心まで包み込むような

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心まで包み込むような

「Ghost`s lip……」  スペードが呟いた。そのバーのことは彼女も初耳だったようだ。 「何かが滑り落ちた人しか行けないってのは、つまりどういうこと? ほら、ここの人らってみんなそういう意味では記憶が滑り落ちてしまってるわけでしょ?」 「ええ。 そのルールについては私もよくわかっていないんですが、とにかく記憶を失っているからといって誰でも見つけられるというわけではないようです」  カナリアは肩の荷が下りたようにリラックスして答える。 「カナリアならそのバーを見つけることができるってことか」  ヘンリーが口を挟む。いつの間にか彼は作業机で時計を分解する作業に戻っていた。アリスにはその行為にいったいどんな意味があるのか全く分からなかった。 「ん?」  作業の手が一瞬止まる。 「いや、待ってくれ。 じゃあ僕らだけでそこにコインを届けるのは無理じゃないか」 「その通りです。 ですが方法はあります」  ふむ、とスペードが頷く。カナリアは続ける。  「お店のポイントカードを持っていればたどり着くことができます。 ブラウンさんがそれを持っている。 そして幸いなことに裏切り者達はGhost`s lipもその仕組みのことも知りません」 「つまりそれさえ手に入れれば私達でも届けることが出来る、ってわけか」  スペードがまとめる。カナリアは微笑み、その通りです、と頷く。 「あの……」  アリスが声を発すると三人の視点が同時に集まる。ああ、なんだってこんなに気まずい思いばかりしなくちゃならないのかしら!と思いながら、アリスはポケットからブラウンの財布と、そして彼が持っていた地図を取り出す。 「この財布の中にそんなカードが入っていたかも……?」  アリスは沈黙に向かってへへ、とぎこちなく笑う。 「君ってやつは……」  ヘンリーは呆れたようにアリスを見る。 「し、仕方ないじゃない……。 何が起こるかも分からなかったんだもの!」 「まあ、アリスちゃんのお仕置きは後にしておくとして」  スペードはアリスの頭をぽんぽんと叩き、その財布を開く。 「うん、あった。 これだね?」  彼女が取り出したそのカードは、紙面にハロウィン風のかぼちゃや棺桶のような装飾がされていた。裏面にブラウンの名前が記されているようだ。 「はい。 そうですそれです」  カナリアはそれを確認すると、アリスが取り出した地図を手に取る。 「こっちは……。 あ、これGhost`s lipへの地図ですよ!」 「おいおい。 ってなるとアリス、君ってすごく怪しいぞ」  ヘンリーがアリスを指しながら言う。三人の視線が再びアリスに集まる。確かにこれだけGhost`s lipに関するものばかりが出てくると怪しがられても仕方がない、とアリスも理解していた。 「なら私はその作戦に参加しない。 ここから出て行っても良いし、もし必要だと思うならモチーフを取り上げてくれても構わないわ……」  言いながらアリスはとても悲しい気持がした。ようやく協力できそうな人達を見つけたのに、また一人にならなくてはならないというのはアリスにはつらいことだった。 「いいや、逆だよ」  アリスの沈みかけた意識を、スペードのはっきりとした声が引き留める。 「疑われる可能性があったのにこれだけ正直に言ってくれたんだ。 ならまずは、その誠意を私は買いたい」  ヘンリーに向かってはっきりと言い切るスペードが、アリスにはとても大きく映った。アリスは自分の目が潤むのを感じた。スペードがアリスの肩を抱く。 「それにカナリアちゃんが襲われるのを見たとき、アリスちゃんは私と全く同時に走り出した。 持っていたソフトクリームを投げ捨ててね」  言葉の途中で、アリスはスペードに抱きついて泣いていた。その頭をスペードが撫でる。 「だから大丈夫。 彼女は信用して良い。 もし裏切ったとしても私がいるしね」  ヘンリーはやや不満げに 「まあ、スペードがそう言うなら……」  と答える。 「さあ、そうと決まればこれからすぐにでもGhost`s lipに向かおうか! やることは山積みだよ!」  切り替えるようにスペードが言い放つ。この人の才能が光を放つのはきっとこの気持ちの良い性格があるからね、とアリスはスペードの胸の中で思った。  スペードからは、優しくて暖かい、心まで包み込むような匂いがした。
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