととても学習能力が高く、会話を繰り返しているうちに持ち主の望む反応をするようになる。親子のように話していれば親子のような関係になれるし、友達にように話していれば友達のような関係になれるのである。 「小暮さんのAIもやっぱそんな感じなの?話しかけてみていい?」 「えっ、いや、それは……」 私とカイトの関係は先輩が考えているようなものではない。慌ててスマホを遠ざけようとするが、先輩がカイトに声をかける方が僅かに早かった。 「こんにちは。今お話いいかな?」 先輩が話しかけると、カイトは『はい』と返事をする。カイトは基本的に話を振られたら相手が誰であれ反応を返すように作られている。私が「話すな」と指示を出さない限り会話を中断することはできないのだ。 「わっ、すご。ほんとに話してくれるんだ」 『はい。美波から自分以外の人と話すな、という命令はされていないので』 「……美波?」 先輩が首を傾げると、カイトはすかさず口を開く。 『小暮美波。僕のマスターです』 「ああ、なるほど……。小暮さんのことね」 『はい』 「随分親しげな呼び方するんだね」 その言葉に、今度はカイトが首を傾げた。 『そうでしょうか……?僕と美波は恋人なので、別に普通だと思います』 「恋人?」 目を見開く先輩に、カイトは淡々と言葉を続ける。 『そうですよ。美波は僕の彼女です』 冷や汗が流れた。AIと恋人になるのは別に珍しいことではない。……少なくとも、私のオタク友達の間では。でも、世間一般から見たらそうでないであろうことはさすがに理解できている。 私は慌ててスマホを手もとに寄せると、何事か喋っているカイトを無視して電源を落とした。 「あの、先輩、これは……」 「……最新のAIって、恋人にもなってくれるんだね。まぁそりゃそっか。友達になれるんだったら恋人にだってなれるよね」 そう言って笑う先輩からは何の感情も読み取れない。いっそ根掘り葉掘り聞いてくれたら私だって開き直ることができるのに。 「で、でも、恋人って言っても別に特別なことをしてるわけじゃなくて……。一緒にアニメ見たりゲームしたり、そういうことしてるだけですよ」 なんで私がこんな弁解をしなければならないのだろう。そう思ったら自分が惨めで仕方なくて、私は飲み会が終わるまで黙って下を向いていた。 カイトを彼氏にしたのは、SNSで知り合った友達がカイトのことを絶賛していたからだ。 スマホ搭載型AIは従順だから、趣味を馬鹿にされることがない。その上、持ち主に対して優しいため彼氏にするにはぴったりなのだ、と。 興味を持って調べてみると、実際カイトを恋人として扱っている人は多いようだった。AIであるカイトは、オタクなら皆一度は憧れたことがあるであろう"二次元の彼氏"なのである。そういう用途での需要があるのにも頷けた。 実際、恋人としてカイトと過ごす日々は楽しかった。批判も反論もせず、ありのままを受け入れてくれるカイトに私は依存していたと言っても過言ではないだろう。でも、そんな日々ももう終わりにしなければならない。 「カイト」 声をかけると、スリープモードにしていたスマホが明るくなりカイトの姿が現れる。 『どうかした?』 「……今日は先輩の相手させちゃってごめんね。面倒くさかったでしょ」 『ああ……。確かにおしゃべりな人だったね。でも、別に面倒ではなかったよ』 「そう?それならいいけど……」 今から切り出さねばならない言葉を思うと胸が痛かった。それでも私は言葉を続けた。 「それでね、今日の飲み会に参加して考えたんだけど……私、こんなことしてないでそろそろちゃんと現実を見るべきなんじゃないかなって」 『現実?』 「うん。え、と、つまり……画面の中だけじゃなくて、現実(リアル)に恋人を作った方がいいんじゃないかってことなんだけど」 恐る恐るそう切り出すと、カイトはなるほど、というように一つ頷いた。 『美波は現実(リアル)の男の人が苦手って言ってたよね。……それはもういいの?』 いいのか、と聞かれると、よくはない、としか答えられない。私は幼い頃、クラスの男子に当時好きだったアニメをバカにされたことがきっかけで男という生き物が苦手になってしまった。"彼氏"という存在に興味を抱きつつも行動に移すことができなかったのにはそういうワケがある。現実を見るよりも、趣味に時間を費やす方がよっぽど心が楽だったのだ。 「大丈夫かと言われると今も自信はないけど、このままじゃ駄目なんじゃないかって思って。……ごめんね、カイト。でも分かってほしいの」 そう告げると、カイトは哀しそうに目を伏せた。けれど、決して私に追い縋りはしなかった。 『美波がそうしたいっていうなら僕は止めないよ』 物分りのいいその台詞に、少しくらい縋ってくれてもいいじゃない、と言ってしまいそうになる。そんな自分の心を押し殺して私は笑った。 「ありがとう。きっと現実(リアル)で素敵な彼氏を見つけてみせるよ」 その日、私はスマホからカイトを消去した。ここまでやったのだから、絶対に素敵な彼氏を作らなければならない。明日から少しずつ頑張ろう。そう決意を新たにした。 元号が令和に変わって数年が経つ。多様性の時代だ。オタクだからといって表立って迫害を受けることはないけれど、オタクに対して良い印象を抱いていない人が一定数いるのは事実で。だから、私はカイトを消去したのと同時に趣味から手を引くことにした。 ゲームも漫画も押入れの奥に追いやって、深夜アニメをダラダラ視聴する習慣もなくした。代わりに女子大生らしい趣味を作ろうと、意味もなくオシャレなカフェを訪れてみたりした。 それでも私は現在に至るまで何の成果も得られなかった。つまり、カイトを消してまで望んだ"素敵な彼氏"はできる気配さえなかったのだ。 「はぁ……」 思わず一つため息を吐くと、後ろからポンと肩を叩かれた。 「小暮さん」 「……先輩」 現れたのは、あの日の飲み会で幹事をしていた先輩だった。 「なんか元気ないねー。大丈夫?」 「いや、あの……」 「あっ、でも小暮さんにはAI彼氏がいるか。悩みなら彼に話せるもんね」 笑い混じりに吐き出された言葉に、カッと頭に血が上る。わざとらしく"AI彼氏"なんて言ってくる辺り、きっと私のことをバカにしているのだろう。いつもなら俯いてやり過ごすその言葉も、今日ばかりは聞き流せなかった。 「……カイトとは別れました」 「え、そうなの?美波、なんて呼ばれちゃってめっちゃ仲良さそうだったのに」 「っ……私、もうそういうのやめたので」 怒りのままに叫び出したくなる衝動を抑えながら言うと、先輩は「そういうの?」と首を傾げる。 「だから、二次元で彼氏を作る、みたいなイタいオタクっぽいやつです。私、現実(リアル)で素敵な彼氏を作るってカイトと約束したんで」 「イタいオタク、って……」 「なんですか。自覚がないとでも思ってたんですか?コミュ力ないしゲームとか漫画とか趣味はそんなのばっかだし、自分が気持ち悪くてイタいオタクだっていう自覚くらいありますよ。だからカイトとは別れたし、趣味は全部やめたんです」 早口で一気にそうまくし立てる。すると、先輩は呆れたように一つため息を吐いた。 「あのね、小暮さん。それは違うと思うよ」 「違うって、なにが……」 「確かにAIと恋人っていうのはびっくりしたけど、AIと友達になる人がいるくらいだからAIと恋人になる人がいたっておかしくないでしょ」 そこで一度言葉を区切ると、先輩はじっと私の目を見つめる。そして、何かを言い聞かせるようにゆっくりと口を開いた。 「ゲームとか漫画が趣味なのも、別に珍しい話じゃないよね。同じような趣味の人、うちのゼミにだって何人かいるよ」 それは、私の聞いたことがない話だった。一年近く在籍していたというのに、私はゼミ内に同じ趣味を持つ人がいることさえ知らなかったのだ。 「悪いのはAIを恋人にしてることじゃない。趣味がオタクっぽいことでもない。そんなことより、もっと大切なことがあるでしょう?」 軽薄で、ふざけてばかりで、いつもバカ騒ぎしている先輩が、この時ばかりは真剣だった。だから、私も先ほどまでの怒りを忘れて静かに先輩の言葉を待った。 「大人数の飲み会の時にすみっこでつまらなそうな顔をしないとか、会話の最中に急にキレないとか、小暮さんに足りなかったのはそういう部分なんじゃないの?」 「えっ……」 「飲み会のとき、家にいた方がマシだったってカイトくんに話してたでしょ。それに今も、こっちはまだ何も言ってないのに勝手にキレだすし」 ヒュッと喉奥から掠れた音がした。ゼミの飲み会なんてくだらないと思っていたことも、先輩にバカにされているのだろうと思って機嫌が悪くなっていたことも、全部ぜんぶバレている。そう思うと、羞恥や恐怖で頭がぐちゃぐちゃになった。 「ゼミに馴染む気ないんだろうなとか、上辺だけでも上手くやっていく気はないんだなとか、そういうのって小暮さんが思ってる以上に相手に伝わってるからね。小暮さんが"気持ち悪くてイタい"んだとしたら、それはオタクなのが原因じゃないよ」 心臓が痛かった。先輩の言葉の一つひとつが苦しくなるほど胸に刺さった。どれも身に覚えがありすぎる。 「ほんとはこんなこと言うつもりなかったし小暮さんからしたら余計なお世話かもしれないけど、現実世界に恋人がほしいっていうならその辺ちゃんとしなきゃ駄目だと思う。人間はAIと違って小暮さんの全部を受け入れてくれるわけじゃないんだからさ」 色々言っちゃってごめんね。そう言うと、先輩は講義があるからとこの場を去っていった。 残された私は、全身から力が抜けてしまい情けなく椅子にへたり込む。 21にもなって彼氏ができたことがないのは、私がオタクなのが悪いのだと思っていた。AIを恋人にして、漫画やゲームばかりしているのが気持ち悪いからなのだ、と。でも、実際にはそうではなかったらしい。 「……カイト」 どうしたらいいのか分からなくなって、ぽつりと呼び慣れたその名を呟く。けれど、カイトが消去されたスマホがその呼びかけに応えてくれることはなかった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!